第35号 2009.04.11

「出身の違いとトレーナー」(2)


○スクールのトレーナー

 スクールでは、最初からうまかった人は上達して(というより、少し器用に
曲をこなせるようになって)、それ以外の人はたいして変わらないまま、
トレーナーの音楽観や自分の歌の欠点ばかり突きつけられ、自分には
才能がないということを思い知らされ、あきらめるという結果になりがちです。

○プロデューサー出身のトレーナー

 ステージをやらせること、CDをつくること、それが売りになっているトレーナーは、
そういった経験を積むにはよいでしょう。でも、基本の習得にはほど遠いようです。
 プロデューサーなら、実力のあるヴォーカリストにはよきアドバイザーとなれる
かもしれません。しかし、初心者に教えるとなると、その力を発揮できないことが
少なくありません。すぐれた人をどう売るかという仕事だからです。

声楽家のトレーナー

 ヴォイストレーニングを声楽として習ってきた音大卒というキャリアで教えて
いる人にも、問題は少なくありません。私自身は、声楽の発声も、結局のところ、
声という点では同じであると思っています。しかし、表現のスタイルと、
それぞれの要素の優先順位、重要度がまったく違うのです。

 特に音域を絶対優先にした高音獲得競争は、キーを自由に移動できる
ポピュラーに害になりかねません。もちろん、その人に理想的な発声の追求が、
地力とコントロール力をつけることで、声量や声域を拡げる結果となることに
おいて、高音獲得も意味があるのですが。

 さらに、クラシックは理想とする大歌手の歌や声を手本に鍛錬していくのですが、
ポピュラーには見本がありません。お手本は、教わる人自身の中にある
最高のもの(オリジナリティ)なのです。その個性を殺しては、何にもならない
のです。ですから、声楽家を使うなら、その人をプロデュースする力を持つ人が
必要です。

 オペラの歌い手、あるいはジャズ、ソウル、ロックでも、本当に力のある
ヴォーカリストの声は、体から泉のように滞りなくあふれ出てくるかのようです。
あのくらい声が自由に出れば、歌うのに苦労しないし、歌っていても気持ちよい
と思う声を目指すというのが、声楽のメリットです。つまり、声楽はなまじ
中途半端に学んで形にはならず、やる以上は、ある時期徹底してやることです。

 ただし、声楽家は、一つの方法に固執する傾向が強いようです。
ソプラノならソプラノ、しかも同じタイプしか教えないからです。
(もちろん、例外もあります。)
 メリットというなら、声楽家は、ポップスから離れているから、
歌の好みに偏らず、発声そのものに限れば、適任ともいえます。

○音大出身のトレーナー

 私がトレーナーで採用するのは、百人に一人くらいです。
そこでみられる音大出身生の特徴は、
1.ほとんどは大きな声か高い声は出るが、緻密なコントロールなく出ている。
2.頭部共鳴にコントロールだけされたパワーのない声が少なくない。
3.リズム・グルーヴが入っていない。

 声楽で食べていくのは大変だからと、ポピュラーを手伝っていただけるのは
よいのですが、ポップスも感覚を根本から変えて、たくさん聞いて欲しいとも
思います。そもそも日本や現代というのを知らず、関心も持たずして、
声楽というのは歌えるのでしょうか。
以前と違って、声だけ、歌だけでは食べていけないでしょう。
中島啓江さんレベルになると別ですが。この3タイプは、
どうしてそうなったのかとみると、師の考え方の違いからでしょう。
そこからみると、ドイツ式とイタリア式の違いなど、ささいなものです。

 ピアニストなども、私は独力でやってきたくせのあるポップスのピアニストよりも
クラシックでリズムと勘がある人の方が育つと使えると思っています。
二十代前半くらいとしたら、ということですが。ですから、音大生は
よく使ってきました。声楽家も、二十代は、学び始めたときなので、
声を大切にして欲しいものです。声が未熟なうちに人に教えるのは、
あまりお勧めできません。

 日本人は話し続けるだけで声を痛める人が多いようです。
日本人でもベテランの声楽家は別ですが、音大生あたりでは、総じてひ弱です。
呼吸や発声のまえに、体と集中力づくりが必要でしょう。
いつも疑問に思うのは、何を学んだのかということと、声そのものの弱さと、
表現力のなさです。

1.リズム、グルーヴ
2.声の強靭さ

 オペラ歌手になりたいなら、10代からスポーツで体を鍛えることをお勧めします。
三大テノールは、サッカー出身、パヴァロッティなどはプロ選手でした。
ステージには、その運動神経や勘のよさが必要なのです。
何よりも今や音大入学を選ぶところで、すでに保守的な気もします。
昔はそれが挑戦でした。世間知らずのお坊っちゃん、お嬢さんで、
芸術でなく花嫁修行?(こんなことばが世の中で通じたとは)といっても、
日本では音大を出ないとオペラのステージに立てないというのなら、
仕方ないでしょう。もちろん専門家なら、専門家でよいのです。
そこでの技術を習得する目的のある人が、習えばよいということです。

 よく「声楽をやると、オペラみたいな発声になりますか」と聞かれます。
 この“オペラみたいな発声”のイメージは、日本人の中途半端な
オペラ歌手が助長してしまいました。私はダンスでコンテンポラリーをやる人に、
クラシックバレエが基本となるような次元で、声楽を学ぶことを勧めているのです。
そこからみると、あまりに低次元の問いです。

 ヒップホップ、ラップをやりたい人は、「バレエをやるとステージが白鳥の湖
みたいになりますか」とは聞きません。
変なイメージの声楽でなく、クラシック(基本、原理)と捉えてください。
「声は強くなるのか」というのも、大体において、強くなると思ってよいでしょう。

 声楽は土俵がはっきりしているため、評価の基準がわかりやすいのです。
私もときに「声楽でいうなら」という言い方をとらざるをえないこともあります。
またトレーナーに、声楽家をお勧めすることもあります。

(そのケース例)
  1.表現力、演奏力(オリジナリティ)
  2.発声のよさ(技術)
  3.声のよさ(素質)

 まあ、日本では、よく1が欠けているといわれるそうです。
日本のピアニスト、バイオリニスト、指揮者でも世界にひけをとっていない耳は、
日本人にもあるのです。


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<今週のQ&A>

Q32.日本というのは、今や特殊なステージの作り方をしなければいけなく
なりました。それは、私がライブハウスやプロデュースに本腰で関わるのを
辞めてしまった大きな理由です。

 客の方の立場から見ていかなければいけないのは、やむをえないことですが、
ところが、そこで本質が失われてしまう。本来はおかしなことです。
 ヴォイストレーニングというのに、正解があるという前提で考えるのであれば、
徹底して、誰よりもすごい声、誰よりもすごい歌のベースと考えればいいです。
それがそのままプロになる絶対必要条件にならないのが今の日本です。

 だからプロになるということと、ベーシックなことをやるということも、
ダブルスタンダードで変えておかなければいけない。
世界に通用する歌い手になるために、やるという思いでくるのは歓迎ですが、
そのことと現実的に日本でやっていく活動というのはなかなか一致しません。

 年に300人も入れ替わり立ち代りがあるステージで、年3千~5千曲、
全部の歌を、私は15年ほど毎月聞いていました。その中には才能のある人も、
向こうでも通じるのに近いという人もいました。
向こうに行ってしまえば、基準ははっきりします。
日本にいたら、そこをいろいろ考えていかなくてはいけません。
わかりやすい例でいうと、向こうで歌っていた歌い手が日本に来ます。
するとステージが変っていきます。声の力では聞かせなくなってきます。
そういうやり方をしないと、日本ではファンがつきにくいからです。

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