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第39号 2009.05.16

○スクールと養成所、研究所との違いは?

 私の研究所は、作品づくりを経て、舞台で一流でやれるために
声とそれに関わる全てのことが磨かれてゆくことを目的とします。
アーティストと人として評価されることは、別のことです。
目的は、よい作品を残していくことです。
 そこに永遠の命を持たせる。そこにすごいものが出ていたら、
そのことで認める。そのことだけは、私はやってきたつもりです。

 ここ20年近くで、いろんな苦い経験もたくさんありました。
勝手に期待して先生を祭りあげて、努力もせず、効果がでなければ見切る。
他の先生について、小手先の上達に喜ぶ。どこかを散々けなして、
去っていくような人は、次々と他の先生へうつる。それでは実力でなく、
先生歴しか増えません。そのうち、ほめてくれる先生に落ち着き、
世の中でやっていくための力はつかないのです。

 人に期待するということは、第一に自分にその見返りが欲しいと
いうことです。自分にも同じだけ期待して欲しいということになる。
しかし、それには自分の力をつけなくてはいけません。
そしたら黙っていてもまわりが世に出してくれるようになります。
 日本では力がなくて、媚びてくる人を大事に、そして親切にする先生が
多いようです。日本では先生のいうことをハイハイと聞く人の方が
使いやすいから、重用されるのでしょうか。

 そこで人間的にはよくても、よい人というだけで、専門職では
一人立ちできない人ばかりがたむろするようになる。そのため、
どこも場がダメになってしまうのです。つまり、才能の世界では、
常に創作での実力勝負ということを理解していないのです。
それには、まず自立した精神をもつこと、これが芸の技術以上に大切なことです。

○養成所とスクールの違いとその利用法

1.ポジション
 誰でも入れるところにいること自体が落ちこぼれです。いるのはよいのです。
自覚の問題です。それがわからなくなるところは、よくありません。
ただ来ているところ、ましてお金を払って入る得たところでは、いるだけでは
何ら得られません。学ぶべきことは、内容でなく、意欲と自分の売り方なのです。☆

2.批判より実践
 どこでも、友達ができると、先生批判が出てきます。自分が大したことない
ことを棚にあげます。そんなことをやっている暇があれば、一つでも上に顔を
出せるようにすることでしょう。

 自分の未知の将来より、先人の実績に頭を下げること、少なくても自ら
10年やって、さらに実績を残した上で、他人のことは問うことです。そのとき
やれている人は、自分を問い、やれていない人は、まだ他人を問うのです。
 やれる人は、どこでも100人いて、1人、2人くらいです。ということなら、
このままでは自分がやれていないことを知ることとなります。

 素質ある人でさえ、才能が発揮されぬまま、本人はやれるつもり、
やれてるつもり、やっているつもりになってしまうのです。
そんな本質もみえないようになっていくなら、何のための勉強でしょうか。

3.群れ始めることで自己肯定する
 これは、逆手にとれば、学校やサークル運営の秘訣なのでしょう。
どこでも、来る人たちがそうしてしまうものです。ちょっと長くいたら、
物知り、うんちく通(いわゆる茶坊主)になる。世に出て行けず、そこで偉ぶる、
そのためにいるようになりがちなのです。

4.場
 私は、自分の他のあらゆる力を総動員して、稼いだものも誰よりもすべて
声に(=研究所に)つぎ込んできました。結果、お金に替えられないほど、
とても自分の勉強にも経験にもなりました。会報には、生徒の原稿まで
打ち込んできました。何事であれ、自分にどれだけ投資したかがすべてです。

 私がビジネスをやるなら、こんな効率の悪いところに旗などを立てません。
多くの起業家にも私はアドバイスしているので、そのくらいの能力はあるつもり
ですが、それゆえ、あえてこの場は分けています。
つまり、ここは私のライフワークの場なのです。

 それにしても、なぜ多くの人は、自分の器でしかみられないことを知り、
視野を拡げないのでしょう。
 レッスン代などは、消費物でありません。少なくとも、自分の財布でなく、
自分への付加価値、相手の時間価値から算出すべきです。
時間を費やすからといって、トレーナーは時給いくらというものではないのです。

 それよりも、なぜ、そこでもっと真剣な作品の価値や、イメージや音楽の
レベルや方向性をめぐっての創造のやりとりがないのでしょうか。
 声だけに、歌だけに、音楽だけに凝っても、その先に何をなすかがないのに
どうしようもないのです。(もちろん、それの試行が許され、チャンスとなる
時期としてもあるものですが。)


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<今週のQ&A>


☆Q36.「まねるな」というのに、疑問を感じざるをえません。
先生をまねるのがレッスンの最大の目的ではないのでしょうか。

A.声は一人ひとり違います。まねるのは、そのステップにすぎないのです。
体、感覚、技術などが異なる人を同じように(同じレベルで)まねることは
できません。まねられるとしたら、その先生より技量が上ということでしょう。
ですから、もしまねることができたら、それは、まねてはいけないところなのです。
まねるのは、相手よりもすぐれていないとできないものなのです。

 自分と似ているトレーナーからは、まねやすいため、まねたところの悪いクセが
必ずできます。そのあとにそれをとっていく努力が必要となりますから、
必ずしもよい方法ともいえないのです。しかし、一つのアプローチとしては
間違いではありません。楽器のように、客観的にまねていくことのできないのも、
声ならではの特色です。

 マンツーマンのレッスンでは、トレーナーがOKを出しているのを、
他のトレーナーがみたら、そのトレーナーの悪いクセがついているだけという
ことも少なくありません。しっかりまねている人ほど、他のトレーナーがみると、
くせになっており、それをとるのに苦労するから、どのトレーナーも、
あまり他のトレーナーと長くやってきた人を引き受けるのに好みません。

 それは、まねたことがいけないのでなく、トレーナーがそれを知って、
次のステップで戻したり、より厳しく正すことをしていないためです。
ですから、声楽でも、2、3年くらい人の中途半端な状態での引継ぎは、
けっこう困難で、リセットしてやらせる方が早いということになります。

 学ぶことは、まねぶことですから、まねることがよくないのではありません。
ただ、まねること、それがもたらすことの難しさを知ることでしょう。
私は一流アーティストの作品でも、一人でなく、複数を学ぶ(まねるでなく)
ようにいっています。それは、一方的な偏りを避けたいからです。
もちろん偏りから学ぶのもあると思いますが。トレーナーについても同じ考えです。

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