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第 57号 2009.11.21

○習得することと、創ること
 世の中、いろんなレッスンがあっても、習得する方が楽なものを選びがちです。
 つまり、先生が手とり足とり教えてくれる。誰もが誰もと同じところまでいく。
それが教わることだと、私たち日本人は思っています。

 しかし、私は自分の経験から、「習得したくてきたのだ、創るのは自分でやる」というのは、
今の時代、正しいとは思えません(巷に本もCDもあふれんばかりにあるのに、です)。
 「創りにきたのだ、習得は自分でやる」、それが私のレッスンとトレーニングとの
関係でありたいと思っています。

 習得には目的が必要です。そのために気づきを与えているのがレッスンです。
 習得は、レッスンが1ヵ月に4時間でも10時間でも、そんな程度でできるものではありません。
一日も欠かさず、トレーニングする。つまり自分の時間を使い、芸を血肉にしていくしかないのです。

 創ろうとすると、何がそのために必要なのかがわかってきます。それによって、習得できるのです。
 創造という出口のないところでの習得は、自己満足、自己本位、自己陶酔、それゆえ、
世に出られないことになるのです。
 なぜ世に出られないのかなどと、昔でいうと、たわけたことを聞く人も増えました。
簡単です。誰にも、受け入れられないから、出られないのです。
 そういうと、客を受け入れようと、また逆の努力をする。
しかし、客が受け入れられるだけのものを示すことが、先決です。

 音楽や歌は、これまで述べてきたように、力のないタレントで人を集めたり、
稼いだりするのに、安易に使われてきました。健康のためや友だちづくりのため、
コミュニケーションの媒体として、これほど使うのが楽、つまりごまかしやすいものはないからです。
多くの音楽に親しむ人が、同じように効用を求めています。

 表現の創造の厳しさに、多くの日本人は本能的に目をそらし、習得に満足する方向にいきます。
 音楽は楽しいもの、楽しむもの、確かにそうです。だから私も関わっています。
 しかし、プロにとっては、同時に厳しいものなのです。
表現が、その名に足るとしたら、我が身を粉にして練り上げるものだからです。
創造とは、渾身の力を振り絞ってやる。だから、人の心を打つのです。

習得したら、創れるのではなく、創るのに習得が必要となるのです。
「あなたはどうして、そう弾きたいの ことばで語ってごらん」
アイザックスターリンのレッスンより 諏訪内晶子
「日本の音楽家は、『先生の言われた通り』としか答えない。
 なぜそう弾くか、ことばで説明できる人は少ない。聴衆も情緒的で語ることができない」(三枝成彰氏)
「一流であるには、強者に対して、妬みでなく尊敬で接することが大切だ」(野村監督)

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<今月のQ&A>
Q50.トレーニングでそれぞれの力をチェックするのは、どういう必要があるのですか。

A.バランスと各トレーニングの重要度や優先順をみます。たとえば、
10の項目をそれぞれに強化するトレーニングと、そのバランスをとることはすぐには両立しません。
声域を優先すると声量は後回しになります。ピッチの正確さを優先すると、発声はおろそかになります。
そこではっきりと順番を決めることもできなくはありませんが、それぞれの部分強化をして、
いつしれずトータルに結びつくのを待つのが理想的です。

Q51.ステージのテンションがもちません。続けていくのに、声も歌も力が足りなくて困っています。

A.日頃からモチベートをかけて少しずつ、そういう切り替えと集中するのがあたりまえの生活にしていきます。
一般の人には、特別なことですが、早く日常の中でプロ意識をもつことです。

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