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第6号 2008.09.06

○理論と実際の現場での違い

 トレーニングの考え方や方法に対し、科学や医学、身体学などの進歩は、
マニュアルの誤りや誤解、誤用を解き、多くのヒントを与えてくれます。
私は、当初からプロとやってきましたから、自分のできることが必ずしも相手が
できるわけではない(これは相手のできることが、必ずしも自分ができることではない
ということと同義)ことと、相手が価値あることができることこそ、最重要である
ことを基本の考えとしてきました。自分と違う目的の相手にどう対するか、いや、
自分ではない相手に対してどう正しく把握するかと考えると、そうなります。

 多くのトレーナーの、自分にできたことを相手にどう伝えるか、いかに早く無駄なく
やれるように伝えるかでは、仮に(本人の力を引き出し)アマチュアの中で少々
うまい人にまでもっていけても、第一線の現場のプロを支えることはできません。
そこで、私自身はもっとも厳しく声で伝わるものを聞く“鏡としての役割”に徹して
きました。そのため、自らも客観性を求め、専門の研究者と、今も膨大に収集した
声の分析を行なっています。

 とはいえ、いつになっても、私はデータ(仮に真理だとしても)を、自分の感覚より
も信じることはないでしょう。それは専門の研究者と、いっそうの共同研究をして
いくとしても、私は自分の耳を、これからも世界中をまわり、音や声でもっともっと
鍛え続けていくつもりです。
【参考文献】「いい声になるトレーニング」日本音響研究所 鈴木松美 福島英 共著
(かんき出版)

 なぜなら、現場で私に問われることの目的は、声を正しく出すことでなく、
結果的に、声で人々に感動を与えることだからです。それを自分の耳で
聞き分け、誰よりも厳密に判断し、アドバイスすることだからです。

 呼吸法や発声法でなく、音楽や表現として、どう声を捉え、導くかを主に
やってきたわけです。この分野は、まだまだ未開で人材も乏しいと思います。
 これまでの科学的な説(仮説を含む)や声楽家やトレーナーの指導書、
方法論こそが、多くの誤りを生む原因にもなってきました。これもイメージを
介しての指導であれば、端から正誤とさえ判断できるものではありません。

 それは、声や歌は個人差(民族、言語や文化の違いも含めた上に)体や声帯の差、
日常の言語や歌唱で得たものでの差、目的の違いがあまりに大きいからです。
さらに、声の発信体としての研究だけでなく、声の受信体(客の反応)としての
研究も必要です。(音楽心理学や大脳生理学、音声知覚など)とはいえ、
下記のことが前提として、あるということはいえると思います。

1.スポーツのように、目的が一定でなく、個別の設定によるため、真似から
  正しく入りにくいこと。
2.目に見えない音であるため、耳にすぐれた人(民族)でないと、難しいこと。
3.指導上の感覚・イメージ言語の誤解、継承、解釈、使用の誤りが必ず起きる
    こと。(書物では、特に難しい。)
4.現場と研究との乖離、日常と芸術、舞台との距離があること。
5.音響や舞台装置など応用技術効果の導入で、表現の到達レベル、
  基準があいまいになったこと。
6.舞台、ショースタイル、客の趣向の変容に大きく左右されること。
7.本人の生き方・考え方・パーソナリティ(特に才能より好みを優先してしまう
    こと)が優先されること。

 私自身、引用していた図表や理論、他書や他の方に教わった方法・用語を
新しいものへと、いつも差し替えてきました。私自身が直感的に述べてきたところは、
幸い、今のところ、大きく変更する必要にせまられていません。それでも、
思いがけなく、誤解を与えかねないところで、表現の修正を常に重ねています。

 また、私の根本での考えは、同じですが、伝え方は日々変じています。
相手により、時代により、違ってくるのです。
 アーティスト相手ですから、現場と理論では、現場での効果が優先です。
(決めなくとも、仕事である以上そうなります。)トレーニングにどう対するかは、
ケースによってまったく異なります。同じケースで全く逆の対応をすることさえ
あります。

 たとえば、一時悪くなるけど、あとで効いてくるものと、一時、効果は出るが、
大してあとも変わっていかないものがあります。これに関しては、トレーニング
として、私は前者をとりますが、なかにはそれを一時でみて、間違ったとか、
下手になったと見切ってしまう人もいます。そのため、現場では後者をとらざるを
えないことも少なくありません。

 スポーツのように、コーチに言われたようにやったら優勝したというような、結果に
すぐには還元されないし、試合もないから難しいのです。結果がよければすべてよし
という結果が公の場でなく、個人の感情や好みで判断される日本では、さらに、
長期的な成果は促成栽培法のまえに否定されがちです。結局、声も歌も、所詮、
本人が選び、本人が決めるのですから。しかし、アートですから、教えるのでなく、
刺激すること、自分の声の可能性を認識させることが、トレーナー本来の仕事だと
思うのです。

 本人の要望に答えることと、それ以上の深い真理へいざなうことを、矛盾
させないには、神(この場合、一流のアーティスト)の手を借りるしかありません。
そのことのわかるプロとのトレーニングを行なってきたという実績をもって、
私は確信をもって述べているのですが。本当のプロは、投資分は必ず回収する力を
持つ人ですから、力のある人ほど、何もいわずとわかるのですが、それを一般の人に
どう持っていくかは、今も難問です。ただ、本当に効果的な方法は、単独にあるので
なく、トレーナー個人と一体なのです。

 たとえば、いかに高音が周波数で決まるから、そのように声帯の振動をどうこう
でしょうといっても、人間が反応する高音は、音響のようにはいきません。
私たちは、現実には次のように声を使っています。表現として強めたいとき、
息は強く吐かれ、声も強くなり、高くなり、それが強く伝わる、何よりも受け手は、
それに反応してきた現実の生活と歴史、つまりDNAがあるのです。

 声の高さは、まだ比較的確かなものですが、そこでさえ、声帯の周波数ほか、
いろんな要素で決まり、そのしくみも厳密には解明されているわけではありません。
周波数(音高)とピッチ(これは受け手の感覚値)も違うわけです。
倍音や音色などの要素が入ってくるので、さらに複雑です。

 しかし、現実に、聴衆は声の高さや大きさ、長さを聞きたいわけでも、
それに感動するわけでもないのです。現実の声の効果を聞きたいのです。
それゆえ、声の問題は、総合的に捉えざるを得ない。これをいくら基本的な
理論や知識で理解しても仕方がないのです。つまり、声を高く出すため、などと
いう問いは、歌をそもそも形(1オクターブ近く、高く出し、メロディと歌詞で歌う
もの)と決めたところからきているのであり、「高音コンクール」などがあるなら
別ですが、それを目的にすることで、すでに本当の目的を飛ばしているのです。


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<「トレーナーの選択」に関するQ&A>

QVT.上手くなろうと、自分を変えようという目的できました。
トレーナーと合わなければ、どうすればよいですか。

A.合うとか合わないということでなく、将来的にお互いに共通の部分で
成り立つようにしていこうということです。狭く見ると、こういうものは絶対に
合わないです。ポップス志望の人が声楽をやるということでも、合わないわけです。
私は、ポップスの先生につくよりは声楽の先生につくほうがよいと思っています。
そこで、クラシックの先生で基本をやっているわけです。
体でわかって変わっていってほしいからです。私が避けたいのは、
3年5年たっても、声一つ呼吸一つ変らないことです。

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