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第79号 2010.12.25 ○客観視すること

○客観視すること

誰かについて声を学ぶのは一人で学ぶよりもずっとよいことです。それが無理なら、すぐれた仲間やサークルの同輩でもかまいません。一人でやるのと、比較・対象とするものがあるのとは、まったく違います。しかも録音して聴くことで、自分と相手との2面からの視点が得られます。プロのCDを聞くのと違い、ほぼ同じ条件のものに収録されますから、違いも差もわかりやすいのです。
ただし、先生と全く同じことができるレベルになることをめざして行なう場合、他のプレーヤーに比べて声は著しく不利な点があります。 それは、一人として同じのどをもっていないことです。
ですから、噺家の師を弟子が同じようにして超えられず、別の芸風で乗り越えようとしたように、守破離のプロセスがとられるのです。 声だけならなおさら、より早い見極めと離脱に移る方がよいわけです。

そのために最初から見本を一人に絞り込まず、複数に分散しておくこと、さらに、複数のトレーナーをもつことは理にかなっています。つまり、多くのパターンとまねから、自分の好き嫌いを超えた得手不得手を見極めるのです。
師を選ぶのは好き嫌いであり、また多くの人が芸の道に入るのも、好きな芸(人と声)からですから、自己否定から、そのまま師の見本コピーへと入ってしまうものです。つまり、一人でやっている人は、常に自己否定か、一人よがりの両極端から抜けられません。
師はスターであり、トレーナーです。しかしヴォイストレーナーはトレーナーで、師ではありません。そこでトレーナーには客観視させる能力をつけさせる力が問われます。
発声法だけとして教えるのであればテクニカルコーチとして、トレーナーは最適かもしれません。しかし、そのやり方はどこに使えるのかと考えるとなれば、多くの場合、弱点補強にしかならないでしょう。問題がそれだけであることは少なく、むしろそれが根本的な問題であるオリジナリティ、つまり長所をみつけたり伸ばしたりする妨げになることです。しかし現実は、効果が早く出やすくわかりやすく、習う人も実感しやすいから、そこが優先されます。それどころかそれが目的となることが大半なのです。