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「次元と変化」 No.304

○問題にするということ

 

 ときおり、次元ということばを使います。世の中には一つ上から考えると問題にならないことを問題として、悩み苦しんでいる人がたくさんいます。これは何も私が一つ上から見下して言っているのではなく、きっと、私のことを一つ上からみて、ここで問題としていることも問題にならないと、もっとすぐれている人はみているのだと知った上で述べています。必ずしも上がよいというのではありませんし、上下というのも仮のイメージですから、考えるための設定と思ってください。私自身が悩み、あるいは、他人の悩みを問題として取り上げ、考えるときの一つの方法です。

 ヴォイトレにおいて、私が学ぶのは、一流の人たちのいる世界からです。日本の歌い手や役者よりは、他の世界から学んだことが多かったかもしれません。最初に走り出すと、他の業界に学ぶしかないわけです。

 それは、一流の人(それが何を示すのはともかく、世の中で何かで知られている人、その何かがどうかということは、また改めて取り上げたいです)やプロで続けてきた人と、それを目指す人、そして普通の人がいて、そこの違い、ということです。

 

○ステージで声が出なくならないために

 

 本番で声が出なくならないためにはどうするのか、私は、ヴォイトレで、うまくなることよりも、タフになることと考えています。それは、続けるための条件、よりよいものの出るための前提だからです。

 ステージは、時と場所を選ばないからです。それを避けたければレコーディングだけという方向もあります。高品質な作品をつくる、これは、ライブと考えやみせ方が異なると思います。

 現場に対応するのに2通りの考え方があります。一つは、正面突破、もう一つは逃げです。攻めと守り、両方必要ですが、力をつけるときは攻めの姿勢が欠かせません。やり過ぎてうまくいかなくなり、初めて本当の守りの必要がわかるからです。

 最初から守りを考えると、守ることはとても複雑になります。つまり、100攻めていたら、100戻してもゼロですが、ゼロで守ったら少しでも戻したらマイナスです。大きくみると、その方がリスクがあるのです。

 

○守りでは守れない

 

 そこで抜け出せなくなる人が大多数です。なぜなら、ゼロに戻すことが目標となり、そこでOKにしてしまい、それで本当の力がないという事実に気づかなくなるからです。「よりよくする」でなく「こなす」ことで終えているからです。それを、今やヴォイトレやヴォイストレーナーが、拒むところか助長しているのが現状です。

 この問いへの答は、「気力、体力を日頃つけておき、倒れないようにする、そうしたらできる」というものです。その上で、基礎力をつけ直すことです。

 乱暴かもしれませんが、長くプロを続けている人は、皆そこで乗り切っています。守りの答は考えてみてください。あるいは、トレーナーに聞いてみてください。

 なぜなら、今や、トレーナーにつくのは医者に行くのと似た、守りの考えで入る人が多数だからです。私は、若いトレーナーをみて、ここのトレーナーとの違いをいつも感じています。つまり、今のトレーナーは、守りを教えているのです。それは、トレーナーのせいだけではなく、トレーナーにつく人、ヴォイトレをする人が、守りの手段として考えているからです。トレーナーはニーズに忠実に対応しているだけなのです。トレーニングはトレーニングですから、医者や言語聴覚士の方針とは重なるところはあります。とはいえ、マイナスをゼロにするのと、ゼロをプラス、プラスをさらにプラスにするのは違うことです。声の場合、どこをゼロとするのかは、考え方によりますが、少なくとも、現状復帰程度で満足してはなりません。

 

○現場より厳しく

 

 かつて、ハードすぎるトレーニングとそのキャリアを当然としていた歌手や役者から、ヴォイストレーナーが信用されなかった時代がありました。歌、声は本人のもの、それは現場でのみ鍛えられていくものだというのです。元より、現場にトレーニングの場が負けていたのです。大体、リラックス、スマイルとか脱力をメインにするトレーニングの場などはないでしょう。それには、先にプロのメンタル面でトレーナーが必要とされていたという事情があったのです。

 そういえば、演出家も指揮者も、その地位を得るまでには、大変だったのです。大相撲では、横綱の実績が理事(哀悼、北の湖関、201511)の条件となるわけです。日本らしいところ、伝統のあるところでは、未だにそういう体質があります。

 そういえば、私のヴォイストレーニングが声を壊すとか云々言われたこともありましたが、実名で名乗り出た人は一人もいません。昔は、声を壊しても医者に行かなかったのに、今や、高い声が出ないくらいで医者に行き、ここに回される人も増えました。以前に出ていた声が出なくなるなら、医者も処方のしようがあるのですが、これまで出なかった声を医療で出せるようにして欲しいというのが、冗談でなくなってきたのです。声も整形のように、新たな時代に入る予感はしますが、それについては、いつか述べます。

 

○マッチング

 

 私が指導するのは、トレーナーのスタンスとレッスンを受講する本人(ここからは、「あなた」とします)の目的とのマッチングです。あなたのどんな目的とレベルを目指すかで、方法もメニュも、判断の基準、優先順位、重要度なども、すべてが変わってくるということです。

 特に大切なことは、耳にタコにできるほどくり返したつもりですが、本番とトレーニングとの違いです。本番とは、ステージやレコーディング、試合などのことです。

 レッスンの位置づけは、リハーサルでのレッスンなら本番に対応させます。それ以外、トレーニングのレッスンなら基礎固めです。これが、未だに混同され、ヴォイトレの質問や悩み、迷いの半分を占めています。その悩みや迷い、混乱が、その人の本番、ステージパフォーマンス、歌の力を削いてしまうこともあります。バランスが崩れるからです。

 そのために、トレーナーも守りに入らざるをえなくなります。すると、本番仕様の短期の付け焼刃のレッスンになります。そのくり返しで、力がつく人も僅かにいますが、大体は、同じところをぐるぐると回ってしまうだけなのです。

 

○否定論

 

 ヴォイトレ否定論について、ヴォイストレーナーにも、呼吸や筋トレを否定する人がいます。それが、こうした問題をさらにややこしくしているのです。それを言うなら、私はヴォイトレそのものを否定しているともいえます。だから、ヴォイトレは必要悪というのです。どんな芸事やスポーツ、武道も、特別なトレーニングなしにできたら一番よいことでしょう。でも、そんなことはありえません。

 何回も歌っているうちに、あるいは、何曲も歌っているうちに、うまくなるカラオケは、最高の遊びのツールの一つです。でも、カラオケ業者が儲かるだけ、ゲームセンター、アミューズメントパークと同じで、あなたは、お金を支払う参加者、消費者に過ぎないのです。ステージサイドでなく、客席サイドにいるからお金を払うのです。

 歌の変容がそういう誤解を助長したのは確かです。オペラのような特別のトレーニングのいらないものとして、ギターを買ってコードを覚え、いつもの声でそのまま歌ったらポピュラーだと思われたからです。マイクとスピーカのおかげで普通の声で歌ったらプロにもなれたのです。そこでのプロという要素が、声でないのは確かです。そして、歌唱力でないことも多いですね。

 ここでも「声がプロ」とはどういうことかという問題については以前述べました。特に、日本は、歌の力が歌手でなく作詞家、作曲家からアレンジャー、プロデューサーまで演出家の方へ、プロの力が偏っていったのでわかりにくいのです。

 

○歌と声

 

 「呼吸法を教えられて、それを使ったら前より声が出なくなった、喉を痛めた」と言う人がいました。これは、私の例えでは、バッターボックスに入る前に、フォームを変えてみたとか、腕立てを100回やったら打てなくなった、というようなものです。この辺りは、いつもの声の基本図表で納得いただいています。

a.歌 応用 バランス 全体 総括 無意識

b.声 基礎 強化 部分 各論 意識

 いうなれば、この頃のヴォイトレは、このb:声というのが、限りなくa:歌に近づいているのです。となると、筋トレや呼吸トレもバランスを乱す悪者で不要となるのです。

 

○慣れと量

 

 目指すのが少しの上達、自分の100パーセントに戻すこと、すぐに楽しく、迷わず、考えず、うまくなりたいーのであれば、基礎に入ってはいけないのです。

A:何もしなくともうまく歌える人と、B:どんなにやってもなかなかうまく歌えない人がいますね。そこも分けなくてはなりません。

 A:素質に恵まれた人であっても、それを開花させるには、b:基礎が必要です。才能を確実な実力にしていくのです。

 大半は、慣れていないだけで、入力と出力の絶対量が足りません。ですから、aの応用とその引っ掛かりをとるカラオケレッスンをすればよい、そこが先に述べた若いトレーナーのスタンスです。なのに、そこに、生じ自らも本当にはまだ得られていないbの基礎らしい呼吸法、発声法などを持ち込むから、ややこしくなるのです。

 入力―出力の足りない人に対しては、たくさん聞く→よく聞く(量→質)、たくさん声を出す→よい声を出す、の順で本当は勧めたいのです。

 トレーナーがつくと、量なしに質にこだわり選別します。私のことばでは、ベターを取り出して、それでよしとすることはしないわけです。

 

○(選別、調整)と(鍛錬、ブラッシュアップ)

 

 バランス(声域、高音)を優先して成果をみえやすくするのです。これは、どちらがよいとか悪いとかでなく、何を優先し何を重要視するのかの違いとはいえます。

 基礎が大切なのは言うまでもありません。応用してからの基礎は完全なフォームのつくり直しになる。それもよしとしています。

 私は先に、自分で応用し、量を経て、そこからトレーナーと基礎をやるのが理想と言っています。トレーナーと応用から始め、12年よくなっても、そこで成長が止まって終わる(応用は基礎の上にのっていないなら、くせと言う方がよい)のでなく基礎からやるのです。

 トレーナーは、基礎をやるべきなのに応用をやる。ポピュラーでくせ声があたかも個性のように扱われてきた、その人の声は変えられないものとされてきたといえます。発声も発音のポイントもそのままに固めてきた天性のヴォーカリストで、しぜんのまま、うまくバランスが取れているケースもあります。

 その辺りをやりくりして、自分でトレーナーのスタンスをきちんと理解しないと、どれだけトレーナーをまわっても混乱するか、正解は一つと思い込んで固めるだけです。バラバラに行っても吸収できないのですから、統一された体系づけが必要です。それを経ないでは、蓄積されず、大して身につかないのです。歌とヴォイトレの切り分けを知る、次につながりをつけるということです。

 

○目的

 

 シンガー、エンターティナー、アーティスト、あなたはどれをメインにするのですか。そのことでも違ってきます。それを決めたら、あとは本人の考えることではありません。

A.声 芯 (胸部)

B.共鳴 (頭部)

C.歌 (バランス)

D.表現 話 シャウト ハスキー 

 

2つの関係

 

 ここで気をつけなくてはいけないことは、深めることと響きをまとめることの相関関係です。縦の線での上と下、あるいは、支えと解放との関係です。別のことばでは、A:芯、B:共鳴がそれにあたります。そのバランスのとれた状態をC:歌としています。

 私は、共鳴をA:胸-B:頭とも捉えています。(A―B)=Cともいえます。また、Aは体―呼吸―声と捉えられます。で、Bは補充、共鳴の絞り込みです。共鳴の焦点化は、調整Aは、声のポジション、本来、外国人のもっているところをつくる、Bは深めるのですから日本人にとっては条件づくりとなります。

 そのために外国語の発音を彼らの発声からすることです。そこは喉で固めたり押し付けたりしがちで、自主トレにはリスクのかかるところです。「ハイ」のトレーニングで背骨から尾てい骨まで響くような声づくり、体づくりをするのです。

 そのポジション言葉で表現すると、Aは、Dの表現となります。A=Dの一致のなかに、B共鳴が含まれていたら、B=C歌となります。AとDの間にB=Cが含まれる、つまり、発声のなかに歌が含まれると理想の形となります。

 BとCを区別したのは、Bは声の共鳴、Cはその応用としての歌だからです。Dのことばでの表現をそのままCの歌に取り入れると、ラップ、ポピュラー、シャウト、ハスキーといった歌になります。ことばのフレーズからのアプローチはこれにあたります。

 

○ベルディング

 

 B→Cの一般的な歌の練習をA―Dで補強した向うの人のもっている前提を確保する、日本人特別の強化メニュがこれなのです。声楽でいうと胸声、ポップスならベルディングにあたる地声のことです。それ自体を否定するトレーナーもいます。

 欠けているものの補強ですから、私は必然のものと思っているし、そうでない人は獲得しても使わなくてもよいのです。得るのは、支えとことばの力ですからタフになります。喉を疲れさせないので安定に役立ちます。しかし、中途半端な発声状態(=声の芯が捉えられていない)では不安定になるので、そこで引き返す人が多いのです。経験の浅いトレーナーが、間違いと判断してしまうところです。

 不安定になるのは、ピッチや音程、リズム、メロディ、発音、歌詞、頭声、共鳴、表現、ファルセットなどです。そこでしかみていない大半の人やトレーナーは、役立っていないどころか害のある間違った使い方をしてしまったトレーニングと思います。そういう人は、この冒頭の「本番とトレーニングの違い」を読んでください。

 

○間違うということ

 

 ときどき、誰かの覚えていた、私自身の言ったことばにはっとすることがあります。いつも、例えを変えているので忘れていることもあるからです。そのなかに「運動不足の人が10階まで階段で上がり、途中で足が痛くなったからといって登り方(足の使い方)が間違っていたとは言わないだろう」というのがあります。事実、私の考え方は、こういうことで間違っていると思われてきたきらいがあります。なかには、わざわざ一歩一歩をがちがちに、力一杯踏みしめて登って、足を痛めた人もいるのかもしれませんが、それは、いくら何でもおかしいのです。

 本人の情熱が限界を超えて力を入れてしまう例はあるのです。そこは気をつけましょう。でも、だから何なのでしょう。1フロアごとに休みを入れたら、時間がかかっても足を痛めずに登れるはずです。その休みを短くしていくのが、しぜんな解決法です。そこまでをくり返すのが慣れです。どこかで筋力を鍛えたら、より早く、より楽になる、それがトレーニングです。目標と方針を本当に正したいのなら、一流の人のもつ感覚に学ぶ、そして、そこを変えるのが第一です。

 

○回避法

 

 AとDで、喉が疲れていたり、喉に負担のかかる発声の人は注意しなくてはなりません。そうでない大半の人は、喉に負担をかけていないので話したり歌ったりできていますが、それは、できているのでなく浅いからです。

 浅いのは、深いの逆です。でも、浅くして応用すると一般のレベルでは、楽に早く疲れずに使いやすいのです。そのため、発声やヴォイトレがきちんと喉を使うことの回避になっていることが少なくないのです。ヴォイトレにくるきっかけが喉を荒らしたことだから、安全第一からそうなりやすいのです。(話し声を喉の負担にしないため、浮かして高く浅く共鳴させるのも一時の回避策です)

 しかし、ハイレベルで問うなら、そこは不安定さ、耐久力のなさが目立ってきます。腕の力で竹刀やバットを扱っているようなものだからです。

 日本人は、大きな声で話すとなったりしたら喉が疲れるし、長く話しても痛くなったりします。試合の応援やカラオケくらいで喉に異常をきたすのです。若い人は、そういうことでそこまで使わなくなったし、そういう体験のない人が増えています。喉の状態が悪い人、しゃがれ声が目立つ人に、裏声や頭声共鳴で高めに話すのは、やむをえないのです。

 

○アスリート並みに

 

 すぐれた歌手や役者の心身はアスリート並みです。そうであっても、できないところからヴォイトレに入るのが正攻法です。

 一般の人からアスリートまではいかなくても、かなりの体力、集中力を得て、大きなエネルギーをもってスタートするのです。若いときに始める方がよいのは、この前提があるからですが、今や、そうともいえません。声が肉体に支えられていること、歌手や役者は、そこからみると肉体芸術家ということです。

 体の力、筋力を声にそのまま使おうとするから、無理がきます。次元、あるいは、段階を間違えてはなりません。どれも中途半端になったり、打ち消し合っては何にもなりません。やたらトレーナーを増やして混乱するのと同じです。整理と分担が必要です。

 基礎を終えて応用としていきたいですが、基礎を知るために応用も必要です。呼吸法だけで呼吸のトレーニングがきちんとできているかはわかりにくいからです。

 少なくとも、発声、ヴォイトレの成果としては、声に出してわかることです。声と結びつかない呼吸トレーニングは、ヴォイトレでは不要です。

 とはいえ、武道などの呼吸法も深いレベルでは共通するものです。彼らはヴォイトレという名で行っていなくても声が鍛えられ、かなりのレベルの声をもっていることがあります。それで歌えても、せりふを言えても、歌手、役者のプロとは違います。そのギャップこそがヴォイトレの肝なのです。

 アスリートはヴォイトレでも伸びが早く、上達目標はファンサービスのカラオケのようなものですから1年もかからないことも多いです。本当は、そこからヴォイトレが始まる、アスリートの心身を持って、まかなえないところをヴォイトレで補う、と思ってください。彼らは、オペラや長唄は歌えません。歌としている声というところでみて、まだまだ足らないということです。

 

○基本トレーニング

 

 A=Dのアプローチは、体―息―声の結びつきをつける「ハイ」のトレーニングと息吐きのトレーニングが基本です。外国語の深いところで読めるところも外国人や役者の声のポジションと言っています。

 その上で、共鳴としての「ラララ」「ガグギゴ」「マメミモ」などをよく使います。

 歌手には、外国語の歌を勧めています。その人のもっとも出る音域で、本当は半オクターブ内が理想です。1小節でもよいでしょう。キィを変えて声をみましょう。

 次に、イタリア語で読んで歌うのです。日本語より楽に声になるはずです。ことばのフレーズを深い声でつくっていきます。(拙書「読むだけ…」参照)それを歌ののせると「メロディ処理」という基本トレーニングに入ります。

 こうして話と語りのレベルを同じにするのです。日本の歌手はこの一致を成しえていません。声が浅いためメロディに引きずられるのです。低く音域の狭いところで、外国語で声を練っていくのがよいアプローチとなります。その発音のままことばとして伝わることを主として表現して日本語にすればメロディから離れてよいのです。しかし、大半の人は外国人も含めて、日本語では浅くなります。

 

○深さということ

 

 グラシェナ・スサーナのアドロのサビを、1番をポルトガル語2番を日本語で比べてみてください。シャンソン歌手のアダモのフランス語と日本語でもよいでしょう。アメリカ人よりフランス人など、ヨーロッパの方が深さは学びやすいです。

 当時、外国人の日本語は、外国語の発声の上にのっていたので、とても深いです。今の日本語のうまい外国人は、わざと日本人の浅いポジションでJ-POPSのまねをして歌っていますから、日本語らしく聞こえます。同じ曲を異なる歌手ので比べて聞くと、外国人と日本人の、この違いはよくわかります。

 甲高く細く芯のないのが日本人、それゆえカラオケはエコーでフレーズをつくってくれるので、日本人がもっとも実力よりうまく聞こえるのです。メロディ、リズムと歌詞の弱点とともに声量、メリハリ不足を音響で補うのです。

 

○聞き方、聞こえ方から

 

 外国語なら、最初は聞こえないし言えない。昔の人なら書けないと言えないから、単語なども書いて覚えたものです。幼児期にしぜんに覚えるのと、母語でない言語を意図的に学ぶのとは方法が違うのです。声について変えていくのなら、声の捉え方を変える、つまり、聞き方を変え、聞こえ方を変えることです。それを意図的に起こしていくのです。言い方と聞き方のトレーニングとなります。呼吸も同じです。

 最初に述べた私のメニュは、歌やせりふの「息を聞く」でした。「息を吐く」はその次です。これまで深い息を聞いていなかったら深い息は吐けません。吐く必要を感じないからです。歌やせりふは聞いてきた。だから今のあなたの歌、せりふがこのようにあるのです。

 でも、息や声は聞いていないでしょう。では、聞く、いやその前に感じるところからです。

1. 体で感じる

2. 声を感じる

3. 歌を感じる

これをくり返してください。

 

○方針

 

 基礎と応用を両立させて進めざるを得ないのが、プロの現状です。

 アマチュアでも感覚的に同様といえます。日本人向けのやり方として、B:頭声の共鳴とA:発声のうち、調整でできるものから入ります。姿勢と発声の形、軟口蓋、喉頭の位置での声道の確保などが、入門の教科書のようになっています。ここは、日本のほとんどの歌唱指導で一般化してしまったところです。喉声を外す効果を狙ってと、高音に届かせるため、響かせるためです。先述のB―A´、これを一本通します。そこは声楽家のトレーナーがよいでしょう。C:歌、そこはきれいに響く柔らかい声を目指します。

 もう一つは、長期的な練習としてのA:体づくり、息づくり、声づくりと、D:表現のためのイメージトレーニングです。こちらが本当の基礎です。主として新たに聞いて変わっていくことを促していきます。聞いて体で感じることから、発声も共鳴も歌も変えていくのです。ここで何を聞くのかは「読むだけで…」に詳しいので略します。Aでは呼吸、Dではフレーズの捉え方が肝となります。

 

○仮の扱い

 

 要素別に基礎と応用を考えてみます。ここでいう応用は、基礎ができた後の応用でなく、基礎をつくっている間にステージを凌いでいくための応用、切り換えて使うための応用です。これは今の現場のニーズに応えるものです。基礎はないけど出番のある人には欠かせないのです。

 大半のヴォイトレのノウハウ、方法、メニュはこの一部に当てはまります。これは仮の扱いなので´をつけて比べてみます。

A´お腹の使い方(腹式)―A息吐き

B´頭部共鳴(軟口蓋、喉頭下げ)―B体の共鳴

C´歌にまとめる、メロディと歌詞をこなす―C聞く、感じる、リズム強弱、フレーズ処理

D´MC(喉守る)表情、演出―D発声、発音、ポイント

 B―B´のときにA、Dが邪魔しないようにすることです。仮のところで、腹式呼吸や深い声が身につかないのは当然といえます。

 

○レベル

 

 一流というのは、何事を一つとっても数段深いのです。ちょっとした違いがちょっとでなく、とても大きいのです。後々のことにも備えができています。さすがに、そういう人は声の分野では本当に少ないのです。直感、実感が素の感覚を妨げているのには、もっとも気づきにくいからです。

 ヴォイトレなくしての一流はありえないのでなく、むしろ、ヴォイトレあっての一流の方がありえない、この厳しい現実の認識なしにヴォイトレを語ってはいけないと思うのです。健康やリラックスというならよいのですが。すぐに効果を求めるヴォイトレが声の基礎づくりを妨げているとさえいってもよいのです。☆

 トレーニング法が発達して、たくさんの指導者が出てきて一般化すると、相対的にレベルが落ちるのはどこでも同じです。多くの人がやり始めるからです。しかし、層が厚くなることで、一流や天才が出やすくなるとしたら、それは大変に重要なことです。

 でもヴォイトレは、そこまでの成果を出していません。その過度期であって、というならよいのですが、そうでしょうか。今となれば、現状を反省して、次に向けて準備するための停滞期くらいに思わなくてはなりません。歌の凋落、歌手の地位の低下、それは役者、声優などの個性やスター性のなさにも通じます。

 結果がよくなっていないとき、いや、そうなっているときは、自らが行っていることが違っているとの自覚をもつこと、これは、まさに、この20年のヴォイトレの現状把握を必要とします。映像がメインとなったことによる声のレベルの低下、などと逃げてはいられません。人間の声の力をもって、これからのデジタルでの音声革命にどう対処するかも問われているのです。

 

○使い込む

 

 それでも体の器官、機能としての声は、長い歴史のなかで、ことば、歌とともに発展させ継承してきたものです。一人ひとりの個体に生活上も必要なものです、根本的に人類の種の存続に必要であって、その目的に合うように発展してきたのです。ですから、今でも、コミュニケーションに欠かせません。

 声を出す力は、誰にでも備わっています。ですから、それを働きやすくする環境と自分の心身を整えていくことです。さらにもっと働く必要を与え、足らないものを補充するのです。それがトレーニングです。

 早く楽にすぐに役立つものなど、深まりもせず長くもちません。誰もが即効的、実践的、すぐ役立つものだけを求めるようになりました。そんなものでできることは最大のテンションで一時的に使った力によるものです。じっくり時間をかけて苦労し努力し、面倒な手間をかけてこそ、深まり、生涯使えるものとなるのです。

 使わないものは衰え、使うものは強くなります。声によい、体によい、やさしい、そうしたバランスだけでは、表現として印象に残るものには成りえません。絶対的なパワー、それには、練習の絶対量を、声を使い込むことを必要とします。

 

○問題以前のこと

 

 体は一人ひとり違います。平等でもありません。また、同じ人でも体は毎日違います。よくも悪くも日々、変わっていきます。その全てに対応できる一つの方法などありません。方法も対処のし方も変わっていくのです。

 それを固定したときからギャップが広がります。ハイリスクで基礎に支えられていないから、いつか壊れます。そこまで活躍していないから、使い続けなくてすむからもっているだけなのです。わかった、できたと言うときにそうなるのです。

 トレーナーが、チェックにこだわるほど本人も守りに入ります。本人も守りに入ります。低い次元でチェックにこだわるのでなく、高い次元での小さな差異に丁寧な対処が必要なのです。医療のように高度な器材を入れてチェックを厳しくするほど、平均値からみた異常がたくさん見つかるようになります。それを全て直して平均の人の値に戻す、そのように変えてみることが何になるのでしょう。マイナスをたくさん発見して一つずつ潰してゼロにする、それは、トレーナーのすることとは違います。すぐれたアーティストのすることでもありません。健康オタクのように、ヴォイトレオタクもいてもよいかと思いますが、ヴォイストレーナーなどは、そうなりやすいタイプの人が多いのです。

 マイナスにマイナスをかけてでもプラスにしなくてはいけない世界でマイナスをゼロにして、またマイナスをみつけてゼロにする、そんなトレーニングは、病気を探しに毎日病院に検査にいくのと変わりません。

 よくないところの早期発見は大切、そういう話でなく、発見やチェックよりも、その前に発見やチェックをしなくてもよい健康な生活を心がけるべきです。他人に全てを任せようという依存は、一人で自主的にやる人の足元にも及びません。自主的に動き、そこで一人でできないと知り、トレーナーを使えばよいのです。ときには、自分の実感や直観の限界を知り、トレーナーの経験に委ねてみることも必要です。

 

○声とライフスタイル

 

 その人のライフスタイルを変えることを強いることはありません。その人のヴォイトレの必要性を高め、基準をアップさせ、材料を提示します。あとは、その人がどう感じ、どう動くかです。感じるよりも動くことが大切でもあり、動くだけで感じられないなら、止まってみることも必要です。そうしたらいろんな手段が出てきます。自ずとその人の目標を遂げられるライフスタイルに変わっていくはずです。急いで自分で決めるのではなく、遊びをもって、よい流れにすることです。

 その人のライフスタイルに合わせ、その人の望むものを早くできるようにすることは応用でしょう。それは、基礎づくりのためにやむなくするものです。基礎を踏まえた応用のところへもっていかないなら、大してその人は変わりはしないのですから。まして、声は変わらないでしょう。声が変わるというのは、少し比喩的な表現です。でも声の力、その扱いや内容、変える範囲や声の威力がアップするのは確かでしょう。

 

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<守りとバッテリー論2

 

○守りの限界

 

 マイナスからゼロに戻るのは、トレーニングでなくケアであると、述べてきました。それが必要なケースも当然あります。いや、むしろ、今の日本では、本人がそれを望んでいるケースがほとんどなのです。ですから、ヴォイトレでもケアがメインになり本流になりつつあると言いました。先に、それを勧めてこなかった理由をまとめておきます。

1.ケアはトレーニングではない。しかし、ケアがトレーニングの前提となるケースはあります。前提と目的を取り違える人も多く、トレーナーにもその傾向が強くなっています。

2.守りでなく攻め、次のことを考えなくては衰える一方である。前に「バッテリー理論」で述べたように、いくら回復させようとしても、それだけでは総力は目減りしていくのです。

3.調整や回復しても、元の実力よりも力がつくことはない。

 つまり、早く楽に少しよくなるくらいのことは、トレーンングと私は考えていないということです。そこは、医者やメンタルコーチの担当ですが、トレーナーも一部として引き受けるというものです。

 

○カムバック

 

 回復を優先する必要があることは、少なくありません。

 第一に、ケアそのものが目的のとき、医者からの紹介の人です。手術後のリハビリのケアはトレーンングどころでありません。言語聴覚士の役割に近いところです。このときも、本来は、回復後のプランをたてておくことです。そうなった原因を突き止め回避する、でも、それだけでは根本的な解決ではありません。多くの人は、そこは発声や呼吸の方法が悪かったから直せばよいと言うのですが、求められるレベルが本人の実力よりも高ければ同じことは起きる、だから、長く強く声を使わないようにする、これでは何ら解決していません。陸上選手に「このタイムより速く走ると怪我をするから、これより速く走るな」と言うようなものです。a喉の回復、b実力の回復、cさらに実力をつける、cは希望次第です。

 第二に、ベテラン勢、元プロ歌手(日本では、一度プロとなれば、その後はいつもプロ歌手として扱われますから本当に甘いのですが)で元の実力がなくなった人のケースです。体力など、体のメンテナンスはするのに、声はしないまま、歌を復習して備えるだけです。日本の聴衆は、昔の歌と同じことの再現を求めます。本人と合わなくなっているのを無理に昔に合わせるのです。となると、若い頃の本人のものまねレッスンとなることが多いです。プロは、と述べましたがアマチュアにも多いです。

 加齢のために生じている問題、これは元より基礎がないことで出てきたのですから、まさに「バッテリー理論」を地で行くものです。

 第三に、ステージが目前にある、あるいは、常時ある場合です。

 

○ プロと「バッテリー理論」

 

「バッテリー理論」を私なりにまとめておきます。

1. バッテリーは古くなると充電時間がよりかかるが、それに反し、出力時間は短くなる。(つまり、休みがより多く必要になるのに、それでも声はもたなくなります)

2. 出力そのものが落ちてくる。1009080

3. いくら充電しても100以上にならない。

 私が、デビュー本で述べたように、根本的な解決は、容量=器として大きくするしかないのです。

 つまり、声として使えるパーセンテージが落ちるとして100%80%→50%となるなら、器として100125200となくては同じ出力はキープできません。しかし、この減らした分をステージパフォーマンスか人柄でもたす、MCの話で日本のプロはカバーしているのです。それがまた、声に悪い影響を与えています。

 素質、才能で200をもってプロとなっている実力派では、少々落ちても人を惹きつける力は残っているのです。

 

○三重苦

 

 第一から第三のケース、この3つが重なることも少なくありません。ここに最後の助けとばかりに駆け込んでくる場合では、1.声が出ないので医者に行き、2.昔のように声を出す練習をあまりしていなくて、あるいは加齢などもあり、その前から調子がよくなく、3.ステージが近づいてくる。この三重苦です。

 これではどうみてもケア、原状回復が先決です。普通の人のカラオケが歌えるレベルに戻すこと、後は本人のステージパフォーマンスでもたせることになります。

 

○音源代替

 

 究極的な方法として、プロなら別の音源で凌ぐこともあります。元より日本の歌手の8割は、実力派ではないので、こうなると声は素人と同じレベルです。話し声で喉を痛めるのもそのためです。でもプロとしてのステージパフォーマンスでしのげるのです。しかし、さすがに役者、声優などはそれではごまかせません。ただ、話は日常化しているので実力を保ちやすいです。

 ビジュアル重視のダンサブルな時代になって、歌手が声よりパフォーマンスで問われる現実が、すでに現場にあります、そのうちオペラや邦楽もそうなりかねません。マイク=音響技術のあるところで、先に導入されたのは当然のことです。ダンスや踊りをみせるステージでは歌っていても、うまくマイクに入りません。息も切れます。聞いている音源は別で口パクであったからです。そういうケースを除くと一番楽しくないのは歌い手自身のはずです。

 以前は、懐メロ、高齢歌手の昔のヒット曲の再現にしか使われなかった音源での代替が、調子の悪い時のステージに使われるようになりました。ステージまでライブでなくアテレコ、吹き替えのようなものとなりつつあります。

 

○CD教材の見本の害

 

 実際のヴォイトレの大半は、B-Cだけです。それも声楽家ならまだしも、ポップスは、トレーナーが、のど声と区別がついていないケースが多いということも指摘してきました。

 トレーナーのCDの見本を発声として聞いてみてください。多分、日本では200種以上ありますが、23くらいが声としては合格、10もまともなものはありません。これが日本のレベルです。外国人のものと比べてみるとよいでしょう。

 よくない声を聞くくらいなら聞かない方がよいのです。悪い見本も一度くらい聞くのはチェックとしてよいけど、あまり聞くとよくありません。レクチャーとトレーニングは違うのですが、一流のアーティストの声に直接学ぶべきです。そうでないなら、楽器音の方がよいと思います。

 よい声、一流の声でも同じ人ばかりなら、聞いている本人と違う声なのに、どうしてもまねしてしまうものです。私はトレーニング用のCD教材に自分の声を使うことはしていません。一般用のサンプルにはナレーターや声優というプロとしての職の人の声を入れています。理由は、声だけでなく、滑舌やイントネーションなども練習として使われることが多いからです。ヴォイトレがヴォイトレのトレーニングになっていない現状は、再三、述べているので省きます。

 

○実力をつける順

 

 先に、A芯、B共鳴、C歌、D表現と述べました。C(A+B)→D、このうち、A、Dは日本の歌手があまり重視していません。トレーナーも触れないのです。A胸声、B頭声、そのバランスとしてのC歌とも述べました。

 普通の人が、A―A´―C´―D´でプロが実力があり、プロの器がある理想がA―B―C―Dとすると、先の3つの事例でケアからのヴォイトレを超えて実力をつけるには、次の順をとります。B´―Bの共鳴、特に頭部共鳴での回復、これは100のバッテリーが8050になったとき、一時、放電するのに適しています。この場合、充電は休みでなく、補給です。

 A´を体力を戻し、柔軟、呼吸を戻すとみてもよいでしょう。鐘なら小さく叩いて大きく響かすことです。強く叩いたり、鐘を大きくすることは控えます。少しずつ力を増していきます。

 そのまま歌に結び付け本番に備えます。

1. B´―C

2. B´―C´

 こうしてみると、使いようによっては、喉にリスクのあるのが、特にポピュラーのトレーナーです。現に喉を壊すトレーナーはとても多いです。そして声域高音重視の日本のソプラノ、テノールのトレーナーがあまり触れないことがわかります。

3. A´―[B´―C´]

4. A´―[B´―C´]―D´

 これで現状としての回復、リハビリ終了、調整としてもヴォイトレなら、ステージ対応になりました。

 ここまででよいと言う人も少なくありません。この場合、実際は、B´―C´で、A´、D´は、そこにそえただけですから、アイドルやカラオケのうまい人、歌える人のレベルです。

 

○声の世界へ

 

 そこからA―B―C―Dの世界は、器が違うのです。その次元を変えなくてはなりません。まずは、D、歌の表現に対して材料の取り込みです。聞き方を変える、つまり、インプットです。インプットするものを補充していくことで、インプットの仕方を変えます。例えば、Aの器を得るのに一流の歌い手の体と声、息を徹底して聞くのです。聞くというよりも感じることです。

 どんな一流の歌手も行っていることは、一流のものを聞く、量が最初ですが、必ず同じもののくり返し、深読みがそこにあります。一流の耳にして聞く、質が肝心です。この2つが伴わないから、一流の器ができなかったのです。それにもプラスαが必要ですが、トレーニングは確実なところとして器をつけるところ、量のところを確実に、できたらその質的転換までを目指します。A、D先行で、B―Cは、そこの伴うものとしてみています。しかし、意図的にBを声楽教本(コンコーネ50)、Cをカンツォーネ、スタンダードポップス、オールデイズなどで進めることもあります。声楽科の4年生~6年生レベルです。劇団四季のオーディションならB―CでOKでしょう。

 ケアはB´、C´から行うのです。でも、トレーニングならA、Dからと考えています。後はスルーしてもよい、なのに、そこがヴォイトレということで、私は“ヴォイトレ”不要論を唱えることになったのです。

 結果、効果をどこに求めるか、対象が誰か、目的が何か、そのレベルに応じて異なるので、いろんなヴォイトレがあってよいと思います。ただ、ヴォイトレが声のトレーニングになっているのかということに、私はこだわっているのです。

 

○共鳴について

 

1.声道の共鳴 声帯と口、鼻の間(喉頭―軟口蓋)

2.顔での共鳴 共鳴洞=共鳴腔

3.体での共鳴

4.スタジオでの共鳴

 1、2は歌のヴォイトレや声楽で教えられていることが多いから簡単に述べます。軟口蓋を上げて喉頭は上がらないようにして眉間、頬骨に響きの焦点をもってきましょう。私は12より34をよく使います。3は、イメージ、体幹ですが、頭のてっぺんから背骨、尾てい骨まできちんと声の出る人は、体中から響くのです。

 頭声、胸声は、頭や胸が響いているのでなく、そこで響くように感じているということです。体は振動するというイメージ、それは、顔も同じことです。顔に空洞があっても声の共鳴は声道で起きていることなのです。でも、イメージで体、そして体の存在する部屋の中に響くように、響かせるのではなく響くのです。それが声の器づくりとして、とても大切なイメージづくりです。その辺りは、拙書に任せ、戻ります。

 

○共鳴

 

 体の要素、姿勢、柔軟、表情、筋肉、呼吸、声の要素は、1.高さ、2.強さ、3.長さ、4.音色(発音、母音、子音+母音、ハミング)です。リップロールも脱力、呼吸と顔の柔軟運動の一つです。使えない人は無理しないでよいでしょう。巻き舌やハミングと同じで、手段なので、難しい人はスルーしてかまいません。後日できるようになっていたら効果を実感したら使えばよいと思います。

 

○トレーニングメニュ

 

 トレーニングメニュは、メニュそのものが目的ではなく、目的のために使うのです。☆

 ですから、すぐにできなくてはだめなのではありません。順番や重要度には柔軟であることです。使いにくい人は、使って却って力が入ってはなりません。なぜできないのか、苦手なのかということでいろいろと知ることができるのです。チェックとして使うことはあります。

1. 全身の柔軟運動、特に肩、首、腰

2. 呼吸、均等にロングブレス、表情筋、舌、唇、口、顎、頬、眼、鼻の運動

3. リップロール、声帯でなく唇で音を出す(高さ、強さ、長さ)

4. ハミング、頭声ハミング、鼻や筋、眉間に。胸声ハミング、胸に(できない人は不要)

5. もっとも出しやすい母音、高さ、大きさ、長さを、様々に変えましょう。

しゃがれ声、ハスキー声を避けることが近々の目的となります。

 

○しぜんということの限界

 

 守りのときは「ベターをベストに」でなく、「ベターに」までを目的とします。実力を向上させるのでなく、復調する、調子を戻すのですから何よりも無理は禁物です。

 私がこれまで述べてきたことでは、守りのヴォイトレは、調整ゆえ力はつかない、正確にはとても時間がかかる、ゆえにしぜんなことで、理想ではあるのですが、よほど恵まれた人以外、他人よりすぐれることはない。

 他人に対してでなく、自分自身に対してすぐれていくことだけを目指す人には理想のようにも思います。ただ、そこでクローズされたものでは、ヒーリングになりかねず、私としては、その時点で可能性を閉ざすのはお勧めしません。

 でもそこで今の自分の100%を知るのによい機会となります。

 

○プロと次元

 

 再三述べていますが、次元という考え方です。10代で歌でプロであった人が、20代では歌はふつう、声は人並みで、無理すると壊す、すると、当然のことながら、医者に行くが、プロということは関係なく症状としてみられてしまう。それは勉強するよい機会ですが、そこで知識でなく基礎のトレーニングを必要なのを勘が鈍っているとわからなくなってしまうわけです。

 特に、日本は、20代以降、知名度やMCでもたせているのに実力がついていかない、つまり実力が相対的に落ちている、いや絶対的に落ちていることの方が多いのでなおさらです。声力、歌力、ステージ力を分けて考えることなのです。

 シンガーかエンターティナーかアーティストか、そこも微妙で、大半はマルチタレント化してしまうので、もはや、声など省みられないから壊して医者にいくまで自覚がないのです。

 しかも、医者や調整のトレーナーはプロの次元でなく、一般、いや病人のケア、リハビリの次元で考えるのですから、そこは区分けしないと二度と元の次元で、できなくなります。

 もちろん、プロといえど、アイドル、モデルなど、ルックス、ファッション、ダンシングでなく、それなりの歌唱力、声の力で成り立った人に限ります。そうでないケースは、元よりステージとしての次元が高かっただけですから。

 天性の素質や勘でやってこれた希少なヴォーカリストへの対応は、次元のことだけでない。しかし、そこで失われたものが原因なのですからトレーニングで補うことが必然になります。インプットから高次なものに引き上げる、そのために次元の低いところでの問題はスルーし、そこで喉など部分的にあまり囚われないことです。悪循環になってしまうからです。ミスターのこと、長嶋さんはスランプでもデータ分析をしたり医者には頼らずに、その日の練習を増やした、それが長いスランプに陥いらなかった要因です。まあ、ここは1%にも満たない人のために述べたところです。

 

○ベターのレッスン

 

 ベストでなくベターというのは、今のもっともよいところに声をもってくることです。声域、声量も、使う音(ハミング。母音子音)も一番やりやすいものを選びます。

 まずは、一音です。確実に声にします。かすれずにハスキーにならない方がよいです。そして、最も均質に吐いた息で声を使います。

 かすれないためには、ハミングやマ行がよく使われます。コーラスのような声でかまいません。しぜんなビブラートがついていたらよいでしょう。高さとしては裏声と地声、2つにそれぞれよい声があるといえるかもしれません。それだけを1時間ほどくり返してチェックするとよいでしょう。ピッチを正しくとか、発音をクリアに、母音を揃えて、といった課題ではありません。楽器の音のように、声を音として意味なく、共鳴、響きとして捉えます。あえていうなら音色のキープ感を養うのです。

 

○声明に学ぶ

 

 声明を学んでいます。そこでの実習は、音色に節をつけて動かす、というもので、まさに発声の応用課題のようでした。しかし、私は、これこそがヴォイトレのフレーズであり、今の一般的なヴォイトレに欠けている基礎課題と思いました。

一人でもっとも声の出るところで行えば、高低半オクターブとしての1オクターブとなります。短いフレーズでは、私が基礎といっている半オクターブですから、まさに理想のヴォイトレになるといえます。1015秒というけっこうな長さゆえ、呼気のコントロール、呼吸の支えも求められます。

 

○不調に学ぶ

 

 何でもできているとき、何でもできていると思って、実のところ、できていないということが不調になると明らかになります。甘い基準でOKにしていたものからできなくなるからです。好不調は、声の場合、体という生体の楽器ですから必ずあります。絶不調の時こそ、素人でもチェックしやすいのです。

 

○ベターよりベストのために

 

 上達には的があって、そこへ全てを集めます。そこへ絞り込んで、可、不可を決めていくのです。しかし、私は、その基礎→応用の前に、遊びという、応用をおくように提唱してきました。自己流での量の時代です。その必要性を強く感じるのです。

 ですから、早急に仕事のあるプロ以外の人は、最初、自由にさせたいと思っています。(トレーナーに対してもけっこう自由にさせています)

 つまり、声も今、よいと思うものを出していながら選ぶのでなく、何でもいろいろ出してみることからです。ひどいのも、使えそうにないないのも含め、出したことがないのも何でも出してみます。たくさんの経験をありったけ積む。すると限界がみえます。その方が、声のマップもわかりやすいのです。

 

○選ばない

 

 最初から自分で選んで、歌に使えそうな声だけ使ってきて、さらにトレーナーに選んでもらうのは、限定を急ぎすぎです。むしろ、最終段階に行うことです。これまで出したこともないが出せる声、出るようになる声もあるのです。それを取り出さないと本当のパワーは出ません。

 何でも出してみると、さして何でも出せないことに気づくものです。いろんな声をいろんなふうに出せるのは可能性を広げ、器を大きくすることにつながります。選ぶのは後でよいのです。

 しかし、現実のヴォイトレのレッスンでは、トレーナーはすぐに選んで、よし悪しを判断し、よいものを教え、それを伸ばすことを求められるでしょう。だから本当に大きくは伸びないのです。声もまた、選ばれるのです。歌ったときにベストが出てくるのを待つのです。

 

○守りの前に

 

 例えば、調子の悪いときは、声量が出せません。仮に出せてもセーブすることです。リスクが大きいからです。高いところ、そこで大きく続けて歌うからカラオケで声が出なくなるのです。しゃべりすぎやアルコールも原因となります。

 ですから、調子のよいときは、声域、声量に関心をもちましょう。器を大きくする可能性は、声量と共鳴でみる方がわかりやすいです。

 調子の悪くないときにも、声量を抑えることで、声域、特に高音へ届かせたりファルセット、裏声との切り替えをフォローするのは、手っ取り早い教え方です。それ自体はバランスと調整の方法で優先せざるをえないのも否定しませんが、そこだけで固定すると、もう処理法になります。可能性も、そこで終わるということなのです。

 私が守りについて述べたのは、攻めのあること、そこが主体であることを確認したかったからです。ヴォイトレで忘れられていることがほとんどだからです。

「プロのためのヴォイトレ」(新「研究所案内」) No.303

○バッテリー論☆☆☆

 

 若い頃、100の容量のバッテリーをもっていたとして、それが少しずつ充電(オフタイムと調整)時間が長く必要になり、その蓄えも少なくなると思うとよいのです。10代では何もしなくても100充電できていて100使えていたのに、パワーと持続力が落ちるのは、しぜんの成り行きです。時とともに、そのように劣化するのです。

1.少しずつトータルの充電量が減る。

2.充電に時間がかかるようになる。

3.すぐに低下する。

 なぜ、何もしないで充電できていたかというと、毎日の生活で動いていたからです。日常の活動量がチャージされ、慣れだけでピークに行けた。天然に素質のあるヴォーカリストは、そこが一致していたわけです。

 それが、いろんな要因で崩れてきます。不摂生な生活はもちろんですが、自ずと活動量や心身の力が落ちていくのでズレが生じます。発声、歌唱もそのために無理がかかり、悪循環になるのです。

 それに対して、昔は一人でがむしゃらに練習の量で戻していたものです。そこは、無理、無駄、無用のことも含めて、効率を無視して絶対量で取り戻していたのです。この絶対量に戻せないときに若くとも引退となったわけです。つまり、活動量のキープが、もっとも大きな要因なのです。

 今はいろんなアドバイスが成されています。しかし、多くのケースでは、それこそが、その悪循環を固定することになっているのです。その理由は、少しあとで述べます。

 

○バッテリーについて

 

 バッテリー論を述べたついでに、バッテリーのことを参考までに引いておきます。

1ニッカド電池:頑丈、500回充放電。安定した放電、連続大電流、自己放電で容量低下しメモリー効果(使わずに充電したら減る)がある。カドミウムが含まれる。

2ニッケル水素電池:重い大きい、ニッカドの倍以上、充放電できる。(電気自動車、デジカメ、eneloop(パナソニック)などに使う)

3.リチウム(イオン)電池:500回以上充放電、軽い小さい、メモリー効果がない、自己放電少ない、容量大きい、高性能、コスト高い、過充電過放電を防ぐ回路がいる。(スマホなど)

 

○悪循環を断つ★

 

 いろんなところをたらい回しにされて、あるいは、転々と渡り歩いて最後にここにいらっしゃる方は少なくありません。中には、私の本を読んでいたのに、他のところをいろいろと回られて、またここにいらっしゃる人もいます。レッスンも他でいくつも受け、さらに海外に行って、あるいは、著名な人に会って、専門家、医師やプロデューサーにみてもらって…など、多彩な遍歴を経てきた人にもお会いすることが多くなりました。

 トレーナーにもいろんなタイプがいます。でも、一言で言うと、ほとんどが一匹狼、お山の大将です。それに対し、ここは、複数のトレーナー、プラス、外のトレーナーや専門家のなかで体制を組んでいます。

 最初に私が気づいたのは、ポップスのトレーナーの限界、スクールの限界でしたが、さらに医師や専門家の限界と、まさに挫折の連続でした。目標を高くすると、高くした分、大変になるわけです。

 いろいろと回っていろんな経験をすることはよいのですが、それを誰が位置づけるのかがないと、ただの悪循環にしかならないのです。限界は必ずあるのです。それは役割分担すればすむこともあるのです。ここも、声楽家や医師などをうまく活用しています。

 

○声の実力

 

 プロにもいろんな実力というのがありますから、一概に言えませんが、研究所は、声の実力づくりをメインとするところです。歌やせりふは応用として扱います。音声の基本をステージに通じるようにするところです。

 ですから、声の問題の根本的な解決を一言で言うのなら、先に述べた、バッテリーを大きくしていくしかないのです。

 「いろんなところでのアドバイスは活かせなかった」と、ここにいらしたなら、それらは一時、捨ててください。活かせるならそれを徹底して活かしてください。特に理論や分析など、もっともらしいこと、喉やその形状、あるいは、心身に関することで発声に関わる知識は、一度捨てた方がよいことが多いです。そこにこだわっているためによくならないことを、一貫して述べています。「あなたは音感が悪い」と教えられたら音程はよくなりません。医師やトレーナーが研究するのと、声を扱う本人がそれに囚われるのとは違います。何よりも、可能性を追求する前に限界を突きつけられてしまうのは、よくないことです。

 

○器での解決法

 

 ここからはバッテリーを器と言いますが、100の器として、これを回復させるアドバイスは、マイナスを元に戻すだけなので100パーセント成功して元通り、多くのケースは10080、充電して9070、さらに充電して806070506040のようになっていきます。あたかも加齢による体力の低下のような下がり方です。

 ときに、10080100のようになることがあり、問題が解決したように思うのですが、それは下がるのを少し後に遅らせただけです。どちらも現状回復や復帰を目的にしている時点で、成功して元通り、いつもうまくいくわけでないから、いずれ下がるのです。

 そこでテクニックでカバーするか、活動そのものを減らすことを選びます。トレーナーがそれをアドバイスするからなおさらです。

 なぜよくならないのかというと、根本の問題に向きあわず、楽に今しばらくを回避するノウハウだからです。☆それは付け焼刃にしかなりません。これは、衰えるのを遅らせるという方法に過ぎないのです。

 それなら、100100100と保てる方法があるのかというと、一つだけあります。次のように考えるのです。100%80%→50%となるなら、器を100125200とすればよいということです。☆

 この器というのと、小手先のテクニックは全く正反対です。喉の締め方などで高音や声量維持や、さらなるアップを試みるのは、もっとも初期に述べたように器を小さくして早い限界をつくっているのです。もちろん、器を広げるにも限界はあります。しかし、多くの場合、それを大してやらないままにきているのです。つまり、本当の基礎をやってきていないから、大きな可能性があるのです。

 

○回復の限界

 

 医者やトレーナーは失われたところを補充して戻そうとするのですが、それは調整であり、完全な調整ができなければマイナスが生じるのです。プロへのヴォイトレでさえ、この頃は、初心者のカラオケの点数を一日で上げるのと同じようなことしかしていないのです。長期でみるとほとんど効き目がありません。声そのものの問題にはアプローチしていないから当然です。

 理屈で納得してケアされて自信をもち、心身がリラックスした分、回復するという、これは、実のところ、プラシーボ効果です。このあたり、これまでの述べたことと同じです。

 医師としてプラスにすることについては0点、しかし、ヴォーカリストはあまりに基礎を学んでいないから、そのアドバイスが声に活きたら好調のときに近づくのです。それで彼らは治療の目的を遂げます。責任もそこまでです。

 医師の役割はケアであり回復であり、そこに限界があるのです。ですから、それを知る医師のなかには、ここを紹介してくれる方もいます。自分が何でも解決できると思う専門家はしょせん二流なのです。トレーナーは、まだそのレベルにも至っていませんから、彼らについて批判もできません。

 

2つの条件

 

 専門家やトレーナーにアドバイスをもらっても、30点、50点の対策では、何にもなりません。まったくの素人や心身が弱っているプロには、それが効いて解決したかのようにみえるので困るのですが、そこでは、フィジカルトレーナーやメンタルトレーナーにつくのと変わりません。いや、マッサージや整体師の効果のようなものです。

 それでは、声においての100とは何なのかということです。器×効率、これを、私は声の芯×共鳴と置き換えて説明しています。鐘ならきちんと突いて音にして、その響きを邪魔しないということです。本当はその2つが伴ってこそ発声は向上するのです。なのに、相変わらず、日本では共鳴オンリーです。それはどうしてなのかというと、声は変えられないと思っているからです。

 

○声を変える

 

 私は、「ヴォイトレは声を変えること」と考えています。そこは当初から述べています。ただし、声を変える必要を感じない人には不要、いうなれば、ヴォイトレも全ての人に必要とは思っていません。しかし、ヴォイトレするというなら、そこからということです。

 そう絞り込まないと、なぜ一流の歌手や噺家にヴォイトレができているのかわからなくなります。声楽も、そのトータル条件となると目的が異なるので、ここのヴォイトレは、声楽の基礎のところに重なる、ゆえに分担をしています。このあたり、声をどのようにし捉えるかをしっかりと確立させていく必要があります。

 

○芯と共鳴

 

 芯―共鳴とは、基礎―応用ともいえます。私のヴォイトレのメニュでは、「ハイ」―「ラララ」です。「ハイ」といえないところでは歌えない、が判断の一つですが、日本のプロの歌手には必ずしも当てはまりません。声楽家でさえ、分けている人の方が多いでしょう。でも一流なら区別しません。語りのなかで歌い、歌のなかで語ります。

 共鳴は、使い方、技術です。そこでは、弱い声でも響かせ遠くに伝えられます。そこから入って、芯を確実にする、そういう方向が声楽の正道のようです。発声-共鳴の結びつきをつけていくのにわかりやすいのは、確かに声楽のメリットです。まとめておくと、

基本:器 芯 「ハイ」

応用:効率 共鳴 「ラララ」

 この辺りは、私はデビュー本に、100の器で70パーセントで歌うのと、200の器で50パーセントで歌うのとを比較しています。その結果は70100、器づくりが大切、優先というようなことを、この通りではありませんが、声の器の必要性、いや、有利なことを述べています。ずっとそれを通してきましたが、世の中も、ここにいらっしゃる人も、トレーナーも、ヴォイトレも、時代とともに変化していったのです。

 

○変わらないもの

 

 とはいえ、相手に合わせ、現状に合わせ、求められることに合わせて応用していっても、基本は残るのです。なぜなら、私の基本はそこにあり、それは体についた声ですから、離れようも疑いようもない、そして、どの分野でもそこを活かした一流の人がいるからです。

 ただし、歌の声に関しては、日本において劣化が著しく、まさに応用しかなくなりつつあります。研究所にいらっしゃる7割の人には、トレーナーが声楽のベテランで、役者、声優から一般の人の声を熟知している人であれば充分に務まります。つまり、他のスクールでも、すぐれたトレーナーには、そこをもっている人がいないわけではないのです。

 

○担当をする

 

 プロが10人いるとして、その担当は

1人 私だけ

2人 (私と)ここのトレーナー

3人 ここのトレーナー

4人 ここのトレーナーと他のすぐれたトレーナー(医者なども含む)で割り振る

 で、計10名、こんな割合でしょうか。

 ここのトレーナーは、共鳴とともに芯を重視しています。呼吸や発声、共鳴での器づくりをできるのは、マイクのないところで鍛えられた声楽家や邦楽家の強みです。そういう基本は、万人に有効ですが、トレーナーによってかなり違います。また、いらっしゃる人のタイプ、レベル、目的にうまくマッチングさせることが問われます。そこで、私の役割もまた、総合的にみるコーディネーターになりつつあるのです。

 

○本当の問題は、一声

 

 私が「アー」という一言、一声の違いに気づき、海外の人との差から、研究所を創始したことは述べてきました。私の幼さで、最初は、声のパワーの違いしか理解できなかったとはいえ、そこは伝わるということなのですから、必ずしも間違ってはいなかったわけです。声のなかで声量はベースであり、ヴォイトレのコアです。なんといっても、声が聞こえなくては、歌もせりふも伝わらないのです。

 しかし、声量そのものが器ではないし、声の大きさや強さが歌ではありません。特にここが、日本人の歌から、役者や声優、アニメよりも洋画吹き替えに需要が多くなっていったのもわかります。

 

○分野、ジャンルをはずす

 

 いろんな考え方がありますが、本当の基本は、分野やジャンルを超えるのです。それが、この30年くらいの日本における、お笑い芸人の声力の強さとあらゆる分野への進出です。

 歌手や声優でなく、その人一人の人間のレベルで捉えなくては何ともならないのです。なのに、あらゆる動きが現象だけに左右されていっています。それをみている本人やその背後にあるものでなく、森でなく木を、トータルでなく部分を見てしまっているのです。ですから問題の捉え方からレベル、次元を変えなくてはいけないのです。

 つまり、今問題としていることは本当の問題ではないのに、それに囚われているからどうにもならない。仮にどうにかなっても本当には解決しないということです。

 問題の取り上げ方が間違っているとは言いませんが、先に限界を設けて、その中で行ううちに、本来の可能性を狭めているのです。

 目的を、ピークの力に戻してそれでくり返すだけにしている、ということです。次元、レベルを上げていかなくては、必要性、目的を高くとらなくては大きく変わりようもないのにです。

 今そこに限界を続けてどうするのでしょうか。私の、早く限界にする、というのは、もっと先に最高のレベル、心身を使い切ったところでの限界です。そこでの問題を解決して次元をアップするというところなのです。くれぐれも学校のテストと実社会の問題を混同するようなことはしないでほしいのです。

 

○効率と優先度

 

 効率化というのは、日本人の得意とするところです。元より、加工業で発展した国、基礎部分より応用のうまかった民族です。

 声の効率化の一つは共鳴です。私は「共鳴の専門家は声楽家」と言ってきました。が、民謡や声明、詩吟、長唄と、およそ節といわれるものを扱う専門家は、共鳴を第一にしています。

 元より、芯と共鳴も、発声と共鳴もどこで分けるかというとイメージでしかない。ことばのなかで母音は、共鳴の中に含まれるものです。ハミングや一部の子音もそうです。となると、呼吸の吐気と声のところに音が成り立っているかでわかります。ささやき声、ため息、くしゃみ、生理音は分けておきます。

 要は効率なのです。最少で最大の効果を上げるということです。バッテリーなら最小にして、軽いのにすぐ充電できて高出力、長時間もつということでしょう。安く早く大量に生産できるとしたら生産効果率大、簡単に安く長く使えるならコストパフォーマンスがよいのです。期間、楽さ、パワー、持続時間、どれを優先するかでも変わります。

 

○日本のヴォイトレ

 

 日本で最も変わってきたのは、芸とは10年どころか一生かかるものであったのに、それを早く一定の水準までを目標にし出したところです。そこでプロといえるようになったこともあるでしょう。有名大学に入ればOK、有名企業に入ればOK、アナウンサーはTV局に入れば、すぐになれる。年齢優先の日本においては、「早く」が元より大きな価値です。ですから形から入り、そのまま応用で現場に行くのです。

 もう一つは、見えることに囚われることです。すぐに高い声、3オクターブ、カラオケで○○点とれる、など。歌では、声域や高い音に届くという、声楽ならともかくポップスなら無用の価値観がはこびりました。(ポップスはkeyが自由なのですから、自分で移行したり編曲すればよいのです)声域もそれなりにあった方がよいとしても1オクターブそこそこくらいで充分、まるでクラシック(他人の作品を、その時代のものとして、そのまま歌う)です。

 かつて、声の大きい人が歌手や役者、アナウンサーの条件だったのですが、その後は、あまり声量や共鳴に問われず、他の事の方がテクニカルにノウハウが高まったこともあります。☆

 

○声の音色

 

 声の音色は、その人の生まれつきのものとしてタッチしなかったのも大きいと思います。発音(ことばの読み)、音程(音高も)、リズム、この3つが歌の基本要素ですが、昔はプロのなるレベルでは、アイドルを除いては、音色の魅力であったのです。

 一方で、ヴォイトレは、ポップスでは、メロディが覚えられない、楽譜が読めない困った歌手やアイドルの即興にピアノ伴奏のうまい作曲家が教えていたわけです。未だ、ヴォイトレの条件は、そのあたりがわからない人の補助のままにきているのですが…。

 ここまで、声を変えるとか、共鳴と芯のこととかを述べてきました。それは即ち、音色ということになるわけです。ヴォイトレは、音色においてのトレーニングなのです。しかし、音色は、声色、声質など、いろいろと言い替えられますが、実に捉えにくいのです。私は、100以上の音色を声のマップとして発表してきました。参考にしてください。

 

○共鳴の効果

 

ここから、再び、音色の加工法として共鳴に戻して追及していきます。声を×2、×4、×8、×16、別に2乗でなくてもよいのですが、倍々に響かせるには、邪魔しないことです。発声した時点で共鳴は生じていますから、呼吸量=1で1の声と限定します。長く響かせるのには呼気で長くするのですが、そこで関わってくる要素は、声量=声の強さ、声域=声の高さ、発音、長さ=ビブラート、これは歌唱での長く伸ばすときの音の効果的な動きとなります。

 シンギングフォルマントということで、音色から共鳴を調整してオーケストラを抜けていく倍音成分の構成をつくるのは、オペラ歌手の必修です。テクニカルなようにみえて、ビブラートに似て、正しく、あるいは深くできていくと、しぜんとあるところまではよくなっていくのです。その前にもっともよくできる発音で、もっともよく出る音の高さで伸ばしてみることが共鳴の第一歩です。ハミングなどを使います。

 

○待つ

 

 大切なことは、共鳴をさせるのではなく、共鳴しているのを使って発声をしっかりと支える呼吸を育てることです。芯を確保して、体-息―声を一本化させること、そのズレをなくすことです。☆

 共鳴について、あててはいけない、当たるのを待つ、共鳴させるのでなく、共鳴するように、述べてきました。

 結果として、よしとすることを、先に結果をもってきてそのように固めるのは却ってよくなくなります。(ジラーレなど発声の技法などのデメリットについても同じです)☆

 天性のヴォーカリストが歌っているなかで伸ばしてきたのは、効率・効果よりもパワー・器であったはずです。器が小→大へ、元より大きかった人もいますが。それが器の限界によって効率化、つまり技術でカバーしようとしたときに、器が固定され、どちらかというと、そこから小さくなるのです。

 つまり、100パーセントの出力ではうまくいくわけがないから、70パーセントで同じ出力のようにみせる、それが技術でもあるのです。そのうち、歌が声に頼らないでステージパフォーマンス力でみせていく方へ行くのが、多くのパターンです。つまりは、シンガーからエンターテイナーに、です。

 一流の歌とカラオケやディズニーランドの歌との区別のつかない人、アートよりエンターテイナーとして歌を取り入れてきた人、また、そういうのを期待するお客がファン層なら、この移行は早くなります。

 

○音響や技術に頼らない

 

 音響は使いようによっては、歌い手の実力、特にパワーを損ねます。技術任せのところがあります。本来は、さらにパワーアップさせるものなのに、パワーダウンさせてしまうのです。パワーダウンしてももつように、カバーの手法として使われるようになってからは、なおさらです。☆

 マイクのリヴァーブ、アレンジや伴奏、ヴィジュアルなどの演出要素、装置なども補助であったのに、メインになりつつあるのは同じようにみてよいでしょう。

 私は、ヴォイトレでの声はアカペラ、マイクなしで問うことにしています。歌もそこをベースにしています。ヴォイトレですから。エレキの力で身体の延長というならともかく、最初から身体を離れて拡大させたら本人もわからなくなってしまうでしょう。となれば、発声技術も同じリスクをもっているとみるべきなのに、なぜそこに気づかないのでしょう。

 

○つくらない

 

 なぜ、声楽○○年の人の歌がポップスの若い歌手に負けてしまうのでしょうか。これは分野や価値観、好みではありません。多くの場合、声や歌をつくりすぎているからです。その人の声のようでいて、その人のものでないからです。それでよいと思っているからです。本人が歌に負け、歌を超えられないのです。オリジナルの声がメインになれば、歌い手の実力差はなくなっていきます。個体の違いになるからです。

 

○不調時のための技術

 

 結論としては、技術は、不調のときにその場を凌ぐのに使うものと考えるべきです。☆

 その点では、私の述べている調整のヴォイトレにあたります。不調時にプロとしてみせるためには、1.体力、ステージに立てることです。2.声力、器、大きいこと、鍛えて底上げしておくのにヴォイトレがあると述べています。3.技術、と私の手順は、不調時といえどもこの順番です。

 すごく客のレベルの高いところでは1だけでは通じないのです。体力があっても声力、歌力がなければキャンセルです。日本の観客は、聴きに来るよりも会いに来る人が多いので、特別に甘いともいえるのです。

 

○遅く深く

 

 器が大→小、これを効率を高くしてもたせる、これが、技術を学ぶことの意味ですが、私の優先順では最後です。効率化で早くうまくなるというのは、本当の芸が遅く深くあるのと反対だと、何回も論じてきました。

 早くということが、レベルが高く深くなる条件として、早熟であることという例はよくあります。芸能の世界でアーティストは、幼い頃から始めていることが多いのです。そのメリットは、膨大な無駄、無理ができて鍛えられること、多様性がもてることと思います。

 声は時間がかかるものです。歌やせりふは一日で変わっても、声は一日で変わりません。体だからです。しかも、声変わりという難問があります。

 

○早熟の限界

 

 早熟であっても、器は(大)→小→大、としていくことです。これは、大人の体になって、以前の声が合わずに小さくなったというのを元に戻すのでなく、さらに大きくする方向にすることなのですが、多くは忘れられているのです。

 早熟なヴォーカリストの例では、若い時の(大)は、基礎も技術もあったのではなく、感覚で体が一致していた、長いビギナーズラックだと見た方がよいのです。ですから(大)と()に入れ、小になったのでなく、その一致でしか(大)でなかったのが小に戻った、そのために、ほとんどの人は、二十歳過ぎたらただの人状態になるのです。

 変な例えですが、それではオペラやミュージカルの主役級のオーディションを通るのは難しいということです。これも、よい例ではありませんが。

 ともかく、表面的なもの、理論、説明やちょっとした実験、小手先のマジックに気を取られるのでなく、本質がよみとれるのかが、全てなのです。そこを学ぶべきなのに、あたふたバタバタと、声を、そのキャリアを蓄積するのでなく、疲れては休むことだけで、ただ浪費していませんか。

 

○出口からみる

 

 共鳴-発声―声の芯と捉えるのはシンプルでよいと思います。☆

 歌からチェックしてみるのは出口、目的からの見方です。これは今の私には必要です。

 歌からしかみないトレーナーと体からしかみないトレーナーについて、以前に対比しました。そこに到達レベルを合わせるのでなく、そこがらくらくとこなせるところへ、その条件において、必要なものを身につけて基礎とするのです。

 ある音に届かせる目的の人と、その音で表現する人では、伸びしろが違います。あるいは、オーディションにギリギリで通ろうとする人と、そこの主役を目指し生涯トップで活躍しようと思う人では、毎日のトレーニングが違ってくるでしょう。イメージ一つ、考え方が大切という例えです。

 で、歌からチェックすると、歌が雑になるので、完全なロングトーン、完全なレガートを第一の目的の結果とします。もっともよい高さ、大きさ、長さで音色をベストに伸ばすと、呼吸とビブラートの力がみえます。歌でも原曲無視で、テンポとキィはもっともよいところで、できたら低くゆっくり目で、声を養うつもりでくり返すようにしましょう。

 

○基本フレーズでのメニュづくり

 

 歌唱のフレーズでの基礎は、メロディのついたフレーズ(4小節)ですが、発声ならロングトーンでよいと思います。(「メロディ処理」は、拙書参照のこと)これで歌と声の基礎力もわかります。これをパーフェクトにしていくことを目的というよりは、プロセスで踏んで欲しいと思います。すると体―呼吸の大切さも必要なこともトレーニングも、その意味もわかってきます。歌や発声でなく、それで歌や発声のための呼吸、体を身につけるのです。

 具体的にというなら、

A. もっとも出しやすい音高

B. もっとも出しやすい声量

C. もっとも出しやすい母音(子音をつけた方がよいことが多いので、子音+母音でよい)

D.もっとも出しやすい長さ

ロングトーンですから、長さを5秒、10秒、15秒と変えましょう。

 「アー」と多分1音の母音はけっこうやりにくいです。5音くらいをレガートで続ける方が楽です。高いなら「マーマーマーマーマー」低いなら「ガーガーガーガーガー」。各音の結びつきで切れ目が出ないようにしましょう。

 メトロノームに合わせ、各音、2秒(計10秒)、3秒(計15秒)、4秒(計20秒)、としてみます。この辺りは、基本メニュとして他に詳細に説明してあるのを参照してください。

 a高さ、b強さ、c発音、d伸び(長さ)とすると、特にabの掛け合わせで大きく変わります。高くなるとcでも変化は見えやすくなります。長く伸ばすと、もっとわかりやすいでしょう。

 これを徹底していくと10年は課題に悩みません。課題は力をつけるためですから、できなくても悩まなくてよいのです。こなしているうちに、こなせてもこなせなくても力はついていきます。課題をこなすことでなく、力をつけることです。☆

 こんなことさえくり返し述べなくてはいけないほど、指示待ちの人が多いのです。課題からつくらせる、それをつくる力をつけさせるのが、私の方針です。☆

 

○パワーダウンの理由

 

 発声のメニュをこなすのに発声の効率は欠かせません。もっとも、早くできるようにするなら「声を小さく丁寧に」とトレーナーは教えるかもしれません。それでできたとしても、できたのではなく、それは声量のマイナスの上にトータルバランスを変えただけです。

 いちいち一喜一憂して小さいことに囚われず、淡々と、黙々と続けてください。

 ヴォイトレも基礎の力、地力や底力がつけていくのでなく、調整し、テクニカルに解決して行く方向になりました。それが最近はヴォイトレのメインのように思われているように私はみています。そんなヴォイトレばかりだから、パワーダウンして器も小さくなり、声は当然、歌の魅力も失われるのです。

 しかし、日本では、声のないのを固めて、音響の力でプロデュースする人が主流となって、こうした基礎がなおざりにされています。固めてできるなら、それでよいでしょう。くせのついた声は、他の人がまねるとリスクは大きく、得られるものは少なくなるのです。本人はよくとも、その声や歌に憧れる人は少なくなります。日本の今の第一線のプロ歌手が、声としてヴォイトレのよい見本にならないのはもどかしいくらいです。結果として、歌のレベルや歌手の地位を下げていることになるわけです。

 

○ハスキーとシャウト

 

ハスキーな声に憧れて声の状態を悪くしてしまうのはよくある話です。クラシック風を嫌い、ロックに憧れる人なら当然です。特に海外の、です。

 シャウトについての勘違いがそこに拍車をかけます。要は、芯がない、浅い声でのシャウトは、生声ですから、共鳴、効率が悪く喉に負担をかけ、ロスをする。ですから、とても大きな器があるか、そうでなければ、芯のついた声での最小の負担にするコントロールが必要なのです。効率よく声になっていないのを動かすのは、遅かれ早かれ、喉にも声にも限界をつくり、バッテリーを消耗させます。

a.声の芯あり 深い声 シャウト 共鳴あり ハスキーヴォイス リスク小 

b.声の芯なし 浅い声 どなる、がなる 共鳴なし 生声 リスク大

 それゆえ、海外のロックのシャウトは、オペラ歌手との共演も可能とし、オペラの曲さえこなせるのです。(マイクを使ってですが)純粋な共鳴の声量では、オペラ歌手にかないませんが、感情表現や声のコントロール、伝える力では負けていないのです。

 日本語では浅くなりがちですから、声の芯を捉えておく(このケースでは、声のポジションと言う方がわかりやすいでしょう)、そこで深い日本語に深い声でする、芯を得てから動かす点では、これまでの自論で述べた通りです。

 

○一般的な声

 

 日本人に声の芯が全くないのではありません。ただ、幅が狭く、それを応用できないのです。会話では、声を高めに浅く出して、息をあまり使わないからです。

 歌唱で共鳴(頭声)だけにするタイプ(b1)と別に、ハスキーあるいは息の声でつくるタイプ(b2)は、スタイルとしては全く別のようにみえます。しかし、芯がない、胸声や呼吸の支えに欠ける点ではよく似ています。

 女性では裏声だけで歌い、話す人もいますから、前者(b1)は女性ではよくないとはいえません。むしろ、日本では一般的です。女声コーラスなどにもみられます。透明なきれいな声でもあります。個性や感情表現に向いていませんが、ヴォイトレでも、その声で比較的よく行われています。目標とするレベルも、そこへのプロセスもわかりやすいからです。どちらかというと、個性のない声で、ミュージカル俳優の歌声、ハモネプ、合唱団、唱歌の類です。あくまで声だけのことで、皆、似てきます。むしろ、ルックス、表情、演技での個性をファンは評価するのです。日本らしいところです。

 私が初期にアンチテーゼの対象としていた、このあたりの見方については、たくさん述べてきたので、そちらを参照してください。ここでは、b2の息でつくるタイプについて述べます。

 

○鼻息、ハスキー声の問題

 

 ポップスでは、マイクが使えるのでウィスパーヴォイスでも伝わります。しかし、それは応用として考えた方がよいでしょう。息声、ささやき声は、声にしないために声帯は休まりますが、喉は動くので疲れます。声にしない分、共鳴効果はゼロですから、力が入ったり乾燥したりして痛めることもあります。

 メニュとして、息で読むことを勧めているトレーナーと、それに否定的なトレーナーがいるのは、そういう考え方の違いです。目的が違うのです。そこを理解せず正誤を考えても仕方ありません。

 私の基本ルールは、どのトレーニングにもメリット、デメリットがあるということです。メニュでなく使い方によるということです。どのトレーナーにもよいところも悪いところもある、それを知った上でよいところを活かし、悪いところに囚われないことです。(一時、悪くなってもすぐに気にしないこと、ヴォイトレは必要悪と私は述べています)☆

 で、日本人の最近、といっても、ここ30年くらいのハスキーは、つくり声の場合が多く、この息声のような問題をはらんでいると考えるとわかりやすいでしょう。

 「息を声にする」というのを、これまで発声原理の声の“発生”で述べてきました。普通に「息が声になる」のを意図的に考えると不自然、作為的であるのです。

 共鳴する母音に対して、共鳴しない方の子音、無子音、kstなどです。カ、サ、タではありません。「s―」は息のトレーニング、「z―」となると声のトレーニングです。

 つまり、声になる息はよいのですが、声にしない息はリスクをもちます。前者の息は声の基本ですが後者のは声の応用です。

 簡単に言うなら、ハスキーな歌声は、健康的な声帯なら、ワンクッション加工しているということです。フルスイングのフォームで打つところをハーフスイングでボールに当ててしまった。イチローのように、フォームのなかで微妙なコントロールができるレベルならよいのですが、プロのなかにでもそうはいないでしょう。それをまねるとぎこちなく、中途半端になり、そのふしぜんなフォームは、腕とか腰とか、どこかに部分的な負担をかけて痛めたりするリスクを生じるということです。要は、体の原理に合っていないのです。合わせるには、よほどの基礎がいるということです。

 

○振付と声

 

 声を中心に考えると、声が出やすいように体が動くわけです、それを「芯→共鳴の発声の原理」とします。感情を伝えたいときは、そういう声が出やすいように体が動いているわけです。同時に生じることですが、先に表現のイメージがあって、体と声がそれに従うのです。

 たとえば、「誠に申し訳ありません」と言うと、体は申し訳ない動き、声は申し訳ない響きになります。もっとストレートな感情、例えば、ガーンとぶつかり「痛い!」、鉄板に触り「熱い!」と言うときは、イメージもなく条件反射として声が出るわけです。

 このように、動きと声は結びついています。ヴォーカリストのアクションもそういうものであったはずです。声の延長上に動きがついていったとしたらしぜんになります。その動きを止めると声が出にくくなります。つい先日、TVで「五木ひろしの振り付けをつけると、カラオケの点数が上がる」という裏ワザを放映していました。秋吉久美子さんでした。

 

○演歌

 

 歌手の東海林太郎の直立不動は、極端としても、声楽家がポップス歌手になったとき、発声、歌唱を中心とした最低限の振りだったのです。今の秋川雅史氏よりずっと少なかったです。

 それが歌詞の内容をも伝えようと演出が入ってきて、さらに、決めポーズなど見せが出てきます。歌唱に影響のない範囲で許されていたのものが、少しずつ切り離され、振付の専門家がつくようになります。

 例えば、その人がライブで歌うようにしてレコーディングしているかと考えると、声と結びついた動きがどうかはわかります。声優さんが動きながら吹き込みしないのと同じく、美空ひばりさんとても録音の時に振付はしなかったはずです。ですから、そういう振りは見せかけです。もちろん、録音の条件として動くとぶれたり、他の音が入るという制約もあります。

 五木さんはどうなのでしょう。あのポーズでレコーディングはないでしょう。直立不動でもないはずです。

 

ダンスと声

 

 歌がエンターテインメント化してヴィジュアル化されたというのは、シンプルにはTVですが、PV(プロモーションビデオ)でのマイケル・ジャクソンが徹底させたということでわかると思います。日本でもダンスミュージック、いや、ダンスをしながらの歌のステージが当たり前になってきました。

 振付師はマイクを持つ手のことは考えますが、あとは音楽と体とコラボさせているのでしょう。歌のリズムや一部サビなどの構成とリンクはしますが、発声や共鳴などまでは考慮していないと思われます。ハードな踊りになると、歌は口パクで音源のを流すわけです。ダンスパフォーマンスでみせるステージングは、なおさら、個人としての声の重要性がわかりにくくなります。

 それなら、喉に支障ありませんが、ハードな振付と歌うことは両立はしがたいのです。呼吸が乱れるからです。大体は、どの分野も、声は映像に合わせ後から入れるというのが主流になっています。

 本格的な歌い手ほど、声やことばを重視して最低限の動きでパフォーマンスを押さえることになります。これもバランスをどこに置くか、個性、売りによって違うのです。

 ヴォイトレからは声を中心、共鳴中心、喉の負担最小を基本とします。すると、声量を出さないでリスクを避けるとなり、それをことばでカバーする。となると、ことばも歌えて共鳴できるところ、楽器的な処理ができるレベルならよいのですが、大体は、このプロセス全体がロスになります。

 

○朗読、MCと声

 

 よく、初心者に、「声は出さいとだめだが、話をしすぎてもいけない」「ことばでなくハミングや共鳴の発声練習をしなさい」と言うのも、話が声をロスするからです。

 普通の人が話で声を鍛えること、コントロールすることはかなり難しいのです。しかも、相手がいるとふしぜんになりかねず、心身に余計な妨げが入るのでよくないことが多いのです。

 といっても、全く声を出さない生活をするよりはずっとましです。

 声のためには、例えば、歌ったあとの朗読はよいですが、逆は難しくなります。特にMCでのシャウトなどは、盛り上げるためとはいえ、声にはロスです。コンサートの後の握手会の会話、もっとも声を休ませる必要のあるときに非情です。

 本来なら、昔のようにMC役を専門につけ、歌手は歌に専念したいものです。それがMCでステージが判断されてしまう、しかも、歌の間内容の補充としてのMCでなく、世間話や楽屋話のMC、という日本のステージはかなりおかしいのです。MCの間が歌に入る、さだまさし型ばかりなのです。彼は元より噺家志願のヴァイオリニストでしたから。

 

○よい表情の笑顔で歌うのか

 

 ついでに、表情づくり、これも、声の発声、共鳴とリンクします。感情表現では表情も変わり、それに合った声も出ます。ここは応用です。それと発声、共鳴の基本は違います。

 歌は笑顔で歌うと教えられてきた人は、そのメリット、デメリットを知っておくとよいでしょう。口角が上がり明るく響く声が出る、歌も笑顔もポジティブ、前に人に働きかけるよい印象を与えるレベルでは一致します。

 ですから、表情筋のトレーニングを体の柔軟運動のようにするのはメリットの一つです。必修ではなく、あまり動かない、表情の硬い人のメニュということです。私の本のメニュにも、一般の人用に入れています。アイドルでもなければ、歌手は常に笑顔で歌っているわけではありませんね。つくった表情はあまり発声の理想と結びついていないことも多いのです。

 

○表情の振付

 

 笑顔は、表情の振付ともいえます。メイキャップとも似ています。歌唱力+ダンスでなく、ダンスで歌唱力を補うのと同じく、表情で歌唱力を補うようになってしまっているのです。

 私のヴォイトレは、無表情で行ないます。応用は魅力的な表情ですが、ベースは自由度の高いポーカーフェイスのはずです。

 基本だから表情がおかしくても、声が出やすいことを優先します。人によって、プロセスによって、メニュによってはポカーンと口を開けて言ったり、脱力したアホな顔などの方がよいときもあります。

 こういうベースラインをつくるという考えを母音でも例えてみます。声からみて、応用とは、ア、エ、イ、オ、ウを明瞭に区別する発音とすることですが、基本はもっともよい発声に全ての母音を揃えていくこと、つまり、発音は不明瞭になってもよいとするのです。

 

○遠回りをする

 

 長期的にみて、本当の基本づくりをしているトレーナーを、そうでないトレーナーが否定するのは簡単です。トレーニングをしたら 

1. 発音が悪くなった。

2.高いところが出にくくなった。

 音程、リズムが悪くなった、のりがなくなった、暗くつまらなくなった、カラオケの点数が下がった、裏声ファルセットが…、その切り替えが…、声量が…、何とでも言えます。でも、声そのものをトレーニングしているときに、それ以外のことも同時に必ずしもキープできるとは限りません。むしろ総合的バランスをとろうとする限り、大きく変えようがないのです。

 ですから、多くのトレーナーは、ここでよくなくなったということがないように考えてやらざるをえません。それぞれ少しずつよくする、応用で応用力をつけようとしているのですが、それは、歌を歌うことで直そうとしていることと同じなのです。

 歌っていない人は、歌ったら慣れた分よくなり、慣れた分、限界がきます。そのまま無理したり、そのくせを少しとっても12割よくなって頭うち、早くよくなってそこで伸び悩むと、述べたとおりです。

 

○歌でなく声でみる

 

レッスンにいらっしゃる人には、次のことを尋ねます。

 急ぐのか、時間をかけるのか、元に戻すのか、さらに上に行くのか。その上で、本格的にか、趣味か、など。ミュージカル 声楽(オペラ)との関連もつけます。

 歌い切った人は、その限界からスタートですから、却って開き直してゼロからできます。ですから、あまりやっていない人は早くやって壁にぶつかってから来ていただくか、そういう無駄をせずにここにきて基本から取り組むとよいのです。

 声をよくするのがヴォイトレ、それは歌をよくするのでなく、結果、よくなるのです。それをハイレベルにしたければこそ、トータルの歌って歌をうまくするところから部分に絞り込むのです。

 試合だけでうまくならないから各要素の強化練習があるのです。しかも、その人によって優先すべきことや重点とすることがあるのでしょう。それを声、体―呼吸―共鳴に求めているときに、なぜ、他のことを介入させ、複雑にして、どれも中途半端にするのでしょうか。それは、表面に見えることだけのよし悪しで判断して本質的なことを捉えていないからです。

 わざわざヴォイトレをするなら、歌っていればうまくなるはずの歌でうまくいかないからこそ、ヴォイトレという必要悪に取り組むなら、本当に必要なものを手に入れてから、他の要素を再び整えられたらよいのです。

 声が変われば歌どころか、発音もリズム、音感、メロディのこなし方も感覚が違います。マイクを使うことを、第二の声帯と言う人もいますが、それ以上の変化を第一の声帯に起こすのです。(正しくは、声帯は変わるもので、楽器として身体ということになります)

 

再現性とタフな声

 

 くり返して同じにできること、私は1日に12時間以上の個人レッスンを教えていて、自分がレッスンに通った時よりも声が鍛えられたと思いました。まさに、日常が声を出す毎日でした。そのときにわかったことがあります。よい声と、強い声、タフな声、ハードに仕事に使える声は違うということです。もしかすると、日本では、よい声が歌声、タフな声が仕事の声という仕分けなのかもしれません。

 そのときから今に至るまで、私が使っているのはタフな声です。ヴォイトレのトレーナーですから、それが声の見本と思われる人もいます。出来上がってしまっているので、私としては、そのなかに働くシステム、つながり、系を感じて欲しい、そこは同じなのですが、出してくる声は応用されてしまっているので、TPOで違ってしまってもいるのです。

 

○オペラの声

 

 オペラ歌手には、それを地で出していて、いつもオペラの姿勢でいる人もいます。発声のトレーナーにもいます。欧米では、その姿勢、発声は、日常ベースですが、日本では日本語の発声ポイントが違うので違和感をもつ人もいます。

 声が立派すぎるのです。つまり、響き、大きく鳴るイメージです。私は、謙虚でシャイな日本人のまま、日本では生活したいので、やや猫背に、普通の人の域に浅くしていますが、それでも人よりは響いてしまいます。いわゆる役者のベース、声がよいといわれる人の要素が入ってしまうのですね。

 アンアンのアンケートでは、今のよい声の代表は木村祐一さん、少し行きすぎると麒麟の川嶋さんの声です。

 オペラ歌手や邦楽の歌のポジションもとれます。深くを浅く、胸声を頭声、ときに鼻に、共鳴のバランスを変化させたらまねられるのです。深いポジションを喉声とか、押しつけたと捉える人が日本には多いのですが、それはイメージでまねてみてできていないものを無理にそういう深さにしようと、自ら押しつけるから、そういう感じになるのです。その人をまねたり感じるのが喉声ですが、私や深い声の役者、オペラ歌手は全く違うのです。ちなみに、基本がなければ、その声を8時間、いや、23時間も使ったら声がおかしくなり喉がもたなくなるでしょう。私たちは、一切変わりません。腹筋などの支えが疲れるのですが、それこそ「喉でつくってない」ということです。

 

○固めるな

 

 再現性の判断で、もっとも間違いやすいのは、深ければ何回も同じようにくり返せるということが、逆に何回もくり返せたら正しいと思われることです。例えば、声量をミニマムにしたら30分、もたない発声でも、何時間ももたせることができます。同じ声でということを意識すること自体、基本に基づいた声となるよりも、固めてつくった声になりやすいのです。わかりやすいのは、声量のある声、通る声で、ずっと何時間も通せるかということでみるとよいでしょう。

 私が歌声ということばを使うときは安定するために固めすぎているという、よくない意味のことが多いのです。先に述べた、クッションを入れて、息声でせりふを読むのに似ています。

 確実性をとると、コントロールもされている出し方ができるのですが、一体ではないのです。体や呼吸とともに育っていく声、可能性のある声でなく、限界を設けてその手前で切り取った声なのです。極端に高い声とかハイトーンで3オクターブ以上の声がすぐ出るなどというヴォイトレは、これを狙ったものです。多くのトレーナーや本人は、そのような声が正しい発声で解放した声だと思っています。もちろん、それまで、もっと喉で固めた生声を出している人は喉を解放し、共鳴に固めたのですから、解放感はあります。共鳴を固めるは、焦点の絞り込みということでは、一時、ヴォイトレの目的になるのでややこしいのです。

 カラオケなどなら明らかに上達したようにみえるからです。そこからのアプローチが有利な人もいるので、さらに応用のようなファルセットや裏声からの入門も私は否定していません。しかし、そこが目的であると、響くだけの声を響きを抑えた声にしただけで、特にことばやリズム、強弱、つまりメリハリの方で限界になるのです。いわば、表現力の支え、本人の個性のよりどころを失っているのです。

 

○くせについて

 

 固める―解放する

 喉―共鳴、頭声

 歌声のくせ声も、話声のくせ声も、どちらもくせというのは、部分的に固めてそこでの処理はできる、しやすくなることもありますが、自由度、応用度を失うということ、つまり、限界がみえる、切り取りなのです。

 歌はそういうものだ、その時点でまとめて作品にするものだ、という考え方もあります。作詞作曲とのコラボですから、別に音色や偏りが個性、魅力となっても売れることもあり、売れるなら人の心を捉えているともいえるのです。

 しかし、本当に再現性のきく発声こそが基礎であるのです。そこで再現しやすい歌声という固め方を学ぶ、その技術がヴォイトレと思われているとしたら残念なことです。日本のプロではそのタイプが大半です。  

 日本は日本語の問題があるので、しぜんな話し言葉と歌がリズムも含めて異なるため、あえて、固めてつくって、その範囲で動かす方が安定し、心地よくもなります。

 そのセンスに秀でていることで、桑田圭祐さんなどは評価されると思うのです。彼の日本語はそういう固めたなかでの音楽的日本語です。(だから見本として、お勧めしてはいません)私の述べてきた、目指すべき音楽的日本語とは異なるのですが、口内での音楽的日本語、音楽的発声です。ここで音楽的というのは、音声としてのことばより音楽を優先させたということです。歌と切り離して声だけでみなくてはわけがわからなくなるので、声、ヴォイトレを区切っているのです。

 

○一体化した声

 

 私は「体が動いたら声になっている」のを理想としてきました。そこには呼吸―発声がありますが、呼吸法、発声法は、身体化されてみえません。器が大きいからミニマムでマックスが出るしコントロールも自在なのです。それが歌までいくと、話して語る、つぶやくように歌える一流歌手になれるでしょう。

 日本で語るように歌う人は、必ずしもこの体―声の上に乗って一体化していません。もしそうなら、叫んでも、誰よりも声を届かせられるでしょう。大体は、声域確保、共鳴(それも頭声だけの)オンリーでこなしているのです。ただ自分の感性とそれに合わせた曲づくりの才能で一流なのです。

 ハスキーヴォイスも、日本のケースでは、一体でないから、お勧めしていないのです。応用でみせるものが基礎のなさで出てしまっている、そういうややこしい判断です。

 そこで、私のいつも述べている、体→表現と表現→体の行ったり来たりの流れを再び確認して欲しいのです。元より、一体のものをトレーニングをするのに区切ったものです。そこでうまくいかないことに頑張って固めて狭くするのでなく、うまくいっていることを最大限に伸ばして解放し、広くする、そういうふうに方向をとって欲しいのです。

「本日のレッスン(肉体マネジメント)」 No.302

○バランス

 

 歌やせりふをよくするのは、バランスを整えることになります。今の、呼吸―発声―共鳴に100の力があるとしたら、それの70%で完全な円をつくるようなイメージです。体―呼吸―発声、その発声も、発声-キープ―終止となります。

 もっている息を均等に同じスピードで吐いて確実に声立て、声に変換してそれを同じ息で声としてキープするのです。すると、ピッチと声量にもっとも規則的なビブラートがかかります。フレーズは、共鳴を残したまま納めて、終止となります。

 そこで素人は、息から完全にコントロールできずに声にするのも少し時間がかかり、円をはみ出して大きめに出て、それを円に戻すのにふらつき、伸ばすときも不規則にビブラートすることになり、納めるところもぎごちなくなります。そこは、懐メロで、老いて、声のコントロールできなくなった歌手の、歌唱フレーズの不安定さを思い浮かべたらよいでしょう。

 だから、「バランスを取りなさい」というのが仕上げや不調の調整の目的となるのです。素人なら100でできないから70に、つまり、器を丁寧に小さくしてバランスをとり、マイクで拡大するのが、上達法になるわけです。

 

○呼気

 

 そこで忘れられてしまうのが、呼気のことです。このケースでは、円でも呼気、発声だけでは半円にすぎない。発声後の吸気、吸気から呼気は行われていますが、円というほど懐がありません。

 充分な呼気がないと、入るときにパワーがなくなります。パワーを出すと乱れるのは、呼気―呼気の大きさ、それを支える体がないからなのです。

 そこで、強化するのです。70パーセントを100以上で使えるための150の器、大きな円を目指すのがトレーニングです。しかし、100で乱れるからと70にした人には、150を求めるのは無理です。

 私のところでは、体、呼吸に時間をかけ、大きめにつくります。それをそのまま使うと、バランスはさらに崩れます。それをよしとします。根本的に目的が違うからです。

 これは基礎―応用の関係にあたり、そこが結びつくまでには対立さえするわけです。正しいとか間違いではないのです。

 円でいうと上から右回りに右側が呼気―発声とすると、下から左側が呼気なのです。左側のトレーニングで右側が乱れるのは必要悪です。それをだめと言うなら円は小さいままです。左がないのに右だけで大きく強くしようとすると破綻します。

 楕円にしてから大きな円にはできるので、先に右を大きくすることで覚えていく方法もあります。大声で歌っていたら呼吸も大きく伴ってきたという天然での上達の人、素質や感覚に優れ、一流のアーティストの写しができたような人です。

 ヴォイトレに来る大半の人は、そこで伸ばし切れずにいますから、左側だけの部分に、集中して、意識的にトレーニングをします。これが呼吸トレーニングとか呼吸法とか言われるものです。私は、「息吐き」と言っていました。体と声を結びつけるのは、息だからです。

 

○歌の声☆

 

 高音、裏声の発声コントロールの甘さは、固めて当てる、J-POPSの悪しき生声、共鳴の方法とも似ているのですが、邦楽でもよくみられます。ただ、邦楽も名人級となると口内や共鳴するところをうまくミックスして独自の声色をつくってしまうのです。その負担や効果の悪さ、安定性のよさを、声楽家は拒みます。ジャズやポップスのヴォーカルは個性とするかもしれません。

 体を楽器として楽器そのものの完成を問うクラシックと、楽器を自分のイメージに合わせ、加工、調整して独自の声、フレーズをつくる邦楽、ポップスの違いがそこにみられます。

 

○イメージのギャップ

 

 その人のタイプ、声のタイプとイメージして求める声とのギャップを遠いと捉えるか近いと捉えるか、あるいは差を埋められるのかは、トレーナーの最大の難問といえます。ギャップのあるとき無理をしても埋めていくのか、もって生まれたものに従うのかです。前者の例は長渕剛さんやもんたさんです。

 その人の世界観や価値観が優先するので、ポップスにおいては、そういった距離と難易度を伝えるようにしています。可能性と限界の割合、そしてそのプロセスや結果として得られるものと失われるものの可能性です。

 絶対はありませんが、およそ、わかるものはあります。使い道や使う人にもよります。ハイリスクを承知で世界観をとるなら、いつもケアを人一倍、万全にしなくてはなりません。かなりストイックにならないと、ハードに使うとリスクが限度を超えるからです。例えば、XJapanのトシさんなどです。もっと固めたところでは、スガシカオ徳永英明さんなど。

 

○期待について

 

 1.応用 2.基礎 3.自在

 いらっしゃったときに、最初に、どのくらい急いでいるのかそうでないかをお聞きします。つまり、トレーニングの効果の時期についてです。極端なことを言うと

a.今日明日に結果を出したい、出さなくてはいけないケース

b.10年後、20年後のために

 というのでは、全く対処が違います。aのケースでは、原状復帰、治療のようなことが主となります。調子が悪い、元に戻らない、だから状態をよくしてほしい、というのは、自分のよかったときの状態に戻したいということです。

 さすがに今日一日で、これまでできなかったことをできるようにしてくれという方はそれほどいませんが。9割の人は、できても安定させられません。

 

○ゼロとプラス

 

 医者がポリープの手術をして元通りにする。これも本当は、2週間以上、ケースによって違いますが、できたら何か月かの休みを取る必要があります。ですから、その日に解決しません。声が出ない、でもステロイドで出せるようになります。この方が例としてはよいでしょう。つまり、医療は治療であり、元よりよくなるのではないのです。

 言語聴覚士ST)のトレーニングも、本来はリハビリです。そして、マイナスをゼロにすることと、再びマイナスにならないようにする、なりにくくする、なってもゼロに戻しやすくするという、そこまでできたら充分すぎる効果なのです。

 それは、私の言うヴォイトレとは違います。調子を崩したから元に戻すというのは調整です。心身の回復、喉や発声法や共鳴などの状態をよくするのは、トレーニングではなく対処です。私のよく言う、使い方での修正です。今の日本のヴォイトレのほとんどは、こういう類のものです。

 短期でも長期でも部分的に意識的に変えて、よくする、マイナスをゼロにする(戻す)、それは原状回復ですから、プラスにはなっていないのです。しかし、潜在していた力が発揮できてプラスにみえることもあります。特にメンタル、心の力は大きいものです。褒められたり一言のアドバイスで初心者や若い人は自信をもち、みるみる上達するし、年配の人も若い頃の声に戻せたりすることがあります。

 しかし、それは私のなかでの応用であって、基礎ではないのです。もし、楽に簡単にできたとしたら、それは基礎でなく応用なのだと考えるとよいでしょう。楽と楽しいとは違います。基礎づくりの楽しさは、応用の楽しさと違います。将来の自分の変化、大きな器になることで自在を得られると感じられるところからの将来、イメージでの楽しさです。それは、常に迷いと一体にあります。なぜなら、ゼロの地点と違ってみえないからです。

 将来の自分の力だからです。1でも2でも5でも10でも、辿り着いたところから、また限界と可能性への挑戦が求められるからです。そう、今すぐに役立たないものを仕込んでおくのが基礎なのです。

 

○応用と基礎

 

 その点では、医師も応用としてのヴォイトレも、基礎とは対極にあるということです。医療は基礎のようですが、そこでの治療も予防も応用なのです。「○○法」とか「○○の技」などと同じです。

 で、本当に基礎からスタートできる人はとても少ないのです。最初は応用して目先の効果を見せないと、トレーナーとしての信頼関係も築けないからです。そういう浅はかな世の中になりました。トレーナーも自在の境地であれば、今すぐここですべてを解決してみせることができる?人もいるのでしょうが、マジシャンでなくトレーナーなのです。トレーニングでよくする、そのトレーニングをする人なのですね。

 最近は結構いらっしゃる人のなかに本人もなされていらっしゃることもありますが、ヒーリング、セラピー的なこと、やっていることはマインドコントロール、スピリチュアルで声や声以上のことに施術する人がいます。私のヴォイトレではメントレ(メンタルトレーニング)に入るわけで、カウンセリング、コーチングとして対しています。

 しかし、これは地力がつくのではありません。心のコントロールや考え方の訓練での自信の回復です。昔の話し方教室のように、大勢の人前に慣れさせることです。それは声をよくする、もっとも応用的なものと私は位置づけています。先に述べていたことは、力が100の人に70パーセントでの球を仕上げさせていくものです。

 それは声だけでなく自分を守るモノであって、他に働きかける力を得ていくものでないからです。要は、先生だけがカリスマとして、弟子を支配する構造です。でも、そのコミュニティで生きていきたい人もいるので、あとはご自由に、です。

 

1001000

 

 一言で言うと、100の器の人と1000の器の人は見える世界が違うということです。そこで生じる問題も違います。医者やトレーナーをどんどん回ってここにいらっしゃる人もいます。それは、なぜ一人の、あるいは一つのところに長くいられなかったのかから考える必要があります。そこの先生のすべての教えを吸収し終え、その先生を超えたというのならわかります。そんな人は1パーセントもいません。大体は、よくならないうちに、もっとよいところがあるのかと思い、とか、他の人に勧められて移った、といったところでしょう。

 日本はヴォイトレのレベルが低いので、世界で成功したコーチ、トレーナーにつくという人もいます。世界に通じるアスリートやアーティストを育てた人たちはいます。フィジカルトレーナーやメンタルトレーナーにも秀でた人がいます。

 声は心身で大きく左右されるので、声よりもほかの要素を補う方が声もよくなることが少なくないのです。特に、一般の人は、そういう要素、条件を整えていません。複合的なチェックでそこを補強する、調整するとか強化するのは基本的なことです。

 最近のヴォイトレ本の中にも、柔軟、体幹トレ、体力づくり、メントレが中心のものが多くなりました。昔は心身が強く、あるいは、プロになる人は周りからそういうことを求められ、その前に気づき、鍛えていったものでしょう。

 声の強さ、耐久性も必要です。鍛えなくてはいけないのは喉だけでなく心身です。ヴォイトレの前に整体やフィジカルトレーニングする必要のある人はたくさんいます。今、ヴォイトレをしている人の半分は、マッサージ師やフィジカルトレーナーについた方が早く確実に声がよくなるでしょう。そういう分野のすぐれた人の方が、声をよくするということです。

 つまり、1000の器のフィジカルトレーナーは、1パーセントしか声がわかっていなくても(声はかなり難しいので、喉頭のなかに入っている、整体の外になるので、よくて1パーセントとして)、10の力以下のヴォイストレーナーに勝るということです。しかも、頭―足先の全身とその働きを熟知していますから、柔軟や呼吸に関するケアなどは、より細密です。この細やかさが必要なのです。

 一流のアーティストのなかに、ヴォイストレーナーでなくフィジカルトレーナーを連れてツアーに行く人がいるのは、アスリートと同じく、体のケアのためです。ここから声と歌にとっても体の重要性がわかります。ヴォイストレーナーが行くこともあります。曲を覚え切れていないし、発声もまともにできないレベルのヴォーカルの場合、伴奏や歌唱(代歌)での必要です。元は、歌の先生はピアノでの作曲家であったというのと同じ役割です。

 

○声の力をつけるとは

 

 いろんなところを回ってここにいらっしゃるアマチュアの例は前にも述べたと思うのですが、日本のプロの場合、必ずしも声としての実力レベルがアマチュアの上位にあるわけではないので、トレーナーについて同様、述べると長くなります。ともに、ヴォイトレとか声とか、声の基本とか言いつつ、あまりにもそれ以外のことが中心になっているからです。

 私が述べてきたことは、ゼロからプラス、プラスからマックスです。100メートルで世界に勝つかと、日常で不自由なく安全に歩くのとは違います。みる世界もやり方も考え方も違うのに、声ということで一緒くたにされています。 

 一流になる、本物になるには、力をつけるしかないのです。声の力をつけるのがヴォイトレという基本を忘れては、ヴォイトレはトレーニングでなくなります。もはやカウンセリングになりかねないのです。

 例えば、呼吸のレッスンで、トレーニングをする。でも、家で毎日、それを続けて、ハードにレベルを厳しくして体が変わっていかない限り、それは3年経っても5年経っても、プラスにならず、意味はないのです。週1回でも老化防止や健康のためにはなるというのでは、ゼロ状態のキープです。

 つまり、日常が10レベルの呼吸の人がレッスンで呼吸を週1日やってトレーニングを6日やらなければ、1015レベルでしょう。それなら、毎日フィットネスで汗を流す方が、日常が20レベルになるので伸びます。病弱になって日常が5レベルになったらレッスンにきても610レベルをキープするのが精一杯でしょう。

 ですから、いくら医者に喉の状態がよくないと通っても、トレーナーに調整してもらっても10+-5くらいから抜け出せないのです。

 医者やトレーナーをいくら変えても10レベルの世界でみているのですから永遠に100レベル、1000レベルにはなりません。フィットネスでは100レベルになるかもしれませんが、発声に必要な呼吸トレーニングは、そのままベースとしての100レベルが発声、歌唱には結びついて×10にはならないということです。だからこそ、体―呼吸―声を結びつけるヴォイトレの必要性があるのです。

 

○要素のチェック

 

1.メンタルトレーニングーモチベート、集中力、忍耐力、持久力、プランニング、リラックス

2.フィジカルトレーニング―体力、筋力、瞬発力(運動神経)、柔軟力

3.声 発声、共鳴

4.歌 歌声

 

○耐性

 

 プロについては、心身が一般の人よりはるかに高いレベルでの高い管理ができている前提です。それが欠けていたら、そこからです。

a.調整、修正、原状回復、老化防止、リタイアからの復帰、応用 

b.成長、強化、変化、完成度を高める基礎

aで、もっとも早いのは、トレーナーの発声をコピーすることです。となると、似たタイプのトレーナーがわかりやすい。早く仕上げるのに有効で、歌となればカラオケ上達法です。

 でも歌のうまい先生やプロヴォーカリストについてみて伸びた人はそう多くないでしょう。かなり本人の地力が問われます。

 それよりも、私はその時点で最適な目標となるヴォーカリストや作品をサンプル、材料として聞かせるようがよいと思います。どちらもまねとして固めるくせのつくリスクがあるので、毎回チェックします。

 すでに固めている人が、そういうものでイメージから固めなくなったり、一時、別の固め方に移動して今のくせから解放されるのは修正とみてよいでしょう。

 口内の形を変えたり共鳴のポイントを教えるのは、私からみると、応用、技術です。そこで基礎としてつかめる何かが得られる人もいます。そういうことでは、否定はしていません。

 しかし、軟口蓋をあげて喉頭下げて声道の共鳴空間を広げると、より響く歌声になる―というのは、基礎というより応用の一つのように考えています。

 早く喉声や喉の負担を脱し、発声の感覚を変えるのです。そこで便利でわかりやすく結果の出やすい方法の一つです。ここで述べた、一時移動の応用なのです。

 

○その先を

 

 応用を否定しているのではありません。そればかりでは限界があるし、本当の基礎にならないと言っているのです。数打てば当たるのも一理あります。弓でもゴルフでも、それで距離や方向をあるところまでよくできます。歌ったことのない人は、カラオケで1000曲も歌ったら、それなりにうまくなるでしょう。要は、その先をみているかということです。他の分野ではけっこう低レベルな話です。

 あなたにでなく医者、トレーナー、その他の専門の人に対して、述べています。ここほど皆、基礎がやりたい、基礎を固めたいと言ってくるところはないでしょう。

 基礎が身につかない、身についたと思っている。身についたかどうかわからない、そこで基礎の定義や基準をいくつかつくりました。他の分野と異なり、人によって違うのです。

 昔、若いときの声を出したいという人は、それが目的です。元のが基礎に基づいていなくては、応用していたのを応用で出すので、ものまねのようにしかなりません。今出したものが昔と大きく違ってもよいと考えることです。若い年齢での天真爛漫な発声をまねても同じにはなりません。ファンが求めるのに合わせられたらよいと言われることも多いです。その天真爛漫さに基礎に基づくものがあるというタイプでは可能です。しかし、それを続けたために、喉に異常をきたしたような場合は、その歌い方をよいものとはできません。ポップスはそういう固め方やくせでも売れてしまうので困ります。

 ヒットしていたときに、その声の先行きは大体予想がつきます。成長、あるいは加齢によって中心の軸が変わっていくのです。若い時に若さで回復できた発声に無理が少しずつ回復できなくなっているということです。

 月に12回叫んでも大丈夫な歌い手が、ツアーで毎日となったときに同じように声を使うと続かないのと似たことです。

 中心の軸を元に戻せるのか、それは、調整、修正力が必要です。声だけではそうなりますが、そこから歌やステージとなると声以外のものを補助で使えます。クラシックや邦楽と違い、エレキの力もあります。ビブラートが乱れてもエコー(リヴァーブ)で通用します。元より、それで歌っていたのですからステージングの補助によって、歌を大きくするのです。そこはヴォイトレではありません。

 歌唱の中での調整はよく行っています。声量を落として声域を確実にする、高音、ファルセット、裏声のチェンジ、ピッチや音程の安定、発音、感情表現などにそのバランスを移すのです。私は、ここもヴォイトレでなくヴォーカルアドバイスとして区別していますが。

 

○基礎に戻す

 

 それでは、根本的な解決として、応用でなく基礎に戻してから応用する方向で述べます。イメージとしては、器を大きくするのです。そのときに、声でみるのか歌でみるのかは違ってくるのです。

 私は声を基礎、歌を応用としています。しかし、クラシック、ともかく、邦楽、ポップスは、歌声を基礎という考えをとらざるをえないこともあります。プロ歌手の声がよくない、話声は素人ということは、新しくないどころか当たり前になって久しいからです。クラシックではテノールの話し声はひどいというケースもありますが、一流となると必ずしもそうではないと思います。これはまたの機会に。

 そこは、日本の声楽家よりは役者の声をベースにと始めた私が、今、歌声のベースを声楽家のトレーナーの協力で育てているのです。4半世紀の時の流れと歌の変容を感じざるをえません。むしろ、その矛盾に研究所で分担し彼らに任せたといえるかもしれません。劇団の役者の声も浅くなり、ミュージカルの方が人気となり、というものも背景にありましょう。

 

○仕上げより分析

 

 プロに、急ぎで仕上げを求められるというのは先に述べました。つまり、ほぼ調整のレッスンとなります。

 では、時間がかかってもよい、基礎からしっかりと身につけたいと本来の目的でいらしたときには、今の力を分析します。2曲、違うパターンの歌をアカペラで聞くこともあります。もっともよいと思う歌唱のフレーズ(4小節くらい)と、もっともよいと思う声のフレーズで(4小節くらい)聞きます。歌手以外でしたら、せりふなどを使います。それから、問題があると本人が自覚しているフレーズがあれば加えて聞きます。面談カルテ(プロ用)を使います。※

 

○限界の見分け方

 

 限界まではできるのですから限界前を早く知った方がよいので、ハードトレーニングというのがあります。バーべル の持ち上げ(リフティング)や走ることはもっともわかりやすいですね。普段、持ち上げていないし、走っていないのでは、すぐに限界がくるのです。

 呼吸なども声よりはわかりやすいです。鍛えていない人がハードにすると過換気症状群になります。高地の酸素の薄いところに行くようなものです。ハードさが危険なレベルに達しないうちに避けることです。トレーニングの質が下がるからです。

 若いときには質がわからないから量を行う、そこで質的転化を起こすのは理に適っていると思います。年をとっても学べますが、量については若い人の特権です。無駄や無理ができるからこそ、そこから見つかることもあるのです。長く活動を続けられるのも、そこで得られたもののおかげということです。

 限界は、「もうできない」でなく、「同じことはできない」と思ったときに訪れるものです。同じ以上のことができなくて引退する人もいるでしょう。

 可能性を切り拓くには、同じことが確実にこなせて、その上に成り立っているのですから、同じことができなければそこがトップ、ピークとなるのです。しかし、ピークであり続けなくてはいけないのは自己新記録狙いで、その78割でも成り立つのなら、続けられます。興行の世界ならピークの力の5割で、仮に客が半分以下になっても大丈夫ということもあるでしょう。

 

○ルーティン

 

 ゲンをかついで儀式化するのは、よく行われます。毎回、一流の人ほど決まった型ができています。でも条件も違いますから囚われてはよくありません。同じように準備しても結果が違うことはあります。固定するとその分析がやりやすい、つまり、データとして変数を少なくするのです。

 トレーナーには、いつも誰にでも同じメニュを同じ順で行う人がいます。相手に対して柔軟に変える方がよいというトレーナーが必ずしもすぐれないのは、この継続して得たデータへの分析力の差だと思います。

 生徒にとってやりやすいのがよいのか、やりにくいのがよいのか、そこは簡単には言えません。私は、どんなメニュであれ、どんなトレーナーであれ、使い方が違うのですから、こだわってはいません。目的とスタンスの問題です。それをいちいち説明しないと続かない人が多くなったのは、難しいですが…。

 

○トレーナーの助言

 

 自分について、自分が一番知っていると言えるのかどうかです。トレーナーのアドバイスに従うべきか迷う人もいます。助けになるときに、あるいは、助けになるように活かせるように活かせばよいのです。

 しかし、声は全くわからないようなときもあるので、一度白紙にしてトレーナーの言うのに素直に合わせてみるのも大切でしょう。

 トレーナーの前ではトレーナーの言うことを受け入れる、これも応用です。そして、トレーナーのいないところで自分なりに応用してみるのです。

 メニュややり方を変えるのも最後まで自分の感覚です。そこを信じられるところまでトレーナートレッスンして学ぶということでしょう。

 

○大勝負

 

 思いを入れすぎて失敗することがあります。ビギナーズラックは、思いの入れすぎで起きるときと、思いを入れずに起きてしまうことがありそうです。私も、2度ほど最高のレベルの発声、歌唱の経験があります。録音していなかったので、客観的にはわかりません。マラソンでもありました。中学の時の10キロでしたが、そのときは楽に終え、さらに走れる余力さえありました。

 

○リスクのとり方

 

 今の自分の力が変わったら方法も変えざるをえません。無理も効かなくなります。頑張りすぎがマイナスに出ます。否応なく年を経るとともに自己管理を徹底しなくては、同じ力さえキープできなくなるのです。

 感覚が鋭くなるのも、よいことですが、同時にハイリスクになります。がんばってトレーニングを休むのが怖くなるのも、同じ時間とか同じだけの量をこなさないと落ち着かなくなるのもハイリスクです。

 そこにハイリターンがあればこそのハイリスクであって、ローリターンなら、リスクはとってはいけないのです。自分の一人相撲とは、上達でなく、やることこなすことが目的になってしまっている状況です。

 力をキープしたい、なら、ローテーションを守ることですが、目的がキープでは守りに入るので、同じ実力の維持も難しくなるものです。つまり、ゼロ―マイナス―ゼロの循環と似てきます。年をとるとゼロの位置が下がるので、結局小さなマイナス―大きなマイナスのくり返しになってしまうのです。そこで変革が必要です。そのためにトレーナーにつくことをお勧めします。ときに、メンタル的なことで底まで行って跳ね上がってマイナス×マイナスでプラスになる人もいます。

 

○力がつく

 

 アスリートをみていると、素質のある人はコーチにつき、ハードトレーニングをしますが、補強として効率のために筋トレをします。力がつくと、力任せになりハイリスクになります。すると偏り、バランスが崩れ、怪我をして治療に専念する事態になります。

 どこが間違いなのかというと、力がつく→力任せになることです。力がつくと、誰でも力で通じてしまうかのように思うもの、あるいは、もっと通じたいと思ってしまうので、急についた力で自分を壊してしまうともいえます。力がつくとその力の使い方は、更に難しくなるのは、どの分野でも同じです。

 

○ルールとコントロール

 

 見え方が違う、聞き方が違う、それは、捉え方が違うのです。そして、そこにルール、この場合は一貫性ともいえますが、があって、人に伝えられるのです。一筋の光が射すというイメージでしょうか。

 レースには、レースまでの配分が大切です。正しい動きを覚える。覚えるとは正すことです。ではなぜ正せなかったかというと、力が入っていたり、力が偏っていたり、バランスが崩れていたからです。体の左右のバランス一つでも変わるのですから、声のコントロールの前に心身においてトレーニングすることです。

 

○ストックの力

 

 若いとき、トレーニングしないで、もしくは少しのトレーニングで長く応用できたのが、年とともに、長いトレーニングで少ししかもたなくなるのが、ポップスです。それに比べ、声楽や邦楽は、若いとき応用できない、何もできない、年とともに長く応用できるようになります。若いときに培った体が助けてくれるのです。

 第一に、日常の活動量が減るから、その分、補う必要があります。応用もレベルの高いものが求められたら、それなりの基礎がなくてはもちません。学ぶ力、ストックする力と学んだ力、ストックした力の違いかもしれません。

 若いとき、100しかなくても100出せたり、ときに120出せたものが、年をとると100あっても100でなくて70くらいになります。となると、150200をもたなくては通じなくなるのです。若いとき100パーセント出せるというのがポップスです。声楽や邦楽では年をとらないと効率よく出せず、年月とともに効率的に出せるようになります。体幹、コアトレの流行もそういうことが関係するのでしょうか。

 

○喉でなく、体で歌う

 

 歌うことも衝撃であるなら、部分で支え切れないので、体支えるようにと言います。今、腰や腹から声を出している人はどのくらいいるでしょうか。

 

○自分のメニュを自分でつくる

 

 自分の持論を本一冊分書くようにと述べています。

 1日半ページでも、2年で1冊になります。感覚、技術、考え方と、すべては他の人とも私にも違っているでしょう。そこから常に考えることです。歌、声とどこでつながっているのかというトレーニングと実践との結びつきも大切です。

 第一に、体と対話して動きを引き出すのです。もう一つは、作品、歌やせりふ、そのイメージから引き出すのです。声を引き出す、感覚をマスターしていくのです。

 

○喉に囚われない

 

 喉と対話するのではありません。喉の動き呼吸の仕方などは、フォローの一つにすぎません。そこは、サブでメインではないのです。喉に囚われるとみえなくなり、捉えられなくなります。細かい問題がたくさん出てきますが、どれを解決しても本当の大きな問題の解決になりません。

 小さなことに囚われるのは、マイナス―ゼロです。マイナス―プラスのためには大きな問題、根本的な要因にアプローチすることです。それが声なのです。声の感覚とトレーニング、そこが肝要なのです。

 

○結びつきとフォーム

 

 フォームの分析というのは、1コマずつみるのでなく、コマの流れを見ることです。自分のと一流の人のをくらべることができます。1コマずつまねしても、つながらなければ無意味です。そこでも感覚―フォームの結びつきで捉えられなくては使えないどころかバランスを崩しかねません。

 

○再現のスイッチ

 

 よかった感覚のところだけ、さらによくしていくのが基礎です。できなかったところ悪いところだけ直すのは応用です。その感覚を意識していきマッチさせることです。再現できるようなスイッチ、ボタンを得ていくのです。一発屋は、1000押したら一つ当たった、でも、その一つしかどこかわからず、二度と押せないのです。

 

○アファーメーション

 

 イメージトレーニングは欠かせません。聞くこと、待つことです。降りて来るまで待つこと、準備しておくこと、それが何なのかを考えることです。

 

○本日のレッスン、バランスと強化

 

 声も歌もステージも総合力です。発声で100の器、その声量を50としたら、声域に20、伸ばすのに20、共鳴や音色には10しか当てられません。声域を80にしたら声量は10も出せないでしょう。レッスンでは、それぞれを別にして80くらいを目的にします。声量で80とか、声域で80など。

 トレーニングでは100の器を大きくするのですから、声量を100150としたり声域を100150に伸ばします。これは1オクターブを2オクターブとか3オクターブにするということです。発声でも、ことばをつけると、そこに母音や子音の要素が入る、すると、また20とか30が割かれるわけです。読むだけなら30、大きく読むと50、叫ぶと80から120などと。

 こうした数字はあてずっぽうでよいのですが、レッスンで、トレーナーと本人の間で共通するイメージになります。声のマップというのも、もう少し声を左に右に、上に下になどというイメージでの伝え方の一つです。

 

○力の配合

 

 発声の100、歌の100、ステージの100は、別々に考えます。プロの勝負とみたときに、300の力があるとして、発声に50、歌に50、ステージに200の力の配分をする人もいます。ダンスやルックス、ファッションでみせるとか、MCで成り立たせるなら、歌の発声の比率が少ないということです。

 それと別に、それぞれの力をつけて、5001000の器を作っていくというのもトレーニングです。ステージまでには、演出、総合力も借りることになります。しかし、ヴォーカリスト独自の力も必要です。プロとして、何か強みか、どういうバランスでいくかは、トレーナーとして知る必要があります。もちろん、本人も把握しておくべきです。

 

10代のプロ

 

 10代の天才歌手やアイドル、これは、プロダクションのトレーナーや演出家の調整レベルを配慮します。日本の場合、一度売れると実力が伴わなくてもやっていける、楽なようで怖いことです。なぜなら、力がつかなくてももつので、力の必要性が突きつけられないからです。衰えていくのに自覚がないのです。

 力にも、能力、実力、基礎力、応用力といろいろあります。でも、歌の好き嫌い、音楽的なフィーリングではみても、声でみる人は少ないのです。応用でみて応用で修正して、不足を感じたら体力を補強する程度で、基礎を固めないまま20代も終わってしまうのです。日本のように、ルックスメインで歌手も声優も役者もアナウンサーも、アイドルタレントの基準で選ぶところではなおさらです。女優などにも多いパターンです。

 つまり、カラオケでできてしまう、マイクとエレキの助けだけでもってしまうゆえに、声の基礎などで省みる余裕も必要もないのです。ある意味で、ビギナーズラックや一発屋に似ています。自ら把握し、再現し、応用し、基礎をつくり、考え判断するというしっかりしたプロセスがないものは、何かあると崩れるのも早いし立ち直りにくい。そして長く活動はできないのです。

 やがて304050代で声の問題が大きく表面化してくるのですが、それは、本当は10代、20代ですでに現れていたものです。どこかで年月をかけて基礎づくりに専念できたかどうかが問われるのです。

 

○老化

 

 年をとると回復力が遅れます。蚊に食われても子供のように簡単に跡がなくなりません。

よく知られている高齢者の生活上の注意を喚起するものに、「ころばないこと、足の骨折は寝たきりへの道」というのがあります。いくら健康で規則正しい生活を心がけ気持ちは若くても、現実は現実として、チェックは必要です。

 大体、10代、20代で活躍した人はそこで心身ともハイレベルに保っているので却って難しいのです。素人から、そういう心身をもつだけで、例え何歳でも大化けする可能性があります。20代まではうつで病弱だった人が40代で心身とも最高レベルになれば声も歌も、絶対によくなっているのです。

 

○アイドル

 

 アイドルは元より、応用ベースで基礎がないので、音大に入り直したつもりでベースを学べば12段上げられる可能性はあります。ゼロからつくるつもりで取り組めたら、ということです。難しいのは、天才子役や天性の子供歌手です。あるいは、基礎を誰かに教わらなくても対応できて歌唱にすぐれた人です。ヴォイトレや発声のトレーニングをたくさん受けてきた人もです。こちらは、やるべきことをやってきて伸びしろが少ないからです。

 

○習慣に加えて

 

 初心者はやるだけで伸びます。メニュでも毎日、くり返すだけでよくなります。授業を聞かない人が聞くようになったら伸びる、勉強したら、復習したらもっと伸びる。これは、ヴォイストレーナーの手腕でなく、メンタルコーチングの成果です。

 家庭教師でいうなら、学習計画を実行させる、つまり、学校から帰ってきたら、机について教科書を開きノートをみる。それをクラスの半分が行っていないなら、それでクラスの真ん中以上の成績になります。何もしていないでも真ん中の成績だった人ならトップクラスになるかもしれません。勉強を教えるのでなく、勉強する習慣を教えるのです。そこまでは、勉強を教えられない人でも教えることができるのです。

 私がみるに、ヴォイトレもその辺りで70%以上の人は回っているように思います。発声練習の習慣をつける、毎日声を出す、歌うこと、それができていない人は、その日常を変えることが前提となります。家でできないなら、毎日とか1日おきにレッスンを受けることになります。

 

○トレーナーの使い方

 

 レッスンにはお金もかかるので、自分でできることは自分でしましょう。トレーナーは、そこで使うものではないのに、そこだけで使われていませんか、ということです。

 トレーナーは、自分できないことを教えてくれたり、できるようにしてくれると思っている人が大半です。でも、それは、私からみると応用なのです。私は、みえないものをみることができるように、聞こえないものが聞こえるようになるようにセットするのがトレーナーの存在する意味だと思っています。すると、基礎の力がつくのです。もちろん毎日のトレーニングは欠かせません。

 

○内なるヴォイトレをとり出す

 

 徹底してトレーニングをやった、ということでなくとも、それと同様かそれ以上の体験を積んでいる人はいます。歌やセリフの表現をプロレベルで誰よりもステージとして行った人です。活動のなかにヴォイトレが含まれているのです。普通の人の日常に対し、プロの非日常は心身も呼吸も声も、たくさん使っています。それゆえ、目一杯やってきた人をどうするのか、そこにこそトレーナーの意味が、本当はあります。

 どの世界もa.素人対象、b.プロになる素人対象、c.プロ対称、d.一流になるプロ対象は、それぞれに全く異なるのです。

 日本では、ほとんどab、でもプロはなかなかできません。dはいないし、cは基礎でなく応用、鍛錬はなく調整、つまりアスリートにとってのフィジカルトレーナーはいないのです。

 私も研究所のトレーナーも、マッサージ師ばりのトレーナーもcの基礎やdの体制を持っていても、プロダクションなどのトレーナーは、ほぼbcの応用が最高と思っています。

 アメリカなどに行くと、確かにcの応用、でもそれはハイレベルに基礎ができているからで、そこを学んで日本で行っても応用で基礎が身につくことは、ほとんどないはずです。

 

○早熟のヴォーカリスト

 

 天才型少年少女ヴォーカリスト、それは、日本ですから海外とはかなりレベルが違いますが、「日本では、すごい」というタイプです。応用力が並外れてすぐれていたため、10代半ばでけっこうな歌唱力を身につけている、ほとんどは女性、少女です。男性は声変わりがあるので圧倒的に不利ですし、そこで応用するとジャニーズ的な歌声になります。およそ20代半ばになります。

 これらは圧倒的にプロデュースする側の役割が大きくなり、日本ではそのファン構造に独自な違いがあります。ヴォイトレの本道となかなか一致させられないゆえんです。

 

○バッテリー論

 

 応用力100パーセント、つまり、1020代(特に前半)を容量100のバッテリーの100を目一杯使ってきた、使えた人のケースです。同じバッテリーをくり返し使うのですから、古くなると充電に時間がかかり、しかも、持ちが短くなります。同じ力を出すには、休みを多くして活動(発声や歌唱)時間と期間を短くするしかありません。あるいは、力を加減してもっぱらパワーを抑えることになりますが、時間をなんとかもたせるかです。容量、出力、時間は、つまり、器、パワー、時間の関係でつかめます。

 

○パワー不足

 

 日本人ヴォーカリストが優先するのは、時間です。パワーを捨てます。海外ではパワーを捨てたらファンも離れますからパワー優先です。

 となると、日本なら8割潰れて2割しか残りません。向うは8割以上残ります。最大の違いは、パワーをセーブすると器も小さくなり、パワーを保っていると器も大きくなるということです。

 この根本的な差の原因は、いつも述べていますが、客の確かな耳とアーティストへの厳しさです。

 彼らは日常レベルで歌っているので、日常がハードになればそこがヴォイトレになっていくのです。日本人は日常レベルで声量声域も使わない、使えないところで歌っているので、非日常がハードに続くと壊すということです。彼らの日常の声のパワーは、私たちの非日常的に高めた声のパワーと同じかそれ以上だということです。

 私は、彼ら外国人日常の声(言語生活)は、日本ではかつての役者の養成所での声(せりふ)であると述べてきました。それゆえ、舞台=役者の心身をつくって歌わなくては、というのが、私のヴォイトレであったのです。「歌やせりふのレベルを日常化し、そこまでを鍛える」というのが私の目指すヴォイトレだったのです。つまりは、バッテリーの容量を大きくすることでした。それしか根本的な解決はないのです。

 

○日本のヴォイトレ

 

 しかし、ヴォイトレは、バッテリーの使い方の調整に陥りました。ですから、喉や軟口蓋での声道の拡張での共鳴で声を効率化で、省エネにするという最終レベルで完成につなげる応用技術でも、小手先の技巧となったのです。(再三述べるように、この指針を否定しているのではありません。

 私もここのトレーナーも、その部分的効果や全体への影響のメリットも知っています。最終的であるものは、最初に行っても悪いのではありません。何よりも、今の日本の声楽のトレーナーやヴォイストレーナーほど、これにこだわるはいません)問題は、使い方の調整と言っても限度があるということです。そこでその先にどうつなげるかを、いつから考えているかということです。

 そうでないのなら、充電しないでできるだけ持たせ、充電回数を少なくするとか、出力を抑えるということになります。となると、100%(もちろん、声のコントロールをした歌ですから、先に述べた声量での100%とは違います)で歌っていた人を半分くらいにセーブする。トレーナーもですがトレーナーに言われなくても、今の日本のプロになる人は、皆、そういう守りの発声を選んでいます。

 

○日本のヴォーカル

 

 20世紀にハイパワーで歌ったヴォーカリストほど、日本では声そのもののパワーは失われてしまっている、潰れている、ハスキーから喉が荒れ、喉の病気を引き起こしているからです。

 声への負担や不調が神経質なまでにタブーになったのは好ましいことではありません。ヴォ―カリストのスケールが小さくなり、ましてトレーナーという保守的なアドバイザーがついてしまったことによるのでしょう。

 そこは昔なら、心身の強くないヴォーカリストに対する処方なのです。最悪になるまで医者に行かなかったヴォーカリストが、今や真っ先に病院に行く。医学も進歩したので何でも経験したり知ることはよいのですが、結果として、迷ったり振り回されたり、大したことでないことを大問題のように思って、いろんな制限がかかるのです。声が自由になるためにトレーナーは制限させることはありますが、ヴォイトレの調整のために、あれもこれもだめ、となったら、もう先もないでしょう。この辺りは直感として今も変わりません。スポーツでは、もう「日本人は向うの人と体も力も違うから勝てないね」などと言いません。が、声楽や歌手には、そう言う人が少なくありません。もはや、挑戦も比較もしなくなったのでしょうか。

 

○再びバッテリー論

 

 バッテリーは取り替えられない。でも、目一杯使って大きくしてきた人は大きくできる、ということです。ここで大きくというのは、声量でなく、声の器ということですから間違えないようにしてください。心身+αの大きさのようなものです。ただ日本人の場合、根本でつかんでいないのに、基礎のないまま大きくしようとしたのです。

 ちなみに、私のサポートに、体の専門家、心の専門家の神レベルの人がいます。私は、声の神レベルになりたいのですが、なかなかなれずに研究所としてトータルでの神レベルを目指しています。体の神や心の神のところで、声の問題が解決することもあるので、私が必要と思うと活かせることもあります。

 バッテリーを大きくするというのは大きさでなく質です。高密度にするとか、ニッケルからリチウムに変えるとか、もちろん、ロスを抑えるのが前提ですから、無駄に使わないようにします。

 

○音色のズレ

 

 全盛期には、ベクトルがきちんと合っていた人も、心身の成長とともにバランスが変わり、同じベクトルではズレが生じるのです。そのズレは疲労のようなもので、蓄積すると発声に関わると思ってください。まして、ステージだけに打ち込めたときとは状況が変わっていることもあります。心身の変化が第一です。それが昔、どのレベルにあり、今どうなっているかを、そのプロセスとともにきちんと把握します。メインは、声と歌です。

 声域(キィ)やピッチの乱れから衰えを感じてくる人が多いのですが、その前に音色、共鳴が変わっているのです。でも、音に届かせたり、ピッチのキープに力を入れたり、変な固め方をして、本人が自ら乱してしまいます。

 

○プロの修正

 

 素人ならば届かなかったりピッチが乱れるだけですが、音楽性が高いと、それが発声の負担になり、そこを避けるくせでカバーします。この辺りを声区のこととともに説明し、理想のメカニズムに戻そうとアドバイスするのです。

 これはプロが素人状態になってしまったこと、それゆえ、すぐれた音声区でも、それに対して素人に対するアドバイスをしているのに等しいのです。

 素人は、やってきていない分、心身にプロほどの限界はなく、伸びしろがあります。ですからトータルの器づくり、まさに体―息―声と、ベーシックに時間をかけていくと伸びるのです。

 プロにも、初心に戻ってそういう王道を取る人はいます。

 

○悪循環を避ける

 

 部分的問題を部分的な対処で取り上げていては、解決したようにみえても、また同じことが起きる。私は、マイナス―ゼロ間の悪循環と言っています。

 それよりは、かつての発声を基に、そのときの最高のイメージに心身を合わせ、一声でもつかんで一つ深くする、そこの根本をつかめるのなら、きっかけとなります。

 日本では、本人もファンも、昔の音色やキィを望むので、これは、昔を100として、そこへどこまで近づけるのか、昔の本人に似させる、まねさせると言うのは、他人をまねるよりもましですが、100に戻せるとは限りません。

 元より100の器で終わっていたのだから正しくトレーニングして200にしておけば、その50%しか使えなくても100になる、これが正攻法です。つまり、器を大きくしていくことで、古さ(年齢のことをバッテリーで例えると、こうしたシビアなことばになりますが)をカバーするどころか、もっとハイレベルにするということです。天然でのしぜんの壁を超えるということです。

 

○引き受け方

 

 心身は、年と共に、どころか毎年、いや毎日変わっています。10代の心身はシンプルですから、そこに何万人に1人くらいにピタッと合わせられた、当たったという宝くじのようなヴォーカリストであったとしても、そこから普通のプロセスを踏んで、今の自分の心身に合った声、歌にするのが、もっともしぜんです。

 そこで、心身の、人間の手出しできない声そのものの接点の付け方を、私は神見習いレベルで、他のトレーナーと本人とともに模索することになるのです。

 そういうプロの10人に1人は100点、3人くらいは50点、後の3人は、ここのトレーナーの声楽レッスンで50点、残り3人の内1人は、心の神、体の神、あるいは他の専門家や医師へ紹介をよしとします。2人は引き受けられません。

 一方、医師やヴォイトレはマイナスをゼロにする、せいぜい30点を目指すくらいのことを目指しているのです。

 

○天性の歌唱力の保ち方

 

 男の子には少ないが女の子で、ときに天性の歌唱力をもつ子がいます。世界と比べて日本では一流のヴォーカリストは少ないのですが、そこで育つプロセスの違いを述べてみます。

 10代では、子どもの器ですから、体―呼吸―発声-共鳴のバランスが一本通っていると、リズム、メロディ、ことばが正されているだけで歌になります。そこから器が大きくなるままにバランスがとれたまま、20代になると理想的です。

1. 体―呼吸―発声―共鳴 歌

2. 体―呼吸―発声―ことば(発音) 表現(感情)

これを略してA(体―呼吸―発声、声の基礎)としますと、それは声の芯、声のポジションを深めていくことを必要とします。

 

○天性のヴォ―カルでの国際比較

 

 10代でも浅い順に声の深さをA2、A1、A0とすると、日本人はA2、欧米人はA1と、すでに10代で差があります。そこは、日常会話のところでは意識されませんから、歌Cは、共鳴Bとなるのです。この共鳴Bはおよそ頭声です。(その点、A=胸声とみてもよいでしょう)ことばCとすると、ここでCはことば、感情、ハスキーヴォイスとみてよいでしょう。

1. A―B…歌

2. A―C…表現(話)

 日本のヴォーカリストは、小さい器のまま表現に入ります。役者型(実際はタレント)になるのです。つまり日本人ヴォーカリストの大半は、A2+B2の歌から、そのままA2+C2の表現力を得るのです。なかには、ことばを重視した感情表現をC2からC1にしたものの、A2+B2+C1でバランスが悪くなることもあります。Bを失うと高い音、裏声ファルセットが出にくくなります。理想は、海外のヴォーカリストのようにA0+B0+C0となることです。

 ヴォイトレは失われたバランスをとるため、Bで共鳴(頭声)の統一を行います。崩れた器の補修です。しかし、それが元に戻っても、B1どころかB2止まりです。なぜなら、A1が伴わないからです。そこでA2→A1→A0を目指します。

 A1―B1、A2-B2というバランスがとれたら歌にはなるのです。最後にC2→C1→C0と感情表現を加えます。多くの人が伸びないのはA2―B1のまま、Cを出そうとするからです。

「レベルを考える」

○レベルの設定☆

 いつも体力や学力で述べていることをくり返しますと、3キロ走れる人に1キロ走るトレーニングとか、中学生に小学生のドリルは必要ないでしょう。100点を目指して、いつも100点とれるドリルをやっているとしたら、レベル設定がおかしいのです。それは、1回確認すれば充分です。チェックで済むのです。ここを体がこってはほぐしにくる整体のように使っているなら、次に体がこらないようになるようにしてください。
 私が「目標を上げること」を言うのは、伸びしろを大きくするためです。まず、自分が90点とれるより、20点くらいしかとれないレベルの課題に挑めということです。
 なぜか、巷でヴォイトレは、小学校の6年生くらいのドリルでしかないように思われています。いえ、そのくらいのレベルのことだということもわからないで、ずっとくり返している人もいます。それは、ハウツーやマニュアルで考えるからです。ヴォイトレと言いつつ、メンタルとフィジカルのリラックスと、共鳴の使い方での調整で終わっていませんか。それでは、芸ごとではない、体からの声へつながらないのです。
 
○ほめるということ

 その人のメンタルに問題がありネガティブなときには、自信をもたせるためにほめます。レベルを落とします。小学生のレベルに設定したら誰でも大褒めです。でも次には、レベルを高くしてほめられない課題設定をしなくてはいけません。
 トレーナーとしてのファンを獲得したいなら、レベルを下げたまま、ずっとほめればよいです。「今のあなたのそのままでよい」と言うのです。誰でもほめられるのが好きなので。そのままなら、ずっとファンでいてくれるからです。
 初回より2日目、2回目より3回目にほめると、上達したと思って人は、喜ぶものです。もちろん、そこら辺りでは、慣れていく分、声はよくなったかのように思います。リラックスした分、よくもなっているでしょう。
 トレーナーは、レベルを同じにして、あるいは、下げてほめているのです。お金を出してほめてもらっているのです。それでよいのならそれでよいのです。まともなトレーナーのなかには、うまく騙してくれる、上達した気にさせて心地よくしてモティベーションを上げてくれる人もいます。しかし、そういう流れのなかで、困ったことに、トレーナー自身も、そこが入り口にすぎないことを知らないことが出てきたのです。モティベートや勇気づけ、続けさせるためにほめているのでなく、心からほめていることもあります。となると、それは本心ですから、それほどよいことはありません。目的をどう考えるかでレベルが問われるのですから。

○バックグランド

 マニュアルは、よし悪しで分けていきます。それを守ろうと一つひとつに、ことばの指示にこだわります。しかし、そこのことばでなく、そのバックにある意図に反応することが大切です。それができないと、器用にこなしたつもりで、実のところ、害にしかならないことも多々、あります。細かにうまく対処することが硬直化をもたらし、却ってうまくいかなくなることもあります。そこで問われるのが、バックグランドなのです。形としていなくとも心にあればよいのです。
 オーラにあふれるひとかどの人物になる、それはそういう人に会って、人に感化されることです。人に会って、体感していくことでマニュアルを超えることです。
 一人の人間の存在感は、くどきと社交術くらいに大きく違うのです。そういうことが、なかなかわからない時代となりつつあります。

○ずっと「今、ここに」☆

 「今ここ」に専念することで「いつかどこか」に行くのです。「今ここ」より、「いつかどこか」がよくなければ不幸ではあります。でも、「いつかどこか」を追いかけるためには「今ここ」に、青い鳥を感じるということなのです。
 非日常に憧れて日常を離れても、自分が変わらないのだから、どこもかも日常になっていくものです。日常のなかで非日常にワープできる人だけが、どこへでも自由に行けるし、いつでも自由になれるのです。女性はそれを男性に、旅人に求め、待ったという時代もありましたが、今は、逆転しつつあるように思います。ワープのために孤独になるわけです。

○出すこと

 「うまくいけばいいのに」でなく「本気で絶対に変えていく」つもりがないと3割もここを使えないでしょう。でも3割、使い切れたら、次があります。まずは、3割バッターを目指してください。
 何事もその人が自ら切り開いていくものです。何ら出さないのを後押しすることはできません。自分のなかで、ああだこうだと空回りしているなら、それはそれで表現してみることです。
 ツイッターのようなレポートも少なくありません。でも、そこからでよいのです。無意味に思えるレポートでも、出していったら変わる。チャンス、きっかけになることもあるのです。変わらないと、ここにいる意味が出てこない。それがよくなる人と悪くなる人もいる。出さなくなる人もいる。すべて誰かがどこかでみているのです。
 レッスンでうまくいかないのは当たり前、本当のところ、うまくいくなら、そのレッスンはいらないのです。すでにできていることの確認にすぎないからです。それなら外で問えばよいのです。
 できるレッスンでなく、できないレッスンをしなくてはいけない。なのに、「先生、できていますか?」というように、不安から自己防衛にまわってしまいがちなのです。自己防衛になると、よけいにうまくいかない、そしてそれは、しばしば言い訳、自分とは合わない、難しい、タイプが違う、となります。そして自分のキャパが小さいということです。なのに、「違う」と言い切れてしまう人は伸びません。トレーナーのレッスンを絶対肯定しているのでありません。合わない、難しい、違うときもあるでしょう。それでこそよいのです。不安を引き受けてください。そこから大いに学べるのです。
 
○応じない

 トレーナーをみていない。ゆえに、自分のこともみていない。まして、自分の新しい面をスルーしている。それではもったいないです。
 何かをしたいために力をつけるのでしたら、何かを明確にすることと、そのためにレッスンを活かすように方向づけることに専念することです。
 レッスンで下手に思われたくない、うまくみせたい、トレーナーの望むようにレッスンでこたえたい、間違いを注意されたくない、よくみられたい―。そんなことで、がんばるならまだしも、悩んだりはしないことです。
 トレーナーはそんなことをすぐに望みません。そんな人と私は仕事をしません。
 私は、優秀な人が努力ゆえにそうなったのを、その努力を抜きにノウハウやハウツーで「簡単にそのようにできる」というような教え方を好みません。できることもないし、もしできても、そのようになれるはずがないからです。いや、なれることはあっても決してためにならないのを知っているからです。トレーナーが認めることでできているかのような錯覚を与えてしまうからです。トレーナーからは努力の必要とそれに耐えられる力をつけることを学んで欲しいと思っています。
 
○自分の可能性

 新しい可能性を開くのに、自分の歴史や内面をみることが必要なこともあります。しかし、それが、レッスンではないのです。その必要性をレッスンで気づいたら、自分で突き詰めましょう。自主トレで乗り越えていくことです。くり返し現れることなのです。
 自分が変わる、壊れるのを恐れることはありません。そういう人ほど少しも壊れないし変わらないのです。自分について語るばかりで自分を守る人もいます。過去から、自分の思う自分から逸れないように頑なになっているのです。
 そういう人は、自信のなかったこと、例えば、他のトレーナーに間違いと言われたことを、「それでよいのです。そのままで正しいのです」とトレーナーに言われると安心してしまうのです。そして、その人のカリスマトレーナーが誕生します。
 「そうでなかったからレッスンに来たのではなかったのですか」と問うのは、私くらいでしょうか。わかるだけわかってから、次に行かずにまた戻ってしまっている場合に、ですが。
 
○スタートライン

 自分のことに言及し、トレーナーにも自分に関心をあてたレッスンを望むのは当然のこと、私たちもあなたのことを知り、それに焦点をあてたレッスンにしたいからです。しかし、それが行き過ぎると、結局は自己確認、自己肯定がレッスンの目的となってしまうのです。コーチングやカウンセリングの手法には、そういうのもみえるわけです。
 自分の考えのまとまらない経営者ならコーチング、自分の言いたいことが出せない弱者、もしくは弱っているときにはカウンセリング、その意義は私も認めています。似たようなことをここでも行い、そういう手段も使っているからです。
 でも、これは治療ともいえません。以前の状態(あるいは調子のよいときの状態)への回復です。そこに戻ることはスタートラインにつくことであり、そのままでは、まだスタートしないのです。多くは、そこから後退してはスタートラインについて、それをくり返すのです。マイナスからゼロでなく、少しでもプラスにすることが、とても大切です。自己反省、自己否定も必要となるゆえんです。
 
○回復へのリピート

 今の状況を救済するのに、今の状態でのバランス調整をして、力を引き出すようにするのです。そこで実力不足に気づかず克服しないと、その先は空回りになるのです。それでうまくいくのは、過去に実力があったのに発揮できなくなった人がスランプのときの回復のケースだけです。
 ビジネスでいうと、あなたはよい顧客です。医者、整体…。本当に実力があれば、一回とは言いませんが、早々に完治させられるものでしょう。
 今の状態に対処した調整では、大半は根治しないのです。表面でよくしただけでは、また少しの無理で悪くなる、それを少しよくしても、また悪くなることのくり返しです。
 医者は、悪くなったのを元の状態に戻すので、仕事としての必要性を充分に果たしています。しかし、何回も同じ症状で治療に行く人をみていると、少しもよくなっているわけではないのです。声はまさにそれがわかりやすい例です。休めている間は、使わないから喉を痛めず回復するだけで、何ら変わっていないのです。
 
○実社会で通じるレベル

 悪くなって治すのでなく悪くならないように変えなくては、そういう力をつけなくては何ともならないのです。それがレッスンの必要性でしょう。でも、レッスンもヴォイトレも調整レベルで行われていることがほとんどです。
 なぜなら、トレーナーも本人も、そこで満足するどころか、今の状態の調整するのをヴォイトレと思っているからです。喉が悪くならないようにするというのを、悪くなるような使い方をしないことと、悪くなるまで使わないという方法と時間(量)で回避させることを教えています。しかし、現実は、悪くなる使い方をしたり、長時間ハードに使っても異常を生じないタフさが求められるのです。それを練習に課さないで、どうして克服できるのでしょうか。
 患者、生徒がお客さん化しているために、そういう傾向がさらに強くなっています。安全第一、安心のケア、そういうことにこだわる人へのサービスがトレーナーの仕事になってきたかのようなのです。トレーナーは、その名に反して、トレーニングでなく、治療、ケア、状態の調整に追われているのです。いや、もうそうも思わずに、それを唯一の正解と思って行うようになっているのです。もちろん、それもレッスンに含まれます。しかし、トレーニングである以上、それだけではないはずです。それだけであってはならないのです。
 自分の理念、ポリシーや考えのない経営者は、いずれ会社を潰します。言いたいことが言えない人が少々言えるようになっても、カウンセラーには話すことができても、実社会では通じません。そこから学んで一歩先にいかなければ社会的にも立ちいかなくなるでしょう。演出家にワークショップで演出されたところで、プロの舞台らしく仕上げてもらっても、個人として実力をつけなければ、プロのどの舞台でも通じません。
 治療して元に戻すのでなく、一歩でも二歩でも元よりよくしなくては、同じことのくり返しとなるのです。

○くり返しと変化

 レッスンは単なるくり返しでありません。そのようにみえても、同じことをくり返しているようでも、いずれ変わっていく機会を得て、変わっていくものです。トレーニングの内容やメニュは、同じことのくり返しが基本と思います。それで下支えをしていき、再現性が確保されるからです。
 自信があったり、もとよりトレーナー不信な人というのは、レッスンに来ません。来るとしたら、それが崩れたときです。その自信を回復して元のレベルに戻るところまでは治療、カウンセリングを求めるのです。それに対して、以前と変え、力をつけるのが、本当のレッスンとトレーニングでしょう。
 とはいえ、前者がレッスンの目的の人もいます。それは、ここまで否定してきたようなことであってもよいわけです。でも、変えるつもりで来て、変えないことに決めてしまい、そのことに本人が気づいていないことも少なくありません。
a.これまでの100パーセントが出ればよいのか
b.潜在的に抑えていたところが出ればよいのか
c.感覚も体も変えて新たな可能性に挑むのか
 次のことも、よく考えることだと思います。
aは医療やリハビリ(ケア)
bは調整のレッスン(修正)
cは強化トレーニング(鍛錬)
あなたは、どれを求めているのでしょうか。

○信頼に依存しない

 他人を通じて、自分をみるのが、レッスンのプロレベルでの利用法です。
 ということでなのか、トレーナ―に関する評判にやたら関心をもつ人もいます。神のようなトレーナーを求める人もいて、これもそういうタイプです。それは、トレーナーに関心をもっているようでいて、自分にしか関心のない人です。それゆえ、トレーナーのよし悪しが気になり、信頼と不信、期待が大きすぎ、いつもトレーナーの選択への迷いやレッスンの内容の評価で揺れてしまうのです。
 このトレーナーは信頼できるのか、このトレーナーを選んでよかったのか、そしてトレーナーのことばや態度、やり方、進め方のよし悪しの印象に振り回されます。それは、うまくいかないとしたら、トレーナーのせいにしたいからです。
 期待だけして、自分で勝手に期待外れにするのは、そのトレーナーでなく、本人の思考回路、ゆえに自己責任です。トータルでみると、そのトレーナーで、とても伸びた人、よくなり続けている人も必ずいるのです。ここのようにトレーナーを本人が選べるところでは、競争原理も働くから、無能なトレーナーでは失業してしまうでしょう。
 でも自分は、そのトレーナーと違う、何がどう違うのか、どう合わないのか。違う、合わないとしたら、その前提としている自分の判断に対して疑問をもたないのは、なぜでしょうか。判断する自分の基準のことを考えるのによい機会でしょう。
 
○うまくいく

 何かが起きたときに、人は本性を表します。人として問われるのは、いざというときです。ですから、そのときを共有したことのない人のことは、共有した人ほどわからないと思っています。いざというときに、がっかりさせられる人もいれば、それまで何も感じなかったり、何となく苦手とか合わないと思っていたのに、素晴らしく、頼もしく感じられたこともあります。自分や相手の危機、あるいは、その間での危機でこそ真価が問われます。そこからみれば、日常でうまくいっているかなどは大したことでないのです。
 それ以外、何もないところで、レッスンでも人間関係でもうまくいくのは、当たり前でしょう。うまくいっているのでなく、何も起きていないのにすぎないのです。仮に、そこでうまくいかなくとも全く大したことではないのです。単なる好き嫌いとか気分とか、せいぜい相性というものです。
 今の日本では、曖昧になあなあにしていたら、ネットだけで顔合わせしない人との間では、大して何も起きないでしょう。
 よくも悪くも、期待外れのことが起きるのは、高みを求められるからです。厳しい状況におかれるからです。それはレッスンだけではないのですが、レッスンでは日常です。そして、そこに左右されることではないと言いたいのです。そんなことより、年に何回か、あるいは何年に一回あるかどうかのレッスンでの一瞬、その非日常の時間でどうあるのか、その方がずっと大切です。
 レッスンの日常を非日常にしてしまえる人、これは日常に対してレッスンが非日常などということでないのです。レッスンが日常化している、つまり、毎日がレッスン状態の意識にあるところでの非日常、365日練習での本番の一瞬みたいなことです。勘違いしないでください。

○認められる力

 ここにも、拙書を読んで感化されてきた、という人はたくさんいます。それが世界や社会へ目を開くのでなく、内側に籠ることになる人もいます。それが一時のことで、レッスンにでも淡々とくるようになるならよいことでしょう。
 私と「同じことを考えていた、よく言ってくれた」という礼状も、それだけなら、そのパターンの一つです。私は、そういう人の側にいるわけでもないのですが、意にそぐわないトレーナーなどがいると、私のことばに乗っかろうとなさるのです。
 本を読んで、そこをやめてここにいらっしゃると、心穏やかでないトレーナーが出るのはわかります。そこのトレーナーから恨まれてしまう。何を言われてもよいのですが、今、ついているトレーナーをやめるようにとか、そのトレーナーの指導は間違っているなど、私が言ったことはないのです。
 選ぶのは自己責任であり、人は出会うべくして出会っています。出会いに間違いはありません。努力して実力が付くと、そこで居場所ができ、また次に必要な人に出会います。何ら努力しないと、そのままか、「トレーナーがだめだ」「ここは効果が出ない」と言ってやめることになります。次に選んだところで、より必要な人に出会うことがあるかもしれません。「しれません」というのは、努力もしない、実力もない人は、よいチャンスに出会う可能性が、どんどん低くなっていくからです。
 この世界で夢を実現するために大切な人と出会っていく、そのためには、どこであれ、認められていく、認めさせてしまう。認めざるをえない力がいるのです。
 よいトレーナーと出会うのでなく、その出会いをよいものにすること、その力が、あなたにあるかなのです。その力がなければ、自らがつけていく、そしてトレーナーを活かせる力をつけるのです。トレーナーがあなたの力を活かしているだけのレッスンにしてしまったなら、それは居場所をつくったのでなく、誰でもいられる場所にいるだけなのです。
 
○実践から

 非常時体験がないと、案外と、人は早めに自己防御に入ってしまうものなのだと思います。お坊ちゃんで育った首相などもそうかもしれません。首相断念という、前回の辞職が非常時体験になったはずですが、動けるように動いているのが、あまりよい方向に出ているとは思えません。
 それはともかく、守るために、より敏感になることで、体調や心を壊してしまうケースは多いです。
 レッスンを始める前に、私は、その人が話したいことをすべて聞いています。すべては声を出したら、こちらにわかることなのですから、声だけで純粋に判断したらよいのですが、その人のその声のバックボーンを聞くのも研究のためです。ずっと聞いているといつまでもレッスンがスタートしないので、ある程度で切り上げます。
 できない理由を本人がわかっていてできないのなら、できないのです。でも、そのように理由をつけているからできないことも多いのです。なかには、できないと思い込み、やろうとしていないだけで、能力と関係ないことも少なくありません。
 水泳を学びに行くのに「息つぎがうまくできない」という理由をいつまでも言うような人はいないですね。すぐに実践に入って、覚えていけばよいのです。身につけるとは、できないことをくり返して、できるようにしていくことなのです。

○タイミング

 「ハイ」と言うけど、きちんと聞いていない、理解して飲み込んでいないなら、そこで留まってみることも大切です。あるいは、さっと先に行って後で考えるのもよいでしょう。その辺りはトレーナーに任せています。いろんなタイプのトレーナーがいる方がよいのも、いろんなタイプの人がくるからで、そういう理由です。
 トレーナーも慣れないうちは、「どんなメニュ、やり方がありますか」に対し、メニュややり方を出しまくる、あるいは、初回で気づいたことを言いまくる。ここでは、生徒さんの聞き手として、私がいるので、その時期は早々に終えますが、トレーナーの発表会のようなレッスンは、あまり感心しません。
 相手の要求に合わせるのは、お店です。ここは、日常品を売買しているのではありません。言われたままに応じていくと、大半は日常レベルのレッスンになります。それは、ないものよりもあった方がよいというものです。
 あれもこれも欲しいから何でもあります、と、品数や量を出してどうなるのでしょう。相手の世界に合わせつつも、一段レベルアップした世界に連れてきてこそ、非日常のレッスンでしょう。それができるトレーナーでないと、そのギャップをトレーナーが把握していないと、本当はレッスンにならないのです。
 
○慣れるな

 トレーナーが、あなたの好きな音楽や歌の話ができなくてもよいでしょう。誰も私にAKB48の専門知識は求めません。そういう話は、仲間とすればよい。仲間とトレーナーを兼任(なかには、飲み仲間にまで)するのはお互いに無駄が多いのでないでしょうか。いや、無駄こそが人生ですが、それではあまりに人間関係が狭すぎます。声のヘルパーには、たわいないおしゃべりしている暇などないのです。というか、使い方としてもったいないですね。
 お金を払っているところで、それを求めるのは最初から違うのです。レッスンで、非日常の世界へのガイダンスをする、別次元へ連れていくのがトレーナーです。スタジオを、いらした人のそのままの声なり表現でそこに満たし、日常化してしまう。それではもったいないです。
 「日常のアナタ、それは違っている」「だから、変えよう」がトレーナーのメッセージです。ですから、「(非日常の)トレーナーさん、これで合っているでしょう」というメッセージは不要です。
 でも、この時代、多くの人は「日常のアナタ、そのままでよい、そのまま続けよう」になっているのです。自分で続けてきたけど、違うから変えようとなるべきレッスンが、まだ続けていないため、やりましょう、続けましょう、になる。スタートラインとしてはよいのですが、スタートしないとそのままなのです。そこはトレーナーの実力の見せ所ですから、何とも言いませんが。

○話の周辺

 内容、方法、メニュよりも、それがどの状況で誰によってどう述べられたか、あるいは、成されたかが大切です。何かよりもどうかなのです。「語るに落ちる」といいますが、それは語った内容でなく語ったことが重要ということです。
 話せばわかる、それは内容でわかるのでなく、話すからわかるのです。
 声のかけ方で関係も変わるのです。ことばだけでなく、声のトーンや、そこに込められた気持でわかってもらえるかどうかが決まることもよくあることです。

○第三者としての客観視

 トレーナーが何らかのコメントを述べるとき、そこでは、生徒しか対象として捉えられていません。当たり前のことですが、マンツーマンのレッスンでは一対だからです。スタジオのなかという状況のなかでは、トレーナーも生徒と同じ劇中の一人、登場人物になってしまいます。
 それを医者の公開オペみたいに、第三者がみて、トレーナーと生徒の間に起きていることとして捉えることで、初めて、本当に客観視できます。
 それをここでは行ってきました。私や他のトレーナー、カウンセラーが、第三者として評価、分析しています。これまでどこにもそういう体制はなかったのです。
 第一に、トレーナーが嫌がります。生徒も好まないかもしれません。すると、授業参観や公開講座のように見栄えのよい形になりがちです。それについては、ワークショップの限界として述べたことがあります。ですから、見学というのは、あまりよい方法でないのです。でもすぐれたトレーナーなら、他のレッスンをみなくても充分に洞察できるのです。
この“みえる化”こそが、データのストック、蓄積として研究所の大きな財産になっています。

○トレーナーと生徒を同時にみる

 スタジオでの同席や見学はTVカメラが入るように介入してしまうことになり、場を変えます。先の言い方では、登場人物が増えるだけです。中に取り込まれてしまうのです。マジックミラーでみるわけにいかないのですが、ビデオの録画でみることで代用できます。ここは初回のレッスンはすべて記録、収録しています。
 どんなに多くの生徒をみてきたトレーナーでも、トレーナー自身への評価については、いつも10人以上のトレーナーのレッスンを見てきた私のような立場の経験はありません。
 メニュや方法は、生徒とともにあるのでなくトレーナーとともにあります。しかし、それはトレーナーと生徒の間にあるのです。トレーナーが生徒だけをみても、正しい判断なかなかはできません。
1.トレーナー自身の経験
2.生徒一人に教えた経験
3.生徒多数に教えた経験
4.他のトレーナーが教えているのを学んだ経験
 ということで、この順に豊かに客観的、多角的になっていくのです。
 そこに同じ生徒を他のトレーナーが2人以上で教えるのを見る経験、それを同時進行、あるいは、順次(引き継ぎなど)で見ることを含めています。どちらもあまり、他所では得られない経験です。
 トレーナー自身が他のトレーナーから引く継ぐケースがあっても、ここのように情報や経緯をカルテとして引き継いではいないでしょう。(スクール内では可能なところもあります)何より、同時期に異なる複数のトレーナーのレッスンのプロセスをみてはいないのです。
 
○「科学的」の限界

 科学的なことを求めるにも、解剖学のような動かない図版や、発声の声帯振動、横隔膜の動きといったメカニズムでの知識は、実践や声の育成には、大して役立ちません。こうしたレッスンでの現実の場のなかで、科学的な態度のとり方を検討すべきです。そして、実行することでしょう。データをとり複数の人で共有し、ケースごとに検討し、調整を残すことです。レッスンでなく、定期的にトレーニングのなかでの変化をみることです。

○ズレ

 知覚する対象は声についてですが、その良否は、先生、師匠、トレーナーとの間に生じます。やっかいなことに、よほどのプロでないと、その日のトレーナーの与える雰囲気一つで、声は変わってしまうものです。
 本人だけでなくトレーナーもまた、何かを知覚した時点で、他の事は無視、見逃し、スルーしてしまうのです。複数回を重ねるうちに、チェックする中心を分けているのです。でも、一人のトレーナーである以上、盲点はできます。そこは、別のトレーナーがそこに盲点のできないようにフォローするしかないのです。
 専門家として判断するということは、教えたことにだけでなく、声を多角的にも高次にもみることです。そこでさえ、必ず固定概念、偏見を伴い、自分やその先生の経験からみていることに気づくことです。
 それがいかに特定に偏りやすい立場なのかは、トレーナーにもよりますが、プロの専門家として教えて実力も認められているのに、全く売れない歌手が多いことでもわかります。そういう歌手の多くは、過去の基準、昔よくいた歌手のタイプに多いので、専門家のめがねにかなう分、大衆受けも、新しい時代受けもしません。それどころか、そこからもっとも遠いところにいるのです。
 普遍的な基準であるかのようなクラシックや邦楽も、それがズレていなければ、もっともてはやされるはずです。普遍的にというなら、普及しヒットし続けるはずです。そうでないことがズレていることを証明しています。業界が特定な分野とされて衰退していくのは、その結果です。
 特定化がピークからズレてきているのだから、そこに基づいたり合わせたりしてはなりません。でも、専門家というのが、そこで長くいたゆえ、学んだゆえに専門だから全くの逆のことをしてしまうのです。

○形と音のイメージ

 ものの形の方が、ものの動きよりわかりやすいのは、視覚で静止したものを捉えるからです。ものの形が動くとしても、音の動きよりは、よほどつかみやすい。音や声は、形に隠れスルーされがちです。現実にあるのに気づかないことも、多々あります。音楽家は、音にこだわりますが、声においてはかなり微妙といわざるをえないです。実体、動きが把握にしにくい、イメージしにくいことが、スポーツやダンスほどに人が育たない要因の一つです。
 音響的なフォロー、マイクや、そのリヴァーブが加わり、さらにヴィジュアル化でのパフォーマンスとしての効果が大きくなってきたこともあります。
 AKB48を、歌い手とかアーティストと言うのでしょうか。私が、紅白歌合戦は、ステージ合戦になったと述べたのは、かなり昔です。お祭りですから派手な衣装や演出があってもよいでしょう。ただ、NHKが声力、歌力で歌手を選ばなくなった、いや、人気に声と歌唱の実力が伴わなくなった、聴衆が観客になったということです。ラジオだけであったら、こうはならなかったでしょう。

○教えること

 今のヴォイトレでは、発声も、運動や姿勢、その周辺での筋肉の形や働きに関心がいくのでしょう。その名称と働きについて知ると声もよくなるというのは、思い込みです。トレーナーが、本来は使うこと、伝えることではないのです。伝えるべきことは、音の世界、音のイメージでの声です。
 ただでさえ、小器用に何でもこなせる人の方が仕事になるので、音が後回しになります。本来は音が先、その動きから形となる、そして視るものへとなるのです。それは歌手や役者のトレーナー化をもたらします。それに気づいたのは、私が大して知識などを教えていないのに、仕組みなどに熱心な人がヴォイストレーナーになっていったからです。まして、知識としてのヴォイトレに関心をもつとそうなるでしょう。ヴォイトレを学んでヴォイストレーナーになるのは、ヴォイトレの目的ではないのですが、知識や原理で学ぶと声を使うのでなく、その使い方を仕事にしてしまうのです。
 役者は、他人に教えるケースも多いのでしょう。少なくとも後輩にアドバイスを求められるので、確実なことを教えたいと勉強し始める。それはよいことですが、発声の知識を教えることは教えやすいだけで違います。悪循環が始まります。他人によかれと思って行い、受け手もありがたく思う善意のスパイラルだけに手におえません。しかも、知識をもって、それに囚われることで、自身の演技や歌が鈍くなることも少なくありません。
 私の本もそれを助長してしまったでしょうか。本を読むのはよいことですが、それをそのまま教えるのは、よいこととは限りません。却って混乱や中途半端な結果をもたらすことが多いはずです。
 基本については、その先まできちんとみえていないと、伝えられないものです。少し悪い方へ出るだけでオタオタしてしまうでしょう。他の人のノウハウなどそんなものです。

○ことばの使い方

 芸事のことばは、ただ伝えるためのものではありません。自ら発見し、創り出してこそ使えるものです。ことばを使わない分野であっても、詩人顔負けの言語想像力、駆使力をもつ人がいるのは、今さら言うまでもありません。スポーツ選手でも常人の限界を超えたところに行った人のことばは違うのです。ですから、逆にその人のことばでそのレベルが量られる、いや、量れないレベルだというのがわかるのです。

○コップ半分の水

 「マニュアルで早く少し上達する」のでなく、「いつか自由に大きく変わる」。それを目的にしましょう。時間や費用などを問うても何ともならないのです。求める人に、根本的に取り組む意志や持続する覚悟があるかということです。それがないのに、人が助けてできることはありません。
 コップ半分の水をどうみるのかという、自己啓発書によく出る例があります。「半分もある」というプラス思考、「半分しかない」というマイナス思考。でも、これは出題する人が、一杯の半分と捉えた時点でマイナス思考だと、どうして誰も指摘しないのでしょうね。水がある、それだけが事実です。なぜ、コップの大きさの割合にこだわるのでしょう。
 でも、こういう例は、生徒をどうみるかにも使えます。あるいは、私をみて半分もあるとみるか、半分しかないとみるか。この社会では、勝手に人をコップ一杯100パーセントのようにみたてて、そこから「半分しかない」などと人を貶めがちです。
 相手を、自分にも他の人にも使えないようにして悦に入る人が多くなりました。私自身は、海とは言いませんが、プール一杯くらいをみて、コップでスタートしようとしています。土台で違うのです。何とか海の実感を得たいとイメージして伝えようとしているのです。
 能力のないのは知っています。でも、私を使って得ていった人と得なかった人の違いこそが、能力、学ぶ力の違いでしょう。それは、そのまま、考え方、物の見方の違いです。どう見るのかは本人が決めているのです。同じく、どれだけ使えるのかということも。
 本人が目一杯使えるようにみればよい、みえなければそうすればよいのです。ただし、本人の力以上のものは使えません。使えるように力をつける、そのために時間がいるのです。

○ON

 DNAのON、OFFというと、人間一人もDNAのように、誰かがON、OFFしていて、人類全体を動かしているのかもしれません。そのシナプスが、人がIT、サイバーネット、webとして創り出している、とも思われます。そこで化学物質という、あたかもテレパシーのようなものとして働いているのです。

「フレーズ、本番ステージ、メンタルの問題など」 No.300

○技術を消す☆

 心身を鍛え、感度を良好にしていくと、出るべきように声は出ます。頭を使ったり本を読んで知識を覚えたりして出すのではないのです。誤解を恐れずに言うと、勉強やトレーニングを闇雲にすればよいというのではありません。大して効果が出ないか、それによって早めに限界をつくるという逆効果になりかねません。
 条件が欠けているときは、条件から習得する意欲をもつことです。これが、今の日本人には大きく欠けています。姿勢、呼吸から体幹、筋トレからメンタルまで、みえないところの力をつけることが必要です。多くの人には、そこを抜かすなと言わざるをえません。
 一方、意欲があると、一人で急にたくさんやって、雑に固めてしまいがちです。それでは、実力はどこかからアップしないのでトレーナーがいるわけです。
 状態の調整は大変ですが、ベストな状態の心身であってこそ、そこで初めて次のレベルへ行くきっかけをつかむことができます。次のレベルをつかむためには、そのセッティングに集中して調えます。そこでやりすぎたり、怠けたりする、体調不良や精神的なもので、その条件が崩れるのです。それを最低に抑えるために技術などということばが出てくるのです。
 
○取り組み☆

 発声の技術もヴォイトレも必要悪であって、その習得を目指すものではありません。まして、それらを目的にするのではありません。次のレベルに行くことを担保するだけです。それを使って実力を上げるのではない、その技術で支えられるのでなく、それを使わない、なくすこと、少しずつ消さなくてはいけないのです。☆
 ほとんどの人は、その問題を取り違えています。技術を学ぶのは、上達でなく、下手にみられないためです。技術を学びたいとは、できなくみえないように安全装置をくれと言っているようなものです。ですから、教えてもらうと、下手ではないし間違いもない歌になります。素人には、うまいし正確だとみえる。そうでなかった人は、褒められるので嬉しくもあり安心してしまうわけです。
 技術でこなしたら技術でみせるようになっていきます。ただ、歌が歌のように思われ、そのうち退屈になって飽きてしまうのです。技術を勉強した人だとみえて、技術がでしゃばります。トレーナーが学ぶときに、もっとも気をつけなくてはいけないことです。というのは、技術を売りにしている人に技術の欲しい人が行くものですから。
 本当の歌は、歌で働きかける。問われるのは、歌ではないのです。結果として歌われている、その人そのものです。いえ、その人さえ消したものです。ただの声、いえ、声さえ消えたものなのです。
 その人と技術が2つ、出るのは、もっともよくありません。トレーニングが出るのは暑苦しいですが、まだ熱意、情熱に気が紛れます。

○2つの落とし穴

 トレーナーは、相手の様子から姿勢、表情、喉までで、瞬時にスキャニングするわけです。ヴォイストレーナーなら発声状態から声とその周辺のスキャンをします。
 例えば、顔の向きなどもイメージする。しにくいときは、同じようにまねて、そこでの違和感をみて直そうとします。
 原則は、認識からです。自分をモデルとして、相手とのギャップとの認識をします。そのギャップをふまえ、自分でなく相手のあるべき理想像を描いて一致させるのが指導となるのです。
 ここに2つの大きな落とし穴があります。第一は、自分を見本にしてよいのかということです。ここには、プロやベテランだけでなく、全く別の分野の人も来ます。自分では、足りないことがたくさんあります。
 向うは信頼してレッスンにいらしているから、それでよいのですが、私は疑い深いのです。そこで、何人かのトレーナーと分担させるのが、次善の策です。見本が一人のトレーナーに偏らない分、リスクヘッジできます。
1. 本人とトレーナー
2. 本人とトレーナー複数
3. 本人とアーティスト
4. 本人とアーティスト複数
5. アーティストと本人の間としてのトレーナー
6. 一流のアーティストで誰にも合いやすいケース
7. 一流のアーティストで本人に似ているケース
8. 本人の次の段階(理想)
 一流のアーティストのイメージを借りるのが、もっともよいのですが、それを相手とどうマッチングさせるのかは、けっこうな経験がいります。一流ゆえに、相手と離れているし、根本的に理想像とかけ離れていると使えません。そのギャップを埋める聴覚からのトレーニングが必要です。
 
○スキャン能力

 ヴォイトレや発声での効果というのも、本人が満足していても基準が甘いだけで、大半は多くの問題があります。少なくとも4、5年経たないうちは上達はしていきますが、何をやっても失敗途上というか、本当の結果は、まだまだ出ていないものです。本当の意味で伸びるということを知らないから、上達とか成功と言えるのです。成功には、いろんな意味がありますが、ここでは声についてに限ります。つまり、そのプロセスでは、成功体験でなく失敗、いや挫折体験を必要とします。
 何を高めるかというと、トレーナーのスキャン能力を基に、レッスンを受けている本人のスキャン能力です。
 修正は、トレーナーの見本をまねしていくうちに、声を変えていく、それが上達のように、当たり前に言われています。しかし、これでは、まねのうまい生徒が最強となります。他のスクールなどに行くと、まさにそういう評価です。私は、そういった声に魅力を感じたことがないのです。それでは、私がおかしいということになります。でも、表面的なコピーと、全身からの表現は対極のものです。
 
○声のオリジナリティ

 ここのトレーナーのスキャン能力はかなり高いし、そのままレコーディングもできるほどでしょう。生徒がそのトレーナーの声のスキャン、姿勢や表情のスキャン、フォームのスキャンを通じて変じるきっかけにするのはよいことです。そこは技術です。求めるべきものはそのはるか先にあるもの、あなたや客の先にあるもの、歌なら歌の神様をスキャンするようなことなのです。
 トレーナーの見本やイメージの後を追うのでありません。その先に出なくてはなりません。そこからがレッスンです。模写は作品にならない、ということがわかる人があまりに少ないのです。
 声が一人ひとり違うことに甘んじ、そこをオリジナリティと思うから、自分の歌に思えるのです。それは、自分の声であって自分の歌ではありません。磨き抜かれた自分の声でもないことが多いでしょう。でも、歌手なら、自分の歌ならよいのです。
 絵具や画材を変えてもまねしている分には練習です。デッサン、線、フレーズの才能は、独自のものとして表れてくるものです。そこで、スキャン=コピーするのでなく、創り出せているかです。
 習作にもオリジナルは出るのです。練習の声でもわかります。
 それを出そうとするのでなく、消そうというのは努力の方向が真逆です。なのに、日本人の多くは、憧れの人やトレーナーのコピーを目指したがるのです。義務教育の弊害でしょうか。もう、そのまま、まねるのは学ばなくてもよい。まして、トレーナーにつくなら、そこで使うのは、あまりにもったいないのです。
 トレーナーもそこで対しているのは、本当は、クリエイティブでないからつまらないでしょう。しかし、このつまらなさに耐えるのが仕事という真面目な人が、教えたい人には多いのです。いや、耐えるどころか楽しくできる。それはそれでよいとしても、オリジナリティが減じられたり、そのまま眠ったままになりやすい。
 トレーナーのせいではありません。自ら見つけ、伸ばすというのは、面倒で手間がかかるものです。殊に、表現することについて、主体的に生きてきた経験の少ない日本人には、かなりのプレッシャーになります。
 ゆえにレッスンに来るべきですが、そこで伸びているつもりで目指す方向が伸びを制限してしまう、大きくいうなら、習うことで潰れているのです。
 自分で主体的にならなくては何一つ始まらないのです。レッスンを受けていても、何ら始まっていないのです。

○待つ

 私のレッスンでは、主体的になるのを待ちます。根比べです。しかし、親切な人が「こうしたら早いよ」などと言うと、そこへ流れてしまう人もいるのです。それも、本人の判断であり、またアプローチの一つですから自由です。研究所は、その試行ができるように、懐を深く広くしてつくりました。
 教えられたいという多くの人には、まずは、始めることが大切なので、私も、かなり寛容になってきました。
 よいレッスンとは、本人がアーティストやトレーナーをスキャンしつつ、自らがそれと異なるものを出し、最後は、その声のフレーズで説得させることです。
 もう一度プロセスを言います。最低ラインは、スキャンしたところ、その上に置いておく。そこで相違するもの、差別化したもので問うて、その差を明確にする。つまり、トレーナーも叩き台、基準としてあるのです。
 ここでは、差が、違いが出ることを目指します。よくあるカラオケの指導とは対極です。次に、ただ違っている、変だ、新しいというのを吟味する、それだけで留まらない何かの一貫したものがあるのかをみます。そこで問うならほぼ99パーセント使えないのです。
 トレーナーは、本来の可能性をみるのですから、例えそれがスキャンできない、理解でいないものであっても、何らかの理があればよいとしておく。そこですぐに結果を問わずに、そこからずっと我慢するのです。出てくるまで待つのです。
 
○本物

 その人の本当の作品が出てくるときは、その人の世界といえるように集約されてくる、バラバラでなく筋が通っている、そういうものなので、すぐわかるのです。誰でも瞬時にわかるが、先生、トレーナー、専門家の方がわからなかったりするので、注意です。本人もです。
 それをいろんなメニュで、どんなことにもつなげるようにする力をつけます。バラバラなことばかりできるようにしては、結局は使えません。力になりません。
 でも、教えられたことを、そのまま実力と思う人も少なくありません。すごい人は100曲歌えるからすごいのではなく、1曲、1つのフレーズ、出だしの1、2秒ですごいのです。それで100曲がすごいなどという人はざらにはいません。そうであれば歴史上に名を成しているでしょう。私は、歌で1か所、ステージで1曲、すごいのがあれば充分どころか感謝感激です。
 多くのレッスンやステージを合わせても2、3年に2、3人、2、3曲出ればよい方です。
 すぐれたヴォーカリストは、お客の求める歌のステージをスキャンして、必ずその上をいきますからヒットします。ところが客がそれなり厳しくないと、まあ、一流の客がいないと、スキャン能力も育たないし、スキャンしてもよいものになりません。
 そういう意味では、日本は、無名からデビューのときに、もっとも客が厳しいともいえます。3年、5年経つと、とても甘くなる。周りにファンしかいなくなるのと、そのファンがやさしい。歌を聴きにくるのでなく、歌手に会いにくるからです。そういった国ですから、ヴォーカリストもそのラインを辿って、実力の保持に、守りに専念するようになります。ショービジネスの厳しい国では、そう考えたとたん、脱落してしまうはずです。
 会えるだけで嬉しいファンが増えると、会うことのスキャニングになるわけです。スポーツなどでは、ファンは長くなるほど目も肥え厳しくもなるのに…。なぜかというのは、私の述べたことを昔から読んでいる人にはわかると思います。
 声は、みえない世界でのスキャニングです。考えてみると、どの世界でも誰もが目で見ているのですから、目で見えるものの世界で勝負を決めているのは、見えないものを観る力になるわけですね。

○基準―長さ

 基準を具体的に示してほしい、と言われるときがあります。例えば、ロングトーンを10秒、15秒と声を伸ばしていくと、どのくらい均質にコントロールできるか、しぜんなビブラートがかかっているかで、ほぼキャリアと質がわかります。できない人は徹底して、そこを掘り下げていくとよいです。
 1日1000回やったらできるようになるかといったら、できません。本人ができたと思っても、ちゃんとしたトレーナーなら認めないでしょう。ところが現実には、その秒数伸ばせただけでOKと言ってしまうレベルで、ヴォイトレの9割は行われています。マイクがあればリヴァーブをかけたら、済むからです。
 どこかで、2、3年、ヴォイトレをやってきました、と言う人も、20秒ほどのロングトーンなどまともにできません。音大の声楽科目の4年生あたりや、劇団四季のオーディションに通るくらいの人ならできる、としたら、それも、一つの目安です。
 できない―できるを区分けしないと、レッスンは進めにくいので、どうしてもそういうことでみてしまいがちでが、本当は、20秒のロングトーンは絶対必要条件ではなく、挑戦課題、チェックにすぎないのです。
 できるというのも、よりハードルを上げて評価したらできていない。この「できていない」を本人がつかめているかどうかです。5秒や10秒では、誰でもできたと思い、音質の判断がつかないので、15秒以上で挑んでみて、呼吸と発声の力を伸ばしていくという初心者向けのわかりやすいアプローチです。
 そこをカラオケのマイクのエコーは、初心者の1日目に、10回もくり返せば、うまくつなげてくれる。それは、できたのでなく、カバーした、ごまかしたのです。小さく口先でぼそぼそ出しても15秒つなげられます。が、カラオケにごまかしも本当もないでしょう。楽しくないことをする必要もない。これが、そのままステージになりつつあるような現状では、基準が低くなるどころか、なくなるのも無理はありません。

○基準―大きさ

 そこで、プロなのに大きな声が出ないという悩みが生じます。昔は、大きな声が出ないとプロになれないから、そこは最初に問うべきことでした。そこで乗り越えたつもりのハードルを、後から再セットして変じるのはけっこう大変なのです。物事には順番がありますから、ゼロからやり直さなくてはいけません。でも、プロが、まさか自分の力がゼロとは思っていないから、大して変わらないのも確かなのです。多くは、それ以上の声の実力はつかないが、崩れない技術=カバーするやり方を覚えてしまうのです。「しまう」というのは、そのことでその後、さらに器が小さくなりかねないからです。自ら、歌の技量のように思って、声に制限をかけてしまうのです。一流をみて、小さな声で大きな世界を表現しているのを真に受けてしまうのです。
 日本人の歌手については、ベテランになるにつれ、歌のスケールが小さくなるのは真相です。それを円熟として、寄り添ってくれるファンがいるからです。
 ファンの多くは、若いときのように同じように歌って欲しいと思っていませんか。日本人の歌へのノスタルジー、青春の懐古をしたい人たちばかりの客、ということは、以前述べたので割合します。
 日本の歌のヴォイトレでは、音の高さばかりをメインにしているので、あえて、長さ、大きさを挙げてみました。音色などは、もっと扱われていません。念頭におかれていないのですから、そういう力はつくはずがないということです。

○レッスンでどのくらい変われるか

 多くの場合は、人は、今の状態を根本的には変えたくはないのです。本気で変えたいと思えば、その分は変わるものです。
 声もその結果の一つです。執着、執心するために、パワー、生きる力も落ちていくのです。声の場合、その人がとても大きなことに触れると急に変わることがあります。
 守りに入ると終わると、私は述べてきました。終わるというのは、戦いではないから死んだり殺されるわけではない、固まっていくということです。その方が楽なのです、安定するのですからです。それを上達と思うからなおさらです。
 自分が楽にならないと他人も楽しめないから、エンタテインメントは、もとよりそういう宿命をもっています。つまり、ステージで楽しめることが安心してみていられるように変じてしまいがちです。それは実力としても、パフォーマンス力や演出力なのです。
 上達することで最初は上を目指し、上に達する、達したように思うと、後は堕ちていくものです。芸としてさらに上りつめていくには、自らが楽しめることも客が楽しむことも関係ない。むしろ、そこに失敗しなくてはいけません。最初のように―。
 なのに、今のエンタテインメントは、最初から人を楽しませられるものとして出してくる。歌い手もそれを目指しているところで、すでにアーティストでもアートでもないのです。それが悪いのではなく、いつの時代も9割はそうであり、1割が次の時代につながることをやっていました。わけのわからないことをハイレベルでやっているから目が離せないのです。この1割がいるかどうかが、そのアートの寿命を決めるのです。それを殺すのは、多くは保守的な残りの9割、そして、古いファンなのです。
 その古いファンに合わせようとして若い人が出てくるのをみると、さすがに絶望的になります。そこでの「仲良しクラブ」が、芸の命を短くします。そこでは古いファンを拒もうとも、先人のアーティストを超えようとしてこそ、結果として、芸がつながるのです。それが伝統というものです。
 つまり、師や親を乗り越える、相撲でいうところの恩返しです。いつも先代や先輩に負けているのでは一緒に引退して何も残りません。まだ、他分野へ転身してでも活躍した方がよいかもしれないのです。

○意味を調べずに、外国語で歌う

 何事も目的によります。前にも述べたように、言語は、区別を強います。意味を与え、分析するだけでなく、内と外、仲間と敵とを分けます。しかし、言語としてわからなければ、ことばは、どこのことばも音楽なのです。
 レッスンでは、イタリア語、フランス語、ポルトガル語スペイン語、さらに、それ以外の言語の歌を、ことばの意味、文法や発音は学ばせずに使うことはよくあります。わからなくて使ってもよいのかでなく、わからないからこそ、使いたいのです。英語は日本人にわかるので、わざと使わないほどです。そこでまず、言語がわからなくても、歌は声で伝わることを知ってほしい。その声を聞いて欲しいのです。海外のアーティストの歌も、そうして耳に馴染んでくるのではありませんか。
 言語もその歴史や地理、風土も知ってこそ舞台で歌えるというような、声楽家には信じられないかもしれません。もちろん、学べるものは学べばよいのです。学び方というのは、効率を考えるために、すぐに出来上がったもののまねに終始します。元のもののレベルが高いと、まねでもまねしきれないまま、生涯が終わります。次代かその先に行けたら、よくなる可能性はありますが、大体、その前にも行けないのです。まねのまねもできないと、可能性はさらに低くなっていきます。
 私は、向こうのものをそのまま、移してきたもの、例えば、発声もピアノの伴奏もきれいにこなす先生たちに魅力を感じないばかりか、正直、退屈してきました。そういう人は、語学、発音はもとより、背景やストーリーをしっかりと把握し、それが絶対条件と考えています。でも、本場に行ったり、元のを聞くと、すごいのです。つまり、本質が全く継承されていない、創造的精神が死んでいるのです。
 本当に歌に値するなら、声に魅力があるなら、周りの装置は何もいらないのです。どこでもそこから発生してきたはずです。さらに強めようとして、他でプラスαとして付加されたものが、音響、演出などです。
 そのうち、実力の足らないものを形としてみせるのに、これらの装置や技法が補強として使われるようになります。トータル化されることで声の力もわからなくなったわけです。                    
 問われるのはトータルとしての舞台ですから、アイドルやオペラのようなステージでは、私は判断しません。そこに集まるお客さんがよいと思えばよいと思うのです。
 人は言語がわからなくても、歌に感動します。来日したアーティストたちが、その日にルビをふって、ほとんど初めての日本語で歌った歌にも感動したこともあります。
 ことばも、風土も、すべてを備えた人が歌うことがふさわしいのは確かですから、バックグランドを学ばなくてよいとは思いません。しかし、バックグランドというものは、学べるものでないかもしれません。
 向うの国に行き、向うの国の人になり切るというのが、従来の学び方でした。向うで生まれて育った人に比べると、あまりにハンディが大きすぎます。圧倒的に不利な勝負ゆえ、成し遂げられた人は純粋にすごいと思います。
 一方で、ネイティブレベルに発音がよくなった日本人の歌手の英語曲を聞くにつれ、昔、カタカナのようにしか歌えなかった日本人のプロ歌手と比べ、失ったものの方が多いと思うのです。
 どちらを優先とするか、どちらが本質かということです。模倣、再現か、創造表現かということです。発音、ピッチはよくなって、表現力、声力、オリジナリティ、個性、パワーはどうなったのでしょうか。

○メンタルの問題

 体質、性格、ものの考え方、おかれた環境などの原因を探るべく2000年以降、最初はメンタル、次にフィジカル、そしてスピリチュアルと、補充せざるをえなくなってきた経緯は、以前にも述べました。一般の人や若い人、年配の人が来るようになったこともあります。
 もう一つは、声優やミュージカル俳優の特質です。まだ、私のなかでまとまっていませんが、声優のメンタル面のフォローをしていて、かなり似た傾向のあることがわかってきました。歌い手や芸人の場である全身で自由に動けるステージと、彼らの場である決めごとの多いスタジオとでは、かなりプレッシャー、いや、その解放やリフレッシュの機会が違うと知りました。音声医、耳鼻咽喉科からの紹介でいらっしゃる方が、単に喉や声の問題ではなく、別にもっと大きな問題が、メンタルにあることを指摘してきたことと通じます。

○化ける

 まずは、真剣に取り組んでいるか、そこからでしょう。目的を声に定めよとは言いませんが、「○○のため」が、本質をみえなくしてしまうことが少なくありません。例えば、研究のためといい、分類したり、それをまねてみたりする。それだけでも大したことをしていると思われるほど、他にあまり取り組んでいる人はいないのですが。これも大したことでなく、自己満足のための勝手な分類みたいにして、とても使えたものにならない声で揃えていたりする。つまり「研究のため」が本質をみえなくしているのです。
 実験のステージなどというなかにも、私の見聞きしたものでは、表現からの逃げになっているのが少なくありません。まさに、なんでもやればよいくらいに投げやり、基準がないから吟味がない。丁寧でない、やりっぱなし、実験というならなら仕方ありませんが。
 他にも、派手なだけのもの、パクリだけなもの、向うっぽいだけのもの、雰囲気だけなもの、それが大半です。
 でもそういうなかで化けるものもあるし、ともかく出して問わない以上、先にも進めないから、10のうち9のはずれもよいと思うのです。まして、プロセスをみるトレーナーとしては、先を期待したい、次を見たい、と思わせてくれたら充分です。もしかしたら、そう思わせる力こそが才能かもしれません。☆
 でも、問うていないどころか客ばかりみて、それ以上に挑もうとしてないものがほとんどになってきたために、つまらなくなってきたのでしょう。楽しむけど感化されない。その日に疲れて、翌日はふつうの生活に戻る。昔のように、翌日に別人になる、そんな衝撃を与えてくれるステージがなくなったと思うのです。「客を見るな、あと先考えるな」と言いたいほどです。

○打破

 状況に対して、応じようとする、と、その状況に依存している。すると先生にも依存する。欧米は、それを先生が嫌う度量があるが、今の日本はイエスマンを好むようです。人柄をみるか才能をみるか、これは状況対応か状況打破かのどちらを目指すかの違いでもあります。
 ヴォイトレでも、ヴォイトレ打破であってこそ、というのは、私くらいなのでしょうね。若いときから周りの求めるものを優先しすぎるためにみえなくなっていくのです。
 オーディションに受かるより、受かった後に長くやっていける力、他のところでも通じる力をつけるべきでしょう。合格だけを目指すのは、入る方が難しく、入ったら安心という、日本の大学や会社のもたらした悪い刷り込みなのでしょうか。変わらない万世一系で革命がない日本ですから、革新しにくいのです。それはよいことでもあったのでしたが…、一個人の表現力養成にはよくはないのでしょうか。

○掛け合わせる☆☆

 昔、グループレッスンで、高橋竹山の三味線とマイルス・デイビスのトランペットを同時に流すようなことをやっていました。その中で、次元を超える何かがシンクロするのです。
 それは、一人のときにも生じましたが、私と参加者のつくる場でも生じたのです。同じところで生じたら、同じように感じたら、それは偶然とはいえ何かがあるといえます。
 演奏家は共に、天才ですから片方だけでも聞きごたえがあります。もし、本当に共演していたら…。多分、CDの掛け合わせよりも、もっと大きな何かが生じていたと思うのです。そういう音が歴史を伝説をつくってきたわけです。

○フレーズについて☆☆

 フレーズ感こそ、もっとも声の表現にとって大切と思うものです。それにも関わらず、多くの歌やヴォイトレのレッスンで、ほとんど無視されているものです。
 ここでいうフレーズ感は、合唱団の統一しているようなフレーズ感とは違います。入り方、つなげ方、収め方、その動きのタッチやニュアンスのことです。これは、皆に共通するレベルのものでないのです。その人の個性、武器とするものによって、すべて異なるものです。
 同じ人のフレーズでも、イメージと解釈一つで大きく変わります。例えば、出だし一つ変えると全体がすべて異なっていくものです。ハイレベル、即興的でこそ、活きているのです。
 本当は、歌のフレーズを自由に展開する、その動きを支えるだけの声のコントロール力をつけることこそ、ヴォイトレの本道なのです。多くのレッスンはそれ以前のレベルで終わってしまいます。今の歌を目的にしてはハイレベルになりません。今の力でこなすことで、歌一曲は精一杯になるほどの課題だからです。
 一つの原因は、曲づくり、伴奏をつけて親切すぎるからです。カラオケなどがまさにそうです。笛の名手がいつもカラオケに合わせて吹いていたら上達しないでしょう。静かなところで自分の音を出し、確かめ、共鳴やその働きをゆっくりと全神経で集中してこそ、自分の音がわかります。つまり、ソロの練習が必要不可欠なのです。
 レッスンでは、せっかくアカペラでフレーズを細かく自覚できるのに、すぐにピアノで助けては、もったいないともいえるわけです。カラオケにも劣らない音楽的なサポートとなるからです。ピアノのうまい先生の力で歌になってしまって聞こえるのです。
 声について実力の細かなチェックも、その必要性も、本人に身につかないことも少なくないのです。伴奏に頼り、合わせるくせのついている人がいかに多いのか、それでは自立できないということです。

Q.ヴォイトレと本番との違いはあるのですか。
A.プロのヴォ―カリストに「声が乗って、表現しやすくなったときに、声、つまり喉はもう疲れている」と言って、反省したことがあります。本当でも言わない方がよいこともあるのです。
 歌もせりふも表現です。そこは、発声としてのピークで、もっとも理想の声が、表現としてもよいとは限りません。少し疲れたあたりからの方が感情がのります。その状態でも1時間以上のキープ力が、プロには不可欠なのです。

Q.舞台での作品とヴォイトレの練習との関係は、どういうものですか。
A.練習は、あらゆる状況への対応、シミュレーションの訓練なのです。
 プログラムもメニュも、一つの作品をバラしたようなものです。よりシンプルに短くして細かく対応できるようにするということです。チェックを厳しくし、弱点補正もします。それは、レッスンの目的ではなく、副次的効果のためにあるのです。自分の強みを出す、そこに気づけるものにする、そして高めることです。舞台や作品全体と絡めたことでないと学べないこともあります。
 
Q.レッスンに慣れることですか。
A.慣れは必要ですが、対応ということで慣れてはよくないのです。

Q.先生の考える理想的なレッスンとは。
A.理想的には、本人が、自分で切り出すために、レッスンの内容を決め、トレーナーはそこでやるのをただみるだけ、トレーナーもいるかいないかわからないのがよい。とはいえ、トレーナーもコンピュータ以上に頭も心身も使っているものです。
 見ても聞いてもいないような状況で何か飛び込んでくる声になるように、仕向けて来るまで待つとか、スタジオで自主トレをしたら、トレーナーがいるときよりもできるようにしていくとか、ともかくも主体的になることの邪魔をしないよう心がけています。本人が、どう今日の状態を調整し修正し、最高にもっていくのかをみていること、最後に一言二言、感じたことや少々のコメントを伝えたら、充分というのがよいですね。
 
Q.音をよく聞いて出せと言われます。☆
A.聞かないのはよくないです。よく聞いてください。でも、待ち構えてはだめです。トレーナーのやることの、常に先に行くつもりで臨みましょう。ときに、急にプログラムが変わっても、反射的についていけます。
 ピアノを弾いていると、その音の先に声を出している人は、勘がよい。主体的に動けています。途中で音を消しても、動ぜずにペースを保っています。
 トレーナーは、ピアノの音を聞いて、それに合わせるような教え方をしてしまいがちです。伴奏を完全にしようとして、聞いているのは、ピッチと発音だけだったりすることがあります。

Q.耳の鍛え方を教えてください。☆
A.聴覚を磨くのに、あまり、ことばの情報、視覚の情報を与えない方がよいと思うことは少なからずあります。ただ、無心で聞いていた方が耳は集中するでしょう。
 目をつぶって聞いてみます。次に、目を開けても同じように聞くことができますか。私は、そこにかなり訓練を要しました。

Q.エネルギー源が足りないと言われました。☆
A.エネルギーは、重さや速度で表されますが、そのものの持つ力といったものでしょうか。立っているだけでも、そこに位置エネルギーとやら熱エネルギーとやらがあります。が、簡単に考えてみます。エネルギー源は、車ならガソリン、リットル量か、質で、ハイオク、レギュラーなどでしょうか。
 人の場合、摂り込むのは飲食や空気です。炭水化物、脂肪、タンパク質をみると、その燃焼は、同量の酸素の燃焼の結果に近いそうです。そこで、酸素消費量としてみます。
 そこから生物学、酸素で食べたものを燃やしATPをつくり、そこにエネルギーを保存し、分解して必要に応じ提供しているのです。これはミトコンドリアの仕事ですね。エネルギー消費量の目安が基礎代謝率となります。これまた、運動していると大きく変わるのです。

Q.絶叫したら、歌になりますか。
A.本人の叫びのままでは、歌にならないでしょう。それでは、子どもの我儘です。「神が自分の口、声を借りている」と信じているような一流のオペラ歌手もいます。そうでなくとも、私のことばも私のものでない、あなたのことばもあなたのものでないのです。
 あなたと私のものというのならなら、よいでしょう。だから、私は、著作権フリーの考えです。一人で生み出した作品などない、などと言うと盗作などと騒ぐような輩もいるでしょうが。

Q.ステージで大切なことは何でしょうか。
A.時間と空間、自分の立ち位置を感知する能力でしょう。

Q.本番は、練習と同じではよくないですか。
A.本番は、今の力の100%を出す。練習は100%が今の力としたら、120~200%の実力をつけていくものです。今の力の100%出すのが練習、ヴォイトレだとしたら、いつもステージをやっている方がよいとも思います。

Q.本当の力とは何でしょうか。
A.環境の安定より、変化する環境への対し方が安定することです。自ら変じて対応できることを本当の力といいます。

Q.成功を恐れているのかもと思います。
A.うまくいくと心身によくないなどと思うと、自ずとブレーキがかかります。うまくいくことで他人や社会に迷惑がかかるとしたら、うまくいくことを心から望めなくなります。みぞおちが固くなり、支える邪魔をしかねません。
 成功してこそ、すべてがよくなることを信じましょう。うまくいっていれば、うまく納まっていれば、それでよいのです。そうでないからこそ変わる努力をするのです。

「一般的な話とトレーナー論」 No.299

○得意、不得意とノウハウ

 

 才能と素質があって、たやすくできてしまうがゆえに、人を育てる術を学べないことはよくあります。若くしてプロになる歌い手などは、その典型です。習わないでできてしまったからです。

 心技体で分けて、どれかが弱くて努力して乗り越えた人なら、そこのアドバイザーになります。すべてが強かった人は、気づかなくてもできてしまったゆえ、伝えにくいでしょう。優秀ゆえにできてしまったことは、まさに、そこが教えるときの盲点となるのですね。

 一人のトレーナーでみると、誰でも得意、不得意があります。案外と、優秀というのも欠点です。その「得意」を周りの人は学ぼうとしますが、それは、伝えられません。

 べテラン歌手が年をとると、健康のアドバイスをするようになるのと同じく、できなくなって、わかることもあります。できないのをできるようにするところから教えられる。そこで経験してようやく手順化できるのです。

 つまり、得意なことも不得意なことも教えられず、不得意を得意にしてきたところで、その人のノウハウとなります。それをいうと、私は声が弱かったのです。

 若いときは周りのレベルが低くて、できたことにされていて、その後、求められるレベルが高いところに行くと、あるいは、周りのレベルが下がってくると、できていないのに気づく、そのできないのをどう乗り越えるのかがノウハウなのです。

 

○メインの効果

 

 「○○のためには、○○のメニュがよい」ということについて述べます。

 私たちには、声のさまざまな問題に対して、対処するメニュ、方法がいくつもあります。だから、そういう形で伝えることは、少なくありません。

 トレーナーがメニュを教えて、その人がよくなった。するとメニュの効果のように思われますが、必ずしもそうでない、というか、大半は実は違います。

 わざわざ言わないのは、「そのメニュでよくなった」と思っているのが、本人のためになるからです。メニュを利用するごとに、一定の安定した効果の出るパターンになって、儀式化していくのはよいことです。評価、信頼となり、トレーナーとしてもありがたいし、やりやすいからです。

 しかし、実のところは、本人の力が60%、トレーナーの力が20%、メニュの力は10%、かなりバラつきがありますが、こんなものです。

 これは、3つの条件の1つを変えて、他の人、他のメニュ、他のトレーナーで試してみるとよくわかります。このパーセントは、私の、トレーナーたちをみてきた経験なのですが、他のところでは、こういう経験、いや、試行さえしていないでしょう。トレーナーをみるスーパートレーナーのような存在がいないと、ただ「メニュのおかげ」「トレーナーのおかげ」となってしまうのです。

 本人の自主努力、トレーナーの教え方や与えるタイミングに信頼、信用の強さ、そしてメニュ、この3つの関係でもっとも変えてもよいのはメニュです。私のところは、二人以上のトレーナーが異なるメニュを出しますから、常に比較もできるわけです。

 

○効果の実証

 

 声の成果を完全に客観的に実証するのは無理です。それでも、十数人のトレーナーと十年以上継続してきたレッスンを受講している人の間での差をみていると、そのような機会のない人たちには想像もできないほど多くのことがわかってきます。

 あたりまえのことがそうなっていないこと、かなり特殊に思われていることが一般的に求められていることなど、これまでにも述べてきました。

 結論としては、レッスンやトレーニングの進行上は、ある一つの「メニュのおかげ」にしておくことでやりやすい。しかし、この3つの関係で、特にトレーナーとの信頼関係、つまり心が大きく影響しているということです。

 

 問題は、多くのケースで、単一の原因ではないということです。心技体、身口意が混ざっており、この問題と一口で言っている問題は一口では言えない、複数が複雑に絡み合って問題だからです。

 例えば「高音が出ない」でも、「滑舌が悪い」でも、1020も、その要因があります。解決法を400字くらいで述べられるのは、一般的に、個人の事情を切り捨てるからです。一人ひとりをみると、多くの要因が複雑に絡み合っています。本やブログの限界はそこにあります。

 なのに、多くの人が、結核に、医者が抗生物質を処方して完全解決してくれるように、万能のメニュがあると思っています。結核の患者はいなくなったのに、多くの人が病院に通い続けているのは、そういう特定の分野以外での医学の無力の証明です。

 声の問題にはトレーナーが完全に対処してくれると思っている人も少なくありません。ヤブ医者のように、すぐに、何でもできると言うような人もいて、最適というメニュで対処します。命や痛みに関わらないから、その場で少々よくなればよいというのを処方しているに過ぎないのです。それは、即効のように思える対処法ですから、心と使い方での調整だけです。根本的には、何ら問題は解決していないのです。

 

 心には、そこまでの育ち、その人の価値観、考え方、性格まで全てが入っています。メンタルからの声の問題になると、現在の生活だけでなく、生まれたときからその人の半生も含めてすべての歴史を含んでしまうのです。

 逆に言うと、ヴォイトレで効果が上がるというのは、声がよくなるのでなく、あなたを取り巻くすべての環境がよくなっていくことに現れていくものと思ってください。☆

 

○原動力としての声

 

 仕事にも人にも恵まれた人でも、自分の声にコンプレックスをもっているということでいらっしゃいます。そういう人に、私は、「ヴォイトレの必要を感じませんが」と正直に述べます。「いや、カラオケが…」というなら、引き受けることもあります。

 人生でうまくいっている人の声は、個性であり、顔と同じです。声は何でもありです。荒がある方が魅力的なものです。それで人生がよくなっていたら、声も魅力的なことが少なくありません。しかし、そうでない例外もいます。また、完全主義者もいます。この二つのタイプには対応しています。あとは、発音、滑舌といった、部分的、機能的なことは直ります。

 むしろ、人生でうまくいっていないと、大半の人が、その一端である声に症状が出ます。声は、心や体と連動しているからです。一端といわず、けっこう声に出ます。身口意の代表としての声に症状が出ていると申し上げています。

 半面、声に大きな問題を残しながら、人生がうまくいっている人がいます。それをみると、かなり苦労されてきたり、無理をされている人が多いようにも思います。それは、けっこうな危ない状況です。こういうときは、基礎からのトレーニングをお勧めします。

 声は、アドバンテージにもハンディキャップにもなるものです。だからこそ、その人の顔と同じく正解はないのです。もし目指すべき目標があるとしたら、しぜんに、周りも自分の全てがうまくいっているということでみることです。その原動力としての声ではないでしょうか。

 

○アドバイスについて☆

 

 ここに述べていることに正誤はありません。いつも、ここの何かと、あなたとどんな関係ができるのかが問題です。私は、あなたの横にいないのですから、それは、私の放り投げたものをどう受け止めるか、どう気づくかでしょう。私の述べたことにどんな意味があるかでなく、どんな意味もそれはあなたの意味として、どうあるかです。それは、音楽と同じ、作品としてどうなのかでなく、あなたがどう聞いているかです。

 歌やせりふのための声と自分のための声を考えましょう。

 そこまでを、結論を言うより、私は考える材料を与えるように心掛けています。

 

○ヴォイトレと学習の関係

 

 ときに、人の持つ声を生得的なものと後天的なものとで分けて考えることがあります。つまり、遺伝か環境か、みたいなことです。生まれながらに獲得されるものなのか、学習していくものなのかです。

 日本人にとって、日本語を話す能力は、大人であれば、獲得されています。4歳くらいでかなりのレベルです。しかしアナウンサーになるなら、共通語でのアクセント、イントネーションを含めた、より正確な学習が必要です。歌になると、歌手は、声楽家なら10年、ポップスでも、勉強という名でなくとも、10年近くは、デビュー前に歌ってきて、獲得しているでしょう。

 ヴォイトレの方針は、そこでの不足を学習していくのか、そこから先のハイレベルを学習してくのかでも、大きく分かれます。

 獲得しているものがすぐれていると、特殊性があり才能とみなします。創造的で演繹的で無意識、トータル的、潜在的なものです。それに対して、学習していく方は、模倣、帰納的で意識的、顕在的です。

 生得的なものは必然で、普遍的であるのに対し、後天的学習は偶然で多様的になります。ヴォイトレが複雑なのは、まさに教え方で変わるし、多様なものとしてあるからです。

 

Q.トレーナーとして、生徒の本音が気になります。

A.その人の生い立ちなどを聞いて、ストーリーを読み取るのは、よし悪しがあります。今や、多くの人が自分について他人に語るためにストーリーをつくっています。本人もつくっているうちに創作が本当のことになり、信じ込み、抜け出せなくなっているのです。そのストーリーをこちらが、そのまま信じるのは丸め込まれることになります。そこで、あっさりと騙されてしまう未熟さでは、何事も務まりません。それは、本人がそう解釈したいストーリーと思えばよいのです。私も、トレーナーから「生徒にこう言われました」と聞いて、それを鵜呑みにしないように注意することもあります。何が本音かは、ことばの裏にあるものです。

 

Q.トレーナーは、誰よりも曲のよし悪しを知っていますか。☆☆

A.好き嫌いでなく、すぐれているかどうかをみるのが仕事だからで、甲乙をつけるのがよいということではありません。まして、知っているいないなどは、どうでもよいでしょう。常に知らないものへ、未知の可能性へどうアプローチできるのかという応用力が問われているのです。

 

Q.作品について、人に聞くか、自分で決めるか迷います。

A.自分のキャリア、既得権、権威、専門にしがみついて、それを守るところからの立場に固執してはなりません。本質に入らず、表層ばかりでズレまくるので、そういう論議をするなら、他人の意見は参考にしても、一人でじっくり深めた答えを考える方がよいでしょう。

 

Q.プロに聞くかアマチュアに聞くか。

A.私も一部のプロの人の固定観念、安定、保守路線よりは、アマチュアの発想、欲、生きているパワーに惹かれるときがあります。しかし、餅は餅屋です。長くやれている人には、やはり、それだけの理由や実力があるのです。

 

Q.教える人が気をつけることは何ですか。

A.一つしか正解がないと思わないことです。というのは、多くのトレーナーが「一つのことを正解と示す」、そのこと自体が私から見ると不正解です。レベルが低いというのでなく、「正解がある」と教えるのは教える側の便宜でしかないからです。

 大体は、本で読んだり、人から聞いた方が正しいことというくらいです。せめて「今の段階では、仮によしとする」と伝わればよいのですが。それを言わなくてはならないようでは、混乱と不信を招くので、言えないものです。誰もが断言してもらうことを望むからです。だから、そうしてはよくないのです。

 

Q.見本を忠実に学べばよいのですか。☆☆

A.見本は、手本でなく、一つの叩き台、タッチと言っています。最初は、何かしら基準を与え、まねさせるというのが一般的な教え方です。初心者だから、わかりやすくと。

 でも声には、最初も初心者もない。顔に不正解がないのと同じで、それをすぐ変えるとなると、メーキャップのようなものにしかなりません。

 かといって、徹底すると、整形のように別の顔になります。表情を豊かにすることがトレーニングの目的のはずなのに、そこでなくメーキャップを教えられるから大して根本的によくならない。「魅力的に」を、アラを隠すことと思ってしまうのでしょうね。レッスンでは化粧を剥ぐこと、声でいうなら、マイクを取り上げ、現実の声に向き合わせることなのです。

 

Q.何でもできるようになれたらと思います。

A.何でもできる、は素人の中ではすごいのですが、プロの中では、多くの場合、使えないのです。プロの活動はプロ同士のコラボですから、絶対的強みがないと成り立たない。一人ですべてはできません。それがわからない人は参加できません。

 

Q.すぐれたトレーナーとは、どんな人でしょう。☆

A.声にすぐれていることは次点で、相手に、そのトレーナー本人よりも大きな力をつけさせられる人だと思っています。早く楽に、をあえて問わないことでしょうか。どんなに声や歌にすぐれた人でも、相手が自分と同じ年月や年齢、練習量で追い越せないくらいの上達であるなら、何をやっているのかということです。

 

Q.目標が決まりません。

A.目標がそう簡単に立てば、それはもう実現したも同然ですから、計画といってもよいでしょう。目標がある方が必要性、優先度、モチベーションなどによいということにすぎません。一つは行動することです。その前には、目標を決めるという目標でレッスンをスタートすることです。レッスンが行動です。

 もう一つは、でたらめでも、「こうなる」と決めておく。迷ったらいつでも差し替えたらよいのです。自分には不可能だなどというほど大きな目標で、堂々と目一杯大きくしたらよいのです。小さいより大きい方がよいのです。多くのアーティストも最初は「絶対不可能」だったのが「もしかして」、やがて「きっと」になっていったのです。

 

Q.悪いことが続きます。

A.それは生きる力が落ちているのです。神前や仏前で祈り、心機一転、生活を変えてみてください。考え方も、悪いことを引き寄せていると言うと、占いのように思われるかもしれませんが、多くのケースでは、やはり本人が引き寄せています。そういう表情や振舞いが出てくる、そして身につくと、ますます、周りもそうなり、あなたもそうなるので、それを切る努力をしてください。好きなことに専念して、生きる力を回復、強化してください。ヴォイトレなら、呼吸を変えるのです。考え方は、弱っているときに「強くもて」と言っても難しいです。しかし、呼吸は、強くできます。

 

Q.トレーナーにかけられることばで、よし悪しが大きく変わります。

A.ですから、ことばの使えないトレーナーは勧めていません。トレーナーには、ことばは声よりも大切かもしれません。私も、声については任せていても、ことばについてはトレーナーにいろんな要求しています。特に、ことばを使い過ぎないように、と。

 トレーナーは、最初は本人が話せたらよい、歌えたらよいと思っているかもしれませんが、レッスンとなると、ことばを使えなくては、コミュニケーションが制限されてしまいます。だからといって、ことばは万能どころか、かなり制限されたものです。両刃の剣です。一言で信用、信頼をなくすことも、やる気を奪うこともあります。そこをわからずに、今の時代のヴォイストレーナーは務まりません。

 

Q.レッスンをすると、何がわかりますか。 

A.本人の力の不足がわかります。その課題を具体化するのがレッスンです。それを解決するのは、そこからのあなたの時間と努力です。本気でやると不足が大きくなり、解決に至らないものです。それが現実であり、それゆえ、トレーニングを必要とするのです。でも、人の世でうまくいっていれば焦らなくてもよいともいえるのです。

 

Q.目標を達成できないので、レッスンを受けたいです。☆

A.目標は、自分の延長上にあれば、時間が解決してくれます。そこまで生きられるかどうかです。レッスンは、その時間を縮めてはくれるでしょう。

 しかし、目標が延長上にないときにワープしなくてはなりません。それを達成できるようなレッスンは少ないものです。レッスンは今の延長上を早く進むのでなく、ワープするきっかけをもたらすようなセッティングになっていること、そこが私の考えるレッスンの真価です。

 でも、レッスンをする人もレッスンを受ける人も、大抵、そんなことを考えていないのです。だからこそ、本人のスタンスを定め、それに応じられるような体制が必要なのです。

 

Q.レッスンで先生から何でも学びたい。☆

A.どんなレッスンでも何かは学べます。何でも学んでみたらどうなるかを考えるとよいでしょう。よくないのは、レッスンそのものの知識、メニュややり方や説明の仕方ばかり覚えてしまうことです。先生と同じことを他の人に話せるようになっても、あなたは先生ではないのです。先生から学ぶべきは自分です。先生の言わないこと、知らないこと、できないことを学ぶのに先生が必要なのです。☆先生は、この世の基準の一つに過ぎないのです。なので、先生と同じことをくり返しているだけでは、時代に遅れるだけなのです。

 

Q.活かすべきは、自分の力、それとも他人の力ですか。☆

A.自力と言いたいところですが、自分の力だけで、それなりの物事を成し遂げることではありません。他人の歌を全く聞かずに歌えるようになった人は一人もいません。

 かといって、他力本願で自分の努力を怠っていては他の人も認めてくれないでしょう。今あるものを目一杯活かしているうちに、自分の力以上の力、天の力が働くように思います。人事を尽して天命を待つ、この、天命とは、認めてくれる人との出会いのようなものでもあります。相手にとってもまた、あなたと会うことでプラスになる、win-winになれる関係です。ともかく力が必要なのです。

 混乱するかもしれませんが、自分も他人も天も神も、区別などないのです。それが一体だとわかったとき、物事は成しえているということなのです。

 

Q.ヴォイトレの本やレッスンで、できるようになりますか。

A.本やレッスンについていうと、碁やサッカーなどと同じです。ルールや成り立ちについて知ることで、初歩的なプレーを楽しむことはできます。本もレッスンも、そのためにあるようなものでしょう。

 「誰でもすぐに、何でも、できるようになる」などと言うところでの習得レベルは、誰でも同一のところ、平均値までです。やっていない人に対してやった人は、それよりもできるというレベルなのです。そのレベルで何でもできるのであって、世の中に通じるレベル、プロとして、ではありません。とはいえ、歌では必ずしもそうもなりません。やらない人でも、けっこううまい人もいるからです。

 私のところでも、アマチュアで趣味の人には楽しく、プロには厳しくやっているわけです。

 

Q.ヴォイトレを学んだのは、なぜですか。

A.それで何かができるよりも、声やヴォイトレの限界を知ること、あるいは、自分の限界を知るためでした。そのことで、自らの可能性や才能の勝負どころもわかる。自分の本当に好きなこともやりたいこともみえてくる。それが大切だと思ったのです。

 

Q.なぜ、いろんなメニュがトレーナーごとに違うほどにあるのですか。

A.ありとあらゆるメニュがあります。その大半は私も知っています。そのなかには、結局、日常の健康改善に役立つ、その結果、声もよくなるといえるものも少なくありません。メニュや方法として間違いとはいえないが、特別にありえるようなものでないというレベルのものです。

 メニュからトレーナーのタイプ、得意不得意や経歴、日常生活、活動などもおよそわかります。それに対して、あなたが自分自身のものとして、使えるようにしていかなくてはいけないのです。問題は、メニュを与えられるのでなく、その使い方、つくり方を必要に応じて与えられているのか、あなたがそれを使えるようにしているのかでしょう。

 

Q.トレーナーが固定した方法やメニュを持って行うのと、相手によってメニュを自在に変えるのは、どちらがよいでしょうか。

A.どちらも一長一短があります。その二極の間にもさまざまなスタンスがあります。これまでの「トレ選」を参考に。

 

Q.ノウハウをどう身につけるのですか。

A.ノウハウを身につけるのでなく、身につけたものがノウハウと呼ばれてしまうのです。ノウハウとして切り出せるもの、メニュやマニュアルなどが、大して、他の人に通じないのはそのせいです。わかりやすく使いやすいだけだからです。

 

Q.メニュがたくさんあって、混乱します。☆

A.メニュをすべて使わなくてはいけない、と考えない方がよいでしょう。本当に必要な一つか二つのメニュがあればよいのです。他は、余分なものを捨てるために使うのです。無駄か有用かも考えなくてよい。考えないために数えきれないほど無駄をすればよいのです。やっているうち、有用になるようにしていく。そうなる感覚を学ぶのがレッスンです。

 

Q.声のテクニックを評価されるようになりたいです。

A.技術を使うのは、それでしかもたないケースです。声のテクニックも同じです。ひけらかす必要はないし、それでアピールしないと伝わらないくらいなら大したことはないし、それで伝えられる人も、大したものにならないです。ものまねやボイパなら別ですが…。

 

Q.なぜこんなに下手で、うまくいかないのかと悩みます。

A.声でも指導でも、とことん悩むことは、人生や仕事、生活での悩みと変わりません。贅沢なことと思い、楽しんでください。

 

Q.考えるばかりで、疲れてしまいます。

A.考えることも体力がいるから、運動です。寝ることも運動です。頭ばかり疲れることは心によくありません。考えるよりは動きましょう。声を出していましょう。

 

Q.鍛錬ということばをよく使われていますが、どうしてですか。☆

A.私としては、強いたり力の入るニュアンスもあり、あまり使いたくないことばです。でも、それだからこそ心身の必要をはっきりとさせるために、わざと使います。

 「朝鍛夕錬」は、宮本武蔵のことばです。五輪書「水の巻」に有名なことば「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とする」とあります。私流に解釈すると、鍛は応用、練は基本です。「仏神は貴し、仏神をたのまず」も彼のことばです。

 

Q.未熟なトレーナーでは使えませんか。

A.私も含め、誰もが未熟です。そのことがわかっているトレーナーなら、よいと思います。それがわからないトレーナーは使いたくありません。でも、人間ですから、ときに自惚れたり、勉強して自信をもったりして、得意になっているときもあります。過去の事や実績をひけらかすようでは好ましくありません。そういうときは、私は、プロや難しい症状の人を任せて、レッスンをゼロから考えさせる機会を設けることもあります。

 万能なトレーナーも、完璧なトレーナーもいません。日々、それを補う努力をしていることが大切です。生徒さん以上に学んで成長しているなら、よいトレーナーです。少々器用で声が出てうまくても、日々の報告やレポートを怠るようなトレーナーでは続きません。

 生徒よりうまいとか、キャリアがあるとか、先輩だからというのでなく、生徒よりもすぐれた学び方、問題の見つけ方、解決のアプローチを知って対処できる力、日々成長できる力のある人を求めています。

 

Q.トレーナーにつく本当の理由は。

A.トレーナーによってですが、レッスンの内容でなく、その存在によって、どう声に接するかからどう生きるべきかまでを学べるものです。

 

Q.レッスンを使う意味は、何でしょうか。

A.早くできること、速くでなく効率よくできること、そのために便利な存在がトレーナーで、その手段がレッスンとみなされがちなのでしょうか。便利とは、早くできること、確実にできることです。技術などと言われるのはその対処法の一つです。でも、人が競って早めてきたものは、必ずしもよくないのです。高め、深めていくのでなく、ただ浅くなっていってはいませんか。本質を学ぶような時間をかけられなくなってきたのは、曲をみてもわかります。いつもレッスンの本質を問うてください。

 

Q.トレーナーが、本の答えと異なる答えをしました。

A.答えは、そのときその場で違います。聞く人も答える人も時も場も違うのに、同じ答えなら、トレーナーはもういらないではないですか。私も、変化、成長していますから答え方も変わるのです。本だけでなく、こうして最新の答えを出しています。標本、過去の遺物にしないで欲しいと思います。

 レッスンで、相手が違えば、同じ質問に反対の解答をすることがあります。あなたも、10歳の子と30歳の大人に同じ答え方をしますか。答えだけでなく、その答え方も違うでしょう。首尾一貫していない、それもよしとします。

 

Q.トレーナーに「違う」と言われたのですが。

A.そこが違うと言っても、わからないなら、私は何度も言いません。ほとんどすべて違っているからです。でも間違いではないのです。直させると間違いになることを恐れることです。ですから、「違う」ということばをあまり使いません。

 違っているままでは通用しないとしても、そこに本人が気づき、自ら、それで決めたら、違っていても通用するようになることもあります。そこだけを取り上げてはいけないのです。深みに落とし込めるようになるまで待つことです。

「違う」に対して「いや合っているはずだ」と言う人には何を言っても仕方ないでしょう。「はい」と受け止めたあと、なぜ違うと言われたのかを研究して自分なりの結論を出せばよい。ただ「違う」だけをくり返すトレーナーもいます。それも不親切なことのようですが、必ずしも悪いことではありません。一体、違うとは、同じとは、どういうことかということです。

 

Q.トレーナーのことばの意味がわかりません。

A.わからなくてもよいと思います。聞いてもよいし、心に留めておいてもよいです。あまり大したことと思わないでください。たえず自分で新しいことばをつくって、使うようにしていくとよいでしょう。他の人のことばや聞き慣れたことばを頼って行おうとすると、必ず、誰かのようにとか、過去にやったようになってしまいます。

 

Q.いつも、やり過ぎて注意されます。

A.エネルギッシュにやる気満杯でやり過ぎはよいのです。過剰は押さえられます。不足こそ補わなくてはいけません。これまでの考えに囚われず、自分なりに追求して打ち破っていくことです。

 

Q.トレーナーに反発したくなります。

A.コミュニケーションをよくしましょう。説得されたがらないのは、どうしてでしょう。受け取れるものは貪欲に吸収しましょう。反発して、心が乱される分、損です。そうなれば、トレーナーを変えることですが。

 

Q.最終的な基準は何ですか。☆

A.私の論では、ただの一声です。「ハイ」とか「ララ」「ハイララ」で声が伝わらなければ、歌もせりふも伝わらないということくらいです。とても簡単なのに、まだ受け入れてもらえないことですが…。声の使い方でなく、声そのもの、器の違いというものです。

 

Q.スタンスとは何ですか。

A.スタンスというのは、立ち位置のことですが、いろんな意味で使っています。姿勢、呼吸、発声でも、立ち位置としての軸があります。心にもあれば、表現にもあります。狙い、存在意味、存在理由など…。

 

Q.一番学べた人は、どんな人ですか。

A.彼は、私が次に何とコメントするかが、「すべてわかった」と言いました。何を学べたというかにもよりますが。

 

Q.不器用です。

A.不器用なこともあれば、そうでないこともある、というようにして考えてください。

 

Q.過去の失敗に囚われます。

A.引きずらないこと、「莫妄想」です。

 どうみるか、そこでわかったなら、もう半分は完了したものです。安心してトレーナーに任せられます。

 

Q.芸事を成就させるための師を選ぶには、どうすればよいですか。

A.人を見る、選ぶのは、自分の責任です。自分の自由勝手でも、結果として親や先生や社会が壁となるのは、未熟なときの特権です。肚がなくては、物事は成しえません。

 

Q.伸びるためには、どう処すべきですか。

A.全体をみる視野を、未来を含めてもつことです。

 

Q.人を笑わせるのが苦手です。

A.笑いは、呼吸、間、コミュニケーションの機微であり、ギリギリでのリアル感です。季語があって俳句が成り立つように、相手と共通のベースがあって、コミュニケーションがとれるのです。

 

Q.「前にやったことを忘れろ」と言われました。☆

A.秘訣は、覚えては忘れることです。覚えなくてできるならさらによい。覚えなくてもくり返せばいいのです。覚えてしまうと囚われます。忘れられなくなります。忘れないと、しぜんに深くできなくなります。頭を使うな、考えに囚われるな、過去に囚われるな、成功に囚われるな、ということです。同じ状況は二度とないのです。

 覚えて忘れてしまったことしか使えない、基本はそのためにくり返すのです。覚えるためでなく、覚えなくてもできるように、忘れてしまっても覚えているために、心身に練り込むのです。しぜんと、もっともよく応用できていくために、基本に囚われないために、応用に走らないために、です。

 

Q.喉が不快になったり痛くなるのを克服したいです。☆☆

A.一つの原因で悪くなるのでないケース、それがきっかけで、複雑に要因が絡んでいるときは、根本からの対処が必要です。人に頼るのでなく自分で直す、直せるようになる、それ以外はないのです。一時的によくなっても、また、過度に使ったら喉が痛くなるものでしょう。

 トレーナーは、過度に使わないようにと言います。でも、現場では使わないと仕事にならないし、何よりも、ベテランはもっとハードに使っているのです。 

 量よりも質ばかり求めるご時世ですが、まず量ということもあるのです。なぜなら、伸びない人は器が小さい、つまり体やメンタルが全く足りていないことがほとんどだからです。

 

Q.レッスンも質より量ですか。

A.人によります。この研究所に月1回くるより、近所のカラオケに月8回行く方がよい場合もあります。そういうときは、そうアドバイスしています。

 

Q.体の不調が直りません。☆☆

A.いろんなものが組合わさって原因となっているものです。でも、どこか1つから改善していくことです。それが全体に及んでいくこともあるでしょう。肩こり、腰痛、むくみ、頭痛、風邪 倦怠感、うつ、めまい、耳鳴り、不眠、便秘、自律神経失調、これらは外見、表情、身のこなし、姿勢までつながっているのです。血行不良、これは、声帯での発声にも影響するでしょう。

 対策としては、これまでと異なることをします。右を使っているなら左を使うとかでバランスを修正する。自律神経は呼吸で整えられます。

 デトックスとしては、体の温まる食材を摂りましょう。味噌汁、豚汁、味噌は、血圧降下、整腸作用、老化防止と万能です。

 

Q.腰は、どう大切なのでしょうか。☆

A.腰は、体の要と書きます。免疫力向上、疲労回復、代謝促進、肥満防止、アンチエイジング効果、スタイル維持、パフォーマンス向上など、すべての要です。

 

Q.コツコツくり返しをしているのでよいでしょうか。☆

A.くり返しの練習で伸びるのは、一定のところまでです。そこで、条件を変え、メニュを工夫して変じようとしなくては結果も変わらなくなります。安定したことで、そのまま鈍く固まってはなりません。安定するというのは、鋭く柔らかく、どうにでも変じられる状態に保つことです。つまり、さらなる刺激がいるのです。

 

Q.こうやるとこうなるって本当ですか。

A.いかに早く効果に無駄なく、でなく、ゆっくり無駄と思えるまで過剰に、じっくりと行うようにしてください。

 

Q.マニュアルが正しいか、疑問です。 

A.マニュアルを真に受けてはいけません。それだけで正しいとか、完璧なものなどありません。

 

Q.マニュアルは効果的ですか。

A.かつて、内弟子、見習いは、住み込みの生活から芸を盗もうとしたものですが、それは、なくなりました。マニュアルを使うことで、早く進めると思うものです。しかし、その分、制限や限界も早く来るのです。それを、現実の場での矛盾をたくさん経験することで回避しましょう。

 

Q.内と外、どちらで学べばよいですか。

A.例えば、しぜんとの触れ合い、外で遊ぶことは、本当の学びです。身体を丈夫に強くしていくことは、発声に関わっています。また、いろんなリスクの中で対処する術をつけることです。それを内でまとめるのです。

 

Q.発声にメカニズムは、どのくらい解明されていますか。

A.現実の仕事まで含めて考えるとなると、肝心なことは99パーセント以上わかっていません。でも、わからなくてはできないのではありません。

 

Q.自主トレーニングに満足しています。

A.充実はよくても満足はよくありません。惰性に陥るからです。常に欠けているところを発見し、補いつつ、不要なものをカットしていくことです。一つひとつ疑うことが大切です。

 

Q.わからないままにも、レッスンで満足しています。

A.すべてでなく、少しもわからなくてもできていくようならよいでしょう。脳の意識で妨げてはよくないでしょう。そうでないことに気づいていくのです。

 

Q.すぐにできました。

A.すぐ「わかった」「できた」と言う人は、多分、わかっても何もできてもいません。

 

Q.「最高が出ました」といわれました。

A.最高が出たら終わりということになります。

ヴォイトレの論点目次(本文の題と一部変更あり)

ここには、福島英が、最近のQに対して、自分の考えを述べていますが、1つの問いから本質的に深めて説いていますので、一般向きでない回答もあります。福島の持論もあります。わからないときは、気にとめず、またいつか読み直してみてください。

1.声優無用論(宮崎駿監督の声優は使わない発言やホリエモンの「声優ってスキルいるの?」について) [1309]

2.音高の喉への影響について [1309]

3.理論に基づくトレーニング(発声の原理について、解剖学や生理学に基づいてトレーニングしたい) [1310]

4.あえて”反科学”の勧め(発声に関して科学的なトレーニングの是非について) [1310]

5.ヴォイトレにおけるシャウトの位置づけ(シャウトについて練習やメニュ) [1311]

6.鼻にひびかせること(副鼻腔共鳴) [1312]

7.成り立つということ [1401]

8.ヴォイトレ二極論(1)(「状態の調整と条件づくり」) [1402]

9.ヴォイトレ二極論(2)(メンタルとフィジカルの要素) [1403]

10.ヴォイストレーニングは何を信じてやればよいのか [1404]

11.ヴォイストレーニングの統一化について [1405]

12.ヴォイトレで一人立ちするには [1406]

13.トレーナーによる方法やメニュの違いについて [1505]

14.バランス調整と実力アップ(発声での筋トレ不要論について) [1506]

15.考える技術と感じるアート[1604]

16.鍛える[]

17.まねで教えること[]