第41号 2009.05.30

○プロの育つ場にする

 私がここまでやれてきたのは、若い頃からプロに重宝されてきたからです。
だから、一般の人よりもそのように使えるところまで、100人に1人でも
なりなさいというので、こちらのレベルは下げず、食いついていくようにしました。
それで使えなければ、他で学べばよいと思ったからです。

 日本では、できない人の口ほどこわいものはない。
だから、先生方はやさしい、生徒やスタッフも無難に取り巻きにしてしまいます。
トレーナーも生徒に言いたいことも言えない。言うとやめてしまうからでしょう。
 アーティックなことに殉じるなら、他の人からよい人と思われることなど
あきらめなくてはいけません。実績と結果だけで問わなくてはいけません。
そんな覚悟のある人はほとんどいないように見受けられます。
その結果が、今の日本人の声の力なのです。

 才能の世界の下では、どこでもできない人のねたみ、そねみ、そしりで
ネットワークされています。そういう人との関わりを絶つのは、難しいものです。
表現できないための表出が生きがいになってくるからです。
 一つのものの創造には、膨大な労力がかかります。他人と関わって
グダグダいっている時間などありません。暇な人は、他人のあら探しの時間で
自己満足、充実してしまう。どこのスクールも悪しきサラリーマン化してしまう
のです。この志の違いには、本人が気づくまで待つしかありません。

 人前でやる人は、そこで仲良くやることだけに専念します。
いうことを聞いてくれる、暇な頭数としての客を欲しいからです。
そうして、純粋な情熱が腐っていくのをみるのは、悲しいことです。

 人に寄っていく人は、そうしている限り、自分の力では何もできないのです。
それは、どこでも人が集まるところに、必ず見られる光景です。本気でやれば、
中途半端な仲間などは吹っ飛んでしまうから、孤独にならざるを得ません。
 そこを乗り越えるためには、自らいろいろと学ぶことです。
どこでも、そこにいることが目的になってしまってはいけないと思います。
もったいないことです。


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<今週のQ&A>

☆Q38.フレーズを重視されていますが、一曲でみなくてよいのですか。

A.発声で声を分けているのは、歌でできていたら、問題ないからです。
問題があるなら、歌そのものでは複雑すぎて、解決しにくいからです。
何よりも問題をはっきりと捉えられないからです。それを目的や習得
プロセスを分けて、チェックして、ギャップを自覚して埋めていくのが
レッスンとトレーニングです。

 ですから、よいレッスンは、耐えずそのギャップを自覚させていくこと、
よいトレーニングは、いつもギャップを埋めていくという明確な目的をもって
行なわれているものです。これを一緒にすると、こなすこと=ごまかすことで
カバーしてしまいます。そういうことを教えるのも大切ですが、
それはステージレベルでのことです。

 絵を何枚も描くのもよい経験ですが、一枚の絵を描くには、かなり時間も
かかります。ですから皆、習作のときには、その時間に何百、何千もの
デッサンをして、イメージと感覚と技量をチェックして磨くのです。
フレーズの練習はそれにあたります。一流の画家が一本の線で人に伝えられるのと
同じく、歌やせりふも1フレーズで、そうなるようになるべきではないでしょうか。

 ですから、歌は自分のもっとも伝えられるフレーズ、あるいは、
声のコントロールできるフレーズを、高低に半オクターブずらしてみたり、
テンポを変えて、トレーニングすればそこで全てできると思うのです。

 私のレッスンは、「ハイ」という新たなるベストの声づくり(息、体、感覚
づくり)と、フレーズでのベターをベストにしていくこと(声のデッサン)の
二つなわけです。
 真の上達がしたければ、トレーナーとともに常に、そこのギャップをもって
学んでください。簡単にこなせない、くせをつけたやり方でカバーさせないことが、
時間はかかっても、真の上達への唯一の道です。

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