第81号 2011.02.26 ○トレーナー依存からの脱却

○トレーナー依存からの脱却

 私は教えすぎるどころか、教えないタイプでした。声や歌は、誰でも扱ってきたのですから、できないなら教えられない、本人の感じ方やイメージが変わるまで待つしかないからです。
でも、今の時代、それではいらっしゃる人がもたないので、私も対応としては、あるところでは変わらざるをえなかったのです。というのは、ここには口伝のみの邦楽のお弟子さんさえ、師匠の許可をもらっていらっしゃるから、少しは改めようと思ったのです。もちろん、そういう師も声そのものの扱いは、自分の体験でしかないし、すぐれているからこそ、他へ学ばせに行く度量もあるのでしょう。その受け入れ先の私が同じでは困ることになるわけです。

 ヴォイストレーナーの多くは、生徒を囲い込んで自分の好みへのみ沿わせようとしてしまう結果になりがちです。条件づけ(初めてみたものを歌と思う、生まれたての鳥のように)といって、初めてついて学ぶトレーナーによって、その人の発声の方向は、大きく左右されてしまうのです。それは多かれ少なかれ起きてしまうことですし、自分を変えるためにトレーナーにつくのですから、よかれあしかれ、そこからスタートするのは、普通のことです。

 先日も関西では、けっこう有名なトレーナーに6年ほど師事した人が来ました。私どものところは、20年もやっているので、同じトレーナーのところから4、5人ほどくると、そのトレーナーがどういう考えやプロセスを教えているのかは、見当がついてきます(来た人一人だけで判断してはなりません)。しかし、私も、私のところのトレーナーも、そこに6年どころか、1~2年のキャリアを感じることはできませんでした。
こういう例は、よくあるというよりも、ほとんどの場合が、そうだといえます。そのトレーナーが悪いのではなく、そのトレーナーから大きく学べた人もいるし、そうでなかった人もいるということです。
もちろん、うまくいかないから、他の先生のところへ移るというケースなら、当たり前です。しかし、うまくいっていたのにも関わらず、他のトレーナーが評価できないこともあたりまえのようにあります(この人は上京してきたためにいらしのであり、関西にいたらずっとそのトレーナーについていたはずです)。

 このように述べると、私どもだけが正しく結果を出しているといいたいのかと思われますが、そうではありません。
ただ、少なくとも私どもは組織でやっているので、かなり客観的な位置づけや視点が得られやすいということはいえると思います。トレーナーやその方法との相性やプロセスの検証が、ある程度できるからです。つまり、研究所は、いくつかの学校が入っているみたいなものなのです。
 
なかには、一人のトレーナーについたのはよいのですが、他のトレーナーの指導を(ときどき振替、代行をするのですが、なかには他のトレーナーを受け付けられなくなる人がいます。)
確かに、トレーナーといっても、個人流で、それぞれにやり方や判断基準もプロセスも違います。
組織やチームでやるなら、そこで統一すべきだという考え方もありますが、私は、トレーナー個々のノウハウや考え方は最大限、尊重していますから、生徒が混乱してもよくない方向にいきそうなとき以外、口出しはしません。
ここは、トレーナー全員が福島英のブレスヴォイストレーニングとやらいう方法を教えているところだと思っている人が少なくありませんが、そんなものはないと考えてください。ブレスヴォイストレーニングとは方法やメニュでなく、それらを使うときの考え方や選び方なのです。(ですから、どんなトレーナーでもよいということではありません。)
 何よりも私は、自分の本のメニュ通りに、教えたこともないし、10人いたら10通り全く違うメニュをつくっています。トレーナーにノウハウがあるのでなく、それぞれの人に、引き出すべき個性(違い)や能力があり、それを導くのがトレーナーだと思っています。

 トレーナーに関してはトレーナーがいかに有能でも、あまりにトレーナーに左右されることを防ぎたいと考えています。確かに、指標を与え、ギャップをみせ、その埋め方のノウハウを教えてくれるトレーナーは人気があるでしょう。しかし、そのコースは、トレーナーが一方的に引いただけにすぎません。ノウハウは、そのトレーナーのノウハウです。あなたがそれを材料に、自らの基準を高め、自らを知ることで、異なる自分独自のスキルにしなくては大した力になりません。

 他のトレーナーについて、一所懸命やってきた人の出す声は、そのトレーナーの半分以下の完成度もないのが日本の現状です。腹式呼吸や深い声さえ、素人と変わらないことが大半なのです。
 
考えてみてください。本当に伸びていたら、声なのですから、誰もがすぐにわかるものです。それが、変なくせや歌い方がついてしまっていると、次のトレーナーがゼロからやるよりも大変になるなどということが、あたりまえのように起こっているのでしょうか。
トレーナーも自分一人で全てを与えられるなどと思わない方がよいし、自分よりその人に向いているトレーナーを紹介するくらいの度量は必要です。
そういうことになったとき、トレーナーの大半はお山の大将ですから、その判断さえつかないのです。というより、そういうことを学ぶ場や機会をもてないのです。(ですから、ここにトレーナーが邦楽の師匠なども含めてくることになるのでしょう。)また、優秀な声の使い手イコール有能なトレーナーでないということです。長年歌としての実績のある人がトレーナーとしてあまりうまくいかないのも、こういう声の問題の特殊性でしょう。

 私はトレーナーを信じてはもらいたいのですが、そのトレーナーがいなくては何もできないような育て方をしてほしくはありません。マンツーマンのレッスンのよさは認めていますが、トレーナーに依存しすぎる関係は、よくないのです。知らずとマンネリにもなり、お互いだけの了承で進みます。
といっても、多くはできる人ほど、トレーナーの好みに声の出し方や歌い方がなってきて、そっくりになってしまいます。それなら、アーティストの歌をカラオケで真似ているのと変わらない、いや、その方がましかもしれません。

 ノウハウなど、小手先のことを教えるよりも、精神的、メンタル的なトレーナーであった方が、長い眼でみると、よいとも考えます。
 
私もいつ死ぬかわかりませんが、来る人のなかには、ここに5年10年以上いらっしゃることもあります。何年も経って才能が開花することもありますから、他のトレーナーや私がいなくても成立するように私は当初から組織化しました。
 同じように、あなたのトレーナーも留学したり、辞めたりすることもあるでしょう。そのときに、他に誰も惹きつけないような育ち方をしていてはどうなりますか。
オペラ歌手ならともかく、ポピュラーや役者に真似は不用です。人が教えたり、人がつくったりすることはできません。(タモリさんが自分は(故)赤塚不二夫の作品といったのは、最大の賛辞のことばにすぎません)

 基本の基本は、声を育てたり、声を扱う体、呼吸をつくるという条件づくりです。どんなトレーナーからでも、どんな方法からでも、自らがもっとも厳しい条件というのを知り、使えるようにしていけばよいのです。すべてを使う必要はない。多くの場合、たった一つのメニュで死ぬまで充分なのです。使い方を変えればよいのです。

○トレーナーの教え方の違いと相性について

 いろんな本や私どもの会報のトレーナーのノウハウだけを見ていても、よくこれだけ違うと思えるようないろんなやり方があります。すべてやってみて、もっともやりやすいものから入るというのは、必ずしも正しくはありません。それでもチェックができるなら、自分の中によいのと悪いのがあれば、よいのに悪いのをそろえるというのに似ています。

 それをもし一人でできたら、けっこういいところまでいきます(多くは、悪い方にそろってしまうので、トレーナーが必要なのです)。一人ではなかなかできないので、トレーナーにつくのです。すると、けっこう合わなそうなやり方に向き合うこともあります。自分にないものをつける、かなり足らないものを補うのなら、自分の中のよしあしを一度すべて捨ててトレーナーの体や感覚を盗むしかありません。真似ても盗めないから、身につくまで待つしかないのです。

 そう考えると、トレーナーも自分に合う人や、やり方がわかりやすくやりやすい人が本当に自分にベストとは限らないともいえます。ベター、つまり、そういうトレーナーは、自分の悪いところを消してくれるくらいでしょう。本当に根本的に変わりたいなら、トレーナーも合わない人ややりにくく、手こずるような方法の方がマスターできると、効果は大きいともいえます。

 ソプラノは、ソプラノの先生から学びやすいのは確かですが、もしバスの先生から学べたら、もっと得るところが大きくなる可能性があるということです。パートに関わらず、性別も超えた人間の体というところの基礎で身につくからです。
私がいいたいことは依存せず、主体的に自立してくださいということです。ただ、その判断をどうするか、自分ですると失敗する、トレーナーに依存できない、だからいろんなトレーナーから盗み、高度に判断できるようになるまで待つしかないのです。だから、一人より複数のトレーナーがよいのです。