第23号 2009.01.17

○体調の悪いときとトレーニング

 疲れているときには、喉に負担をかけるハードなトレーニングはよくありません。[喉の状態をよくするためにヴォイストレーニングをする]のですから、いつも[喉を充分に休ませること]が大切です。体と息のトレーニングを中心にしましょう。
 こういうときは、トレーニングそのものよりも、それによって[息、呼吸、体をよい状態にすることがプラスになる]と思いましょう。[トレーニングは、明日のためにする]のです。

○発声練習はいい声で

 発声練習は、よい声にして、うまく歌えるようにすることでやるのですが、使い方を間違ってはいけません。そもそも発声練習は楽しいですか。
 楽しくないとよくないとはいいませんが、テンションが落ちたり、他のことを考えて集中できないようなら、やっても悪い結果にしかなりません。私が歌手や役者をみるときは、歌やせりふのフレーズから声をみます。それは次のように考えるからです。
1.プロでも、発声練習には不慣れで、歌での方が声もうまく使えていることが多い。
2.歌やせりふに、発声練習は不可欠ではない。発声練習をしないのに、プロになっているのがその証拠です。
3.発声練習が、歌よりも難しいように使われているなら、根本に戻る必要がある。
 たとえば、高いところを歌うのに「とわのこころに」というのを、「とわ」に比べて「こころ」がうまく声が出せていないときに、母音で「おおお」としたり「とわのとわのに」にしてみて、「こころ」というひっかかり(本人のネック)をやさしいメニュに置き換えて、少しずつ解決していくなら、それでよいのです。
 出せないことまでやって、無理に悪いくせをつけるくらいなら、歌っている方がよほどよいのです。歌での調整でできるところは、短いフレーズのくり返し練習で、少しずつ音や長さ、動かし方を変えて行なえばよいのです。歌よりもずっと難しい声域声量で発声練習をするのは、自分のものがまとまってしまい、その器を技術的にやぶるときに限ります。
「歌いたいが、発声をしたいのではない」というのが、正常の感覚ですが、必ずしもそう言い切れる時代ではないようです。歌で発声練習をやり、うまくいかないところだけ重点的に補強トレーニングをすればよいのです。

○ことばを大切にする

 はっきりというと、音楽で伝えるのにことばは必要ありません。ことばが聞こえなくても、ピアノもトランペットも音で伝えることはできます。ただそれは、そういう言い方をしたらそうなるということで、多くの歌手は、ことばを大切に伝えています。歌は、言葉があるから楽器に勝るところもあります。
 私も母音で歌わせるより、ことばをつけさせます。その実感(音色やニュアンス)の方が発声に優先すると思うからです。ただし、音楽上の成り立ち(表現力)をみるには、外国語にしたり、もっとも発声に難のないことばを各自で選び、それでつながりをみます。
 歌を自分のものにする、さらに[自分のものを、その歌に叩き入れて動かすように]していってください。これも、流れの中で正されるように(楽譜に合わせるのでなく)楽譜以上に心地よく、のりのよい線を奏でるのです。

○英語は発音より、発声を

 日本人の英語の発音はよくなりました。しかし、発声とリズム(強弱)がよくないのです。口先で英語を器用に発音しているだけ、ほとんど英語らしい雰囲気で聴かせているだけといってもよいでしょう。声は前に飛ばないし、強い息にのっていない。歌も声の芯や深い息がないので、私は、その一声で話したり、歌っているのが日本人とわかります。
 英語は、強い息を発し、舌、歯、唇で生じさせる子音を中心とする言語です。日本語にないパワー、勢いといったものがそこからつきます。それが自然な深い声や音色につながるのですが、その根本的な部分まで、耳と声で捉えている人はどれだけいるのでしょうか。

 音楽面のみならず、自然な発声と呼吸を身につけた体があってはじめて、外国人や海外のヴォーカリストと対等に渡り合える実力につながるのです。ですから、体からの深い息をなるべく深い声にするトレーニングを続けることです。
 また、あまりに広汎に使われ、なまりも許されている? 英語などは、日本語なまりで充分だと私は思っています。ただ、その他の国のことばは、それを母国語としている人と同じレベルに使いこなすくらいに、使い込んでいかなくてはいけません。

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