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第73号 2010.07.10 ○トレーナーがいなくなったら

○トレーナーがいなくなったら
 
  ここにいらっしゃる理由の一つに、前の所でのレッスンでトレーナーがいなくなった、トレーナーをやめたり、海外へ行ったり、他の仕事で忙しくなったなどにより、レッスンがつづけられなくなったということもあります。ときには、あなたがそのレッスンの曜日や時間に行けない、あるいは勤務や仕事の事情でそのトレーナーのレッスンを受けられない状態に陥ることもあるでしょう。
 いうまでもなく、一人のトレーナーの判断は、絶対ではありません。いかにすぐれていると評判があっても、プロを育てていても、あなたにとって最良かどうかは未知数です。私も欧米の知名度のあるトレーナーに、何人も会ってきましたが、私自身の判断と、彼らの評判とは必ずしも一致しません。長期で関わったり、目的を絞り込んでみなくては、よくわからないこともたくさんあります。
 何にしても、一般的には最初のトレーナーの影響力がとても大きく、その価値観が後々まで残るというケースが多いのです。むしろ、合わずに何人か替えてたどりついた方が客観視できます。生じ最初に惚れ込んでしまうと、そこでそのトレーナーの声の判断のラインが強くひかれます。それは、そのトレーナーには合っていても、あなたに合うかはわからないのです。というより、合わないことが多いといってもよいのです。
 そこで、複数トレーナーの多角的なアドバイスから、入ることを私はおすすめしています。セカンドやサードオピニオンをもつということです。少しばかり混乱しても、長い眼でみると、あなたの判断力はその方がずっと早く適確につきます。繰り返しますが、レッスンとは声を出したり、よしあしを判断してもらうだけではありません。むしろ、自分で判断する力をつけることが、レッスンの目的なのです。

 私のところでは、日本のトレーナーだけでなく、海外のトレーナーとレッスンをしていた人もけっこうきます。いくら著名なトレーナーであっても、リップサービスだけ受けて満足して、声楽家の肩書きのように、会ったことを自慢したいだけの結果になっていることも多いようです。本当に力があれば、声一つでわからせられる分野です。出身も略歴もトレーナーめぐり歴も不要でしょう。
 ですから、私は内外問わず、トレーナーについての判断は、アーティストについてと同じく、今、目の前にいるあなたのトレーニングにとって、有効である範囲についてしか、行いません。一緒に何年過ごしてもわかりにくい声や歌の分野において、単に聞きかじったことや少ない日数で見たことだけで、判断などできっこないからです。相手によっても、条件、状況でもかなり異なります。ある人に対して、最悪のトレーナーやトレーニングが、他の人に対して最良の結果を出していることもあります。その逆もあります。

 そもそも、トレーニングの成果とは何か、ということでさえ、語学などでの上達に比べるとあまりに複雑でわかりにくいものなのです。医者や語学の先生でさえ、雰囲気やサービスで評価が左右されるこの国の技術軽視の傾向下では、口コミなどでも、トレーナーの本当の技量は、計りきれません。
 自分で体験して判断するのもよいのですが、その自分の判断のよりどころを、どう客観的に説明できるのでしょうか。

 ということで、トレーニングさえ、誰でも楽に簡単ですぐに習得できる、しかも、どこよりも安いからよいというのが売りになるなどという最近の傾向は、残念に思います。もちろん、そこに多くの人のニーズでもあるから、ビジネスとして成り立つのはわかりますが。
 答えばかりを与える本やレッスンが増えました。そんなものは、ほとんど誰にも使えないのと同じです。単に安心感にお金を出し、依頼心を育てているだけです。そういうのがヴォイストレーニングというのなら、私は決別してやっていく所存です。

○トレーナーの声
 
 私は、呼吸法や気功などに比べて、声の有利なところは、耳に実際に聞こえるところだと思います。みえないのは残念ですが、みえないものこそ、大切です。聞こえるのですから、しっかりと聞いてみれば判断できるはずです。プロの耳でなくても、声や歌は一般の人がよしあしを判断しているのですから、他人に対しては、判断できてきます。でも、最も大切な自分に対しては、とても難しいのです。
 最近、私は、ときに声紋分析器でも声をみるようにしています。(大して使えませんが)他の多くのトレーナーに声や歌に対する判断の仕方も誰よりも吸収してきました。もちろん、これも一面にすぎません。
 私は、トレーナーの採用についても、学歴、年齢も問わず、声そのものだけでみています。そこで他人と大して変わらないなら、どんな立派な理論や方法をお持ちでも、信じません。せりふや歌となると、これは応用です。しかも、表現に入るほど、正誤の判断などは無意味になります。たしかに、アナウンサーは報道の、ナレーターは読みのプロで、それぞれに問われる要素をもっています。しかし、発声はもっと根本にあるものです。そこでも混同されています。