第10号 2008.10.04

○一人よがりにならないためには

 私は、うまいのに何となく腑に落ちない、伝わらない歌をたくさん聞いてきました。
多くは本人も知らないまま、真似が抜けていないからでした。もちろん、真似て
いなくても(CDなど聞いたことがなくても)そっくりになってしまうことも
あります。音楽をすぐれたレベルで奏でると、共通するところがあるからです。

 しかし、誰にも地に足がついている、まわりがどうであろうと、時代や世の中が
何であろうと、それを超えて輝くオリジナリティはあるのです。
それが、自分(声、体、性格、ルーツ、信条、生き方)を核にした、こだわり、
深く練られた作品となっていくかどうかなのです。もちろん、同時代で誰一人
認めないものとなると、絵画はともかく、歌では成り立たないでしょう。

 私は、才能とは「入っているもの以上によいものが出てくること」と思っています。
よいものとは、「新しいもの」「おもしろいもの」「変なもの」、
そして「すごいもの」です。
 しかし、音楽の中でことばがあり、人間の声である歌は、絶対的に強い。
この二つが、日本の中で「ミュージシャンとしてのヴォーカリストの実力」を
曖昧にしてしまった要因のように思います。(もちろん、そんなことでみる必要は
日本ではないゆえ、日本では歌は厳しくない、ということになるのですが。)

○うまいのに感動しない理由から考える

 「新鮮で、おもしろく」となるためには、その人個人の魅力や持ち味が、
さらに、「すごいもの」となるには、高い音楽性が必要だからです。
歌い手が伝えるのは、声や歌でなく、それにのっている思いであり、
音楽として作品に値するイメージや感覚だからです。

○自分の歌う声の適性と好きな声が違うとき

 ヴォイストレーニングは、自分のベストの声を出すための探究と鍛錬なのです。
嫌な声が発声の理や使い方からそれていたり、磨かれていないためなら、
トレーニングしていく。それでも好みに合わなければ、私はやはり持って生まれた
ものを最大限生かす、つまり、オリジナリティを選びたいものです。しかし、
日本人はやはり横並び、自分にないもの、あこがれた人のものを求める場合が
多いようです。もちろん、最終的には、本人が決めていくことです。
ただ、よい声が出せるというだけの人なら、大勢いるのです。

○間違えないトレーニングをするには

 人生、二度と同時期を試せません。よく、「ずっと間違ったトレーニングをしたが、
やり方を変えたらうまくいった」という人がいます。私にも、そう感謝してくれる人
もいる。しかし私自身、誰よりもいろんなことを試し、続けてきてわかったことは、
誰もが同じ条件で、同じ方法をやっているのではない以上、やはり量と質の
かけあわせで、あとは目的とイメージ力と意志の強さなのだと思うにいたりました。

 つまり私自身は、よい方法でやったからこうなれたのではない。
また、私の発見した方法がよかったから、すべての人がこうなれたのでもない。
(トレーナーには、自分一人の効果をもって、論じる人が多くて困ります。
いろんなことを声で試し、しかも長く生きてきた体は、すでに初心者のもつ条件と、
声においては全く違うのです。)

 つまり、自分がやった方法がもっとも効果があったと思い込むから、トレーナー
など、できるのです。それは、もっともよさそうで困った人たちでもあるのです。
 つまり、何ごとにも、こういえます。私ほどにやったら、どんな方法であれ、
私以上にはなれると。そこまでやれるかの勝負なのです。
 日本のヴォイストレーナーは、安易に自分のレベルを目標のようにして、
楽に効率より早く間違えない効果があがるようにうたっていることです。
生徒募集も生活のため、背に腹は変えられません。先輩としては、
とてもよい人たちでしょう。でも、方法を教えるのは、すでに違うのです。

○ギャップを明確にする

 私がベテランのヴォーカリストとレッスンするときは、ギャップを明確にする
ために、わざとテンポダウンやフレーズを伸ばしたり、大きくしてもらったりします。
すると、限界がみえてくるので、そこを強化し器を大きくします。
 たとえば、フレーズ間を0.5秒で歌わなくてはいけないところを、プロは口先で
たやすくカバーしてこなします。私は、その人の呼吸の流れとしてもたせるのに
2秒かかるなら、ずっとそこでやり、やがて1.5秒、1.0秒と感覚と体が伴ってきて、
0.5秒にまでなるのを待ちます。

 トレーニングにおいては、何よりもそのプロセスを大切にしないといけません。
そこで、どれだけ手間をかけ厳しくやるのかが、結果に表れてくるのです。
表現として成り立っていることが曲よりも優先すべきだと思うからです。
そこにイメージと体(息)が足りないため、声のコントロールが欠如している
事実がつきつけられたらよいのです。これは、よりすぐれている人との差であり、
間違いということではないのです。むしろ、バランスがとれていてうまいと
評されるから、分かりにくいのです。

○トレーニングで声は変わる

 私がこういうことを言うには、トレーニングをすれば声も歌もよくなることを結果、
出してきたからです。しかし、そんなものを世の中の人は求めているのでは
ありません。ひどい言い方ですが、あなたの声も歌も身内以外、誰も求めていない。
人々は、自分にもっともパワーを与えてくれる人の声を求めている。
そこで私も、そういう人を支えることにしました。

 声や歌がよくても、何らそれを使えなかった人もいます。才能でしかやれない
世界を甘くみて、長くやったことで満足する、まわりにほめられ、すぐに慢心する
からです。やったら、やっていない人よりやれるのは当然です。
 一方で、声が無く、歌がうまくなくても、多くの場で仕事をもらい活動している
人もいます。仕事がきてプロといいます。力がつくとか、やれるとかいっても、
誰もが声が出せ、歌も歌える世の中です。現実に客がいるか、ヒット曲があるか、
そこで問われます。

 トレーナーがやることは、うまくすることでなく(そのくらい自分でやりま
しょう)、声をプロにすることだと思っています。そうでないと、ますます
トレーニングの目的があいまいになります。それが歌や芝居でなくても、
もちろんかまいません。
 立川談志師匠が「仕事がくるのが偉い」、「CDも何でもあるんだから、
師匠は教えることはない」と言っていました。彼の弟子がもっとも多く第一線で
活躍しています。


--------------------------------------------------------------
<「トレーナーの選択」に関するQ&A>

☆QVT.グループレッスンでの伸び方の違いは?

A.同じレッスンでもすごく伸びる人も、全然学べない人もいます。
それは全て本人の責任かというと、トレーナーの責任も、相性もあります。
しかし、学べないからと学べるようになる努力ができたのか、したのかが、
本当は問われるのです。
 本人からみれば学べたと思っても、こちらからみれば、全然学べてないと思う
場合もあります。本人が学べなかったと思っても、こちらからみればベースで、
すごく伸びていると思うときもあります。そこも声の場合は、本人だけでは
かなり主観的判断になります。

広告を非表示にする