第52号 2009.08.29

○やりやすく合っている方法がよいのか

 やりやすいやり方が必ずしも長期的にみてよいともいえません。
そればかりを優先すると、すぐに効果がでるやり方を優先していくようになりかねないからです。
すぐに効果がでるのは、本人のモチベートをあげ、トレーナーや研究所を信頼してもらうには
よいのですが、トレーニングの本質的な目標とは異なります。
 もちろん、これはすぐ実感できて、やりやすい方法を否定するものではありません。
それが第一ステップであるのは望ましいことです。
ただ、そうでない方法や、それをとるトレーナーの能力を否定するのは浅はかなことです。

 要は、今まで自分の感覚だけでやってみて(別のトレーナーについてきたとしても)、
何らかの目的、あるいは問題のために、ここに来たのであれば一度自分の判断を保留して、
自分を客観視してみて欲しいということなのです。(それも自分の判断は働きます。
だから、急がないで欲しいのです。)すると、どのトレーナーの方法が正しいとか間違っている
とかいうことでなく、すべては自分への気づきのヒントとして、あることがわかります。

○客観視化ということ

 私が会報などにトレーナーの名や生徒の名を入れないのは、表現の世界ではID(その人で
あること)が大切ですが、研究所という研究の場では一人のトレーナーのいくつもの方法も
一人の生徒の学び方も、その人の名でくくらずにすべて材料にして欲しいからです。
何ら価値観(独断偏見になってしまいがち)を入れないで、そのままにみて欲しいのです。
歌も、歌手名や曲名、場合によっては歌詞さえも、問わずに聞いてほしいといっているのも同じことです。

 私が、「ノウハウ(やり方)とメニュ」というニュアンスを、どちらかというと否定して、
「基準と材料」という言葉を使ってきたのは、ノウハウ、メニュ集めをやめさせたいからです。
もちろん私のように研究者の立場なら、ノウハウやメニューも必要でしょう。
 トレーナーには自分自身の勉強ですが、本で読んだメニュをそのまま自分に試してよかったから、
初心者に使わせるなどというのは、とても乱暴なことでしょう。そういう“熱心な”トレーナーを
私も数多くみてきました。しかし、トレーナーの心身と初心者とは違うのです。

 まだ、一つの声さえまともに出せない人にビブラートのつけ方やミックスヴォイス、
ファルセットなど、○○ヴォイスなど何種類もの発声をやらせてみて、どうなるのでしょう。
 少なくとも私のところにはそういうトレーナーはいません。すべての材料を自ら、
主体的に判断するのでなく、判断の基準がアップするように使って欲しいのです。
すべてを使う必要はありません。使えるものを最大に深めて使っていくことが全ての基本です。
(私自身は歌唱や声楽も、声をかなり高度に応用されたものとみています。)

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