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第74号 2010.07.24 ○トレーナーの条件

○トレーナーの条件
 
 ヴォイストレーニングを表現からみたときに、どのような表現を目的にするのかは、難しい課題です。
 オペラであれば、まだわかりやすいでしょう。日本でなら二期会の合格ラインや劇団四季の主役あたりを想定するのも一つでしょう。
 しかし、ポップスでは、たとえ一流の歌手であっても、その方法論を本人以外に通用させられるとは限らないのです。アマチュア同士のサークルなら、トレーナーもピアノがうまければピアノを弾いて自慢でき、少し歌えれば歌って教えることができるでしょう。
 しかし、百戦錬磨のプロに対して、そのような自己流で自分にしかあてはまらないようなものは、無力どころか、邪魔や害にさえなりかねないのです。トレーナーは、医者が他人ののどのポリープを手術することができるように(自分ののどの手術はできなくてもよいが)、適確な判断力をもって処方できることがもっとも大切です。

 トレーナーの条件とは、
 1.声の育つプロセスを理解し、実践できること
 2.個人差に対応できること
 3.自分の力量の及ぶ範囲かどうかの判断ができ、そうでないときは、そのスペシャリストに紹介できるネットワークをもつこと
 この2,3は、まだまだ日本ではなおざりにされています。

○歌手はトレーナーとは違う

 一流のプレイヤーは、大体一流の教師となりますが、一流の歌手が一流のトレーナーとなることは少ないです。歌手が歌手を育てないのは、そう簡単にできない事情があるからです。ダンスやゴルフのレッスンプロなら、プロになれなかった人が教えたらよいのですが、ヴォイストレーニングはそんな単純なものではないのです。
 人間に対するあらゆる知識や体験(体だけでなく、教えることに関することについても)が必要です。
 私自身は一人で行う限界を早くから知り、組織化して、少しでも客観性を高める方向をとってきました。芸や芸術だけでなく、ビジネスやコミュニケーション心理などについても、相当のキャリアが必要です。この研究所には特に多彩な人が来るので、私自身だけでは、その半分もまかないきれません。

 アメリカあたりの一流のヴォイストレーナーは、10歳くらいで世界に名の通るほどのプロとやっているのでしょうが、とてもそんな芸当は、日本ではできません。日本のトレーナーだからできないというのではなく、そういうプロは、勘も体もセンスもあり、トレーナーも楽とはいいませんが、トレーナーに求められる才能が違うのです。
 私も外国人トレーナーを何人か日本で使ってきました。ただ、日本人と外国人との間の声に関する根本的問題については、彼らは気づくことがなく、そのアプローチもできません。絶対音感のある人が、ドの音を弾いて、ドを出せない人をどう直せばよいのかわからないようにです。(ピアノのレッスンでは、こんな問題は起きません。どう弾くかのレベルの差がすべてで、誰でもドの鍵盤を押せば、ドは出るからです)

 私が他のところからレッスンで求められてきたところは、今や歌手よりも養成所で声量不足を指摘されている、声優や役者さんが強く要求されているようなところです。そういうところでは、昔ながらの大声トレーニングが行われており、今の若い人ののどの弱さや体つきの変化などに、まったく無頓着なのは、驚く限りです。
 自分たちのやり方で、次の世代が育たなくなったことに気づくのが早かったのは、いつも同じ演目をやる落語、コーラス、歌劇団、ミュージカル劇団、邦楽、エスニックの歌い手などでした。そういうところからいらっしゃる人には、ブレスヴォイストレーニングや声楽を活かしています。その処法についても、最初は混乱のなかで直しつつでしたが、今はおおよそ、誰(どのトレーナー)がどういうふうに指導したらよいのかが、わかるようになりました。