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第70号 2010.05.22 ○音色とスタンダード(日本人が歌の音色を聞かない理由)

○音色とスタンダード(日本人が歌の音色を聞かない理由)

 歌詞やストーリーの意味が全くわからないからいいというのは、音色やフレーズ(節回し、メロディ、リズム)から推察というか感じていくしかないということです。それこそが演奏、音楽の世界だからです。
 一見、逆のようで、同じこととしては、歌詞がすでに全てわかりすぎているからよいというのもあります。落語の定番、噺のようにストーリーがわかっていれば、どう演ずるかに、客の関心がいきます。そこで声や表現といったものの技量の差、真のオリジナリティが出ます。同じことをやることによってはじめて感覚も判断力も深まるというのは、ブレスヴォイストレーニングの根本的な考え方です。

 日本にはあまりなくて、世界にたくさんあるのは、スタンダード曲です。スタンダード曲とは、歌詞やストーリーは皆知っているのです。その上で歌われるのなら、歌い手は楽器としてのベースと表現力が問われるのです。つまり、初物、誰もやっていないからオリジナリティなどという安易な海千山千の世界から、早く質の世界に入れるのです。大切なのは、自分の音と使い方(音色とフレーズ)を発見することです。
 日本でも、邦楽や演歌には、定番曲があります。ミュージカルも同じ曲を違う人が歌っています。それはレベルがアップしやすい状況なのですが、残念ながら、真似てしまうことが必ずしもプラスにはならないという特殊な分野である声においては、大して人材は育ちませんでした。日本の客は、ビジュアルやストーリーでみてしまうから、尚更です。表面上の形ばかりに影響されて、歌手も曲や詞が新しければ、初めて歌うなら何でもよいとなりがちです。

○日本にもスタンダードがあった

 昭和の半ば頃までの著作権がフリーの頃(整備されていなかったということです)は、同曲を違うレコード会社専属の歌手同士、同じ時期に競作してヒットを競うこともありました。それとはすでに異なる状況でしたが、私が覚えている最後の曲は「氷雨」でした。(日野美歌佳山明生さんの歌唱)
 また、フォークなどの台頭期では、かぐや姫など、ほぼ一曲の繰り返しだけのステージをやっていたグループがいました。(「好きだった人」などが代表曲でしたが、フォークは、歌詞の力が大きく、即興の詞づけにも長けていて、必ずしも曲の力とは言い難いですが)
 そこから日本はロカビリー、ロック、ポップス、ジャズ、カンツォーネシャンソン、ラテン、ボサノヴァ、ファドまで、向こうのものに訳詞をつけて歌う時代となり、同じ曲での比較が容易になったのです。当初は英詞の訳もよいのがあったのですが。(この一連のヒットで、出版社をつくったのがシンコーミュージック創設者、社長だった(故)漣健児氏です。「悲しき・・・」で始まる一連のシリーズが有名)。多くの歌い手が同じ曲を歌ったために比較でき、秀劣や個性がとてもわかりやすかったのです。

 日本人の英語熱もあって、ジャズは英語のまま歌われる方が多くなり、日本訳の詞は、陳腐なものになりました。それに対し、カンツォーネシャンソンは、日本人にはフランス語、イタリア語がわかる人が少ないせいもあってか、よい詞がつきました。宝塚時代、越路吹雪さんの歌を訳詞した岩谷時子さんや、作詞家の中西礼さんなどは、シャンソン畑です。
 歌詞がよいことは、原語と日本語との両方で学ぶための一つの大きな条件です。特に、カンツォーネは、日本詞がうまく付けられているのが多いのです。ただし、この頃の詞は、一音節(モーラ)に一音の日本語をあてていたため、原詞の内容の半分から三分の一しか伝えられていません。

 なぜ、原語のままの曲でなく、日本語が大切かというと、歌は生活しているところのことばで支えられているからです。
 楽器に対して、決定的に歌が有利なところは、次の二点です。
  1.人間の声である  2.ことばで意味を具体化できる

 英語でジャズを歌っている人は、英語で生活しているのでないので、どうしてもネイティブにはかないません。日本語で育ってきた日本人の私が、いくらセリフや表現を英語でいっても、自分でも、それを聞いている他の日本人でも、その伝わる程度はネイティブほどには判断できません。
 ですから、英語で歌えれば、英語の発音が正しければOKという形での評価が、また幅を効かし、表現が忘れられてしまうのです。(→拙著「英語耳ヴォイストレーニング」に詳しい)

 日本の歌でも似ています。合唱、ニューミュージック、J-POPS、演歌、邦楽はなぜ、時代を超え、日本を超え、世界のスタンダードにならなかったのでしょうか。エスニックだからではありません。表現力でかなわないからです。これは、分野としてでなく、演じる、歌う人、個人の音声での表現力においてということです。
どこでも、一人の天才とそれに続くハイレベルな集団が出て、そのジャンルをつくり、ジャンルを超え、スタンダードにその芸を成立させるのです。もちろん、歌謡曲や演歌のすぐれていたことは認めていますが、デビューのあとがよくならないのが日本の特徴です。

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<今月のQ&A>

Q76.自分の歌が心地よくないと思います。

A.心地よさはメロディとリズムの妙です。歌詞が意味をつけますが、ことばを音声で動かすと、それはすでにメロディとなるのです。

Q77.高音を一音だけ出したい。やってはいけませんか。

A.これは、けっこう多い要望です。
 レッスン中にそんな無理なことをやることは特別なケースをのぞいてありませんが、特別な声として位置づけて、やってみるのは、自由です。結局、”やってはいけない”などということは何一つないのです。
 ただ、トレーナーとトレーニングするときは、レッスンのスタンスは必要となります。一緒によりよくしていこうという共通のプログラムの中では、タブーになることではあります。しかし、タブーだからこそやるというのもあり、なのですね。リスクや犠牲というのは、自分の位置づけをしっかりしていくことで、防ぐしかないのです。