第77号 2010.09.11 ○トレーナーとして学ぶこと

 トレーニングやレッスンも、トレーナーが学ぶ経験を積むに従って、発展してくるものです。即ち、トレーナー自身がどこまで自分の理論(仮説)をそういう多くの実践の経験で、フィードバックできる能力があるのかが常に問われるのです。そのために私は早くから、私の個人レッスンでなく、集団(複数のトレーナー)で組織的に内部結果をフィードバック(研究誌の発行や声の音源分析など)、外部の専門家とも協力して研究をしています。
 相手の要求や声の基準は、時代と共に変わります。人の心身さえも同じではありません。今や若い人ののどは、すでに今の40、50代の若いときのものとは違うのです。

 そこで、次のようなことは、常に新たに学んでいかなくてはなりません。
 1.人間共通の体
 2.時代で異なる体
 3.発声器官のありよう
 4.求められる表現とスタイル

 たとえば、単純な大声トレーニングは、かつては、6割以上の人に有効だったのに、今は7割の人に害になっているのです。
 トレーニングは、人間として、共通の体を前提に行ないます。赤ん坊から大人に至る課程で、そこでは、(a)生まれ、(b)育ちの2つの大きな因子があります。
 (a)は赤ん坊の時点での違い、DNAや遺伝で骨格や肉付きは、赤ん坊として生まれたときにすでにけっこうな違いが個人差として生じています。民族、人種間の違いもあります。
 さらに、(b)の育ちとなると、もはや分類しきれません。もっとも明瞭に違うのは、男女差です。(c)成長とともに、発声発語器官そのものが変わります。さらに、(d)後天的な違い、最も明瞭に違うのは言語習得における差です。聞こえてくる言語によって、耳での音の捉え方から、発声器官も大きく違ってくるわけです。

○トレーニングと日常の不可分な関係
 
 他の分野に比べて、最も難しいのは、日常の発声発語訓練と、トレーニングのそれとが明瞭に区別できないということです。その理由の一つは、声帯を中心に発声の楽器が体内にあること、もう一つは、歌唱や発語は、オペラ歌手など専業を目指す人でなくても、相当のレベルにまでマスターしているということです。
 多くの日本人にとって、日本語を使えるのが当たり前のように、全世界のほとんどの人間において、発声発語は、生活の中でほぼ完全に習得されています。そこで歌唱、せりふという舞台表現となったものに要求されるレベルとのギャップは、個人差が著しいということです。
 いわゆる、歌や演劇は専門のトレーニングをしなくても、プロ並みにこなせる人がたくさんいます。その多くの人は、専門トレーニングを必ずしも受けていないのです。となると、専門トレーニングとは何を意味するのかさえ、あいまいなのです。ヴォイストレーニングもそういうことで、とてもあいまいになっています。