○プロ歌手へのレッスン NO.260

 

○プロ歌手へのレッスン

 

 

 

 すでにプロの歌手と、そうでない人のプロになっていくプロセスにおいて、トレーナーのとるべきスタンスはいくつか異なってきます。プロ歌手についての定義や分類などというのは、いくつか述べてきましたが、現実や過去の歴史をみて、実物に当たればよいことで、ここでは省きます。アイドルや、役者、タレント出身の歌手になると、また問われる要素が全く違ってくるからです。

 

 ここでは素質と、それを伸ばすこと、さらに足らないものを補わせること、この3つに絞りこんで述べたいと思います。そして、この中で、これまで触れてきたように、3つの歌のレベルを想定しておきたいと思います。

 

A.プロ歌手 世界の一流レベル

 

B.プロ歌手 日本の一流レベル

 

C.プロ歌手 日本のデビューとそこから10年レベル

 

なぜこんなくどい分類をするのかというのは、問われるレベルと要素が全く違ってくるからです。

 

 ヴォイトレの意味がわからないというプロの歌手や役者、プロデューサーなどがいるのが、CBの間、せいぜいがBの下の方で、論じているからです。そして、トレーナーもCBの下の方で対応しているからです。

 

 私が、デビューとデビューから10年レベルを、同じところにおいたのは、日本では声の力においては、あまり変わらないか、むしろ、デビュー時よりも劣っている人の方が多いからです。この辺りも、今まで触れてきましたので省きます。

 

 演歌、歌謡曲に至る一連の流れ、浪曲、民謡など、の一流のレベルは、昭和の時代をピークにしています。トレーナーでいうと私の世代、1980年代後半あたりからは、1960年あたりのレベルを超えていきません。

 

 つまり、私の親の世代のトレーナーは、日本の歌を育てていましたから、当然、私たちの世代は、それを世界の歌にすることであったのです。そこに至っていないというところから、私はスタートしたのです。

 

 ところが、1990年代にあたり、JPOP、カラオケの隆盛で歌はプロから、一般の人のものへと完全に移ってしまいました。トレーナーも、当然そこに対応するようになったのです。

 

 私は、私の前の世代の方が、科学的なことの知識はともかく、指導においてはもっとも適切であったとさえ思っています。それでトレーナーに対しても、ここで述べているわけです。

 

 

 

 表現と基礎の両極、先の例では、普通の人(仮にレベルDとしましょう)が声をよくしたいと言っても、トレーナーは心身のリラックスを教えて、よくなったと言って本人も納得する、これはまさに日常で足りている声を、少々不調だからトレーナーにバランスを整えてもらい、ややマイナスをゼロにしてOKになった、というだけです。そして、これは今のヴォイトレの現状を示しています。歌い手も同じだということです。このあたりは(No.1~6)をご覧ください。

 

 つまり、世界のレベルをセットすると、私の述べた歌の二極化(このあたりは私の、アナウンサー-キャスター、ナレーター-パーソナリティーなどの対立構図のものを念頭にしてください)についても、その上で合一できるということです。これを具体的に述べていきます。

 

 

 

○目的と基準のおきかた

 

 

 

 それなりに実力のある歌手が、あるレッスンで2曲の歌唱をしました。この人は表現力と基礎力をつけるためにここにいらしています。基礎力は、単純には、私は一声、一フレーズでみますが、そこのトレーニングは基礎を身につけたトレーナーに任せています。(一流のオペラ歌手でなくとも、その基礎条件を持っている声楽家で、一般の人やポップスに理解のある人で指導の経験のある人、つまり私共のトレーナーです)いうなれば、オペラの一フレーズで歌えて、声域、声量、共鳴、発声、呼吸、体と音色、コントロール力を持つことです。Caro mio benやコンコーネの1番ができたら十分です。(音大入試でなく、大学院レベル、わかりやすくいうと劇団四季のオーディションで受かり、その後も、契約更新されるのが確実なレベル)

 

 ここで日本のプロ歌手(と自称する人の半分以上は失格ですが、そのうちのさらに半分、4分の1はこういう必要性もないかもしれません)ただ、研究所にいらっしゃる人には、私は基礎として、日本のミュージカルや合唱、ゴスペルなどでも通じるクリアでシンプルなレベルを最低ラインにします。

 

 ここであげた材料は、レベルはともかく他の人と合わせるための耳の力、発声が最低限の音楽的基礎力を必要とします。

 

 周りと比較しやすいために自分のことが分かるのでヴォイトレにくる人も多いのです。周りと比較するというのは、日本人の場合、周りがけっこう似ているために、どうしてもそれに合わせようとしてしまいがちです。「類は友を呼ぶ」も「朱に交われば赤くなる」もあまりよい意味ではありません。その多くは、日本のミュージカルのように、宝塚のように、なるのです。日本のシャンソンやジャズのように、なるのです。批判しているのではありません。ファンはそういう世界が好きですから、ファンもその色に染まるのです。

 

 その中でも、かつてはその分類にとどまらない、日本中に個としての発色するスターがいました。今はどうでしょう。オペラ、シャンソンカンツォーネ、ラテン、エスニック音楽、日本も、お笑いから踊りまで、世界のものを取り入れた時代があったということです。

 

 この二重構造が、オリジナリティの発掘、創造、評価を難しくしています。反面、どの分野もそうなのですが、どこかの国の大使のようなプロデュース型―あるいは翻訳型のアートが日本では評価されやすく、初めて持ち込んだ(初めに作ったのでなく)のが第一人者になるのです。

 

 

 

○基礎の3レベル

 

 

 

 これは

 

A.歌手レベル

 

B.日本の一流歌手

 

C.世界の一流歌手の条件を持つ

 

とするとわかりやすいでしょう。

 

 ヴォイトレらしく分類すると、1.体呼吸、2.発声、共鳴、3.音色、4.声量、5.声域、6.音感、音程、7.リズム感、8.フレーズ、9.構成、展開、10.オリジナリティ、

 

 オリジナリティも、声そのもの、発声フレーズ、組み合わせ、ということなら、基礎のところでその人の声のタッチやフレーズでのオリジナリティは充分に出ます。むしろ、それに言葉がついたくらいが歌なのです。

 

 声の完成(音楽的な声のフレーズ)に対して、言葉(母音、子音、発音、強弱、イントネーション)があり、それがつくと歌のように思われていますが、スキャットなら、言葉はいりません。(由紀さおりさんの「夜明けのスキャット」の前半部分とか、サラ・ボーンの「枯葉」は、スキャット7分もたせています。つまり、サッチモルイ・アームストロング)のトランペット演奏部分と同じことです。

 

 

 

○役者の声の個性から

 

 

 

 私のところは、役者も来るので、Kコース=(声の基礎+セリフの表現)Yコース(=声の基礎+歌唱の表現)で、大きく2つに分けています。(リズム音感などはW=音楽基礎として、Yにつけています)

 

 声の完成に、発声からフレーズ、そして、音楽的にこなす(メロディ処理)というのは、私のブレスヴォイストレーニングの原型の最終形です。つまり、外国人レベルの表現力を含める可能性のある声をまずつくる。そこに歌をのせる。(歌は後からついたのです)そして、

 

 日本で行うにあたって、私が最初に参考にしたのは、日本の歌手や声楽家でなく役者だったのです。役者の声を持てば、歌が飛躍的に変わるということ。そこにあったのは、声の表現力、個性といったオリジナリティの豊かさです。

 

 これは、日本のミュージカルと黒沢映画を比べるとよいと思います。あるいは日本のミュージカルとブロードウエイ、でも明確な差があります。(私は劇団四季の方が多くいらっしゃる前からマドンナプロデュースの「エビータ」(マドンナ、アントニオ・バンデラス)との徹底比較をさせていました。主役の2人だけでなく、他の歌についてもその差が何なのか、また、ブロードウエイへ行く人を何名か短期でみました。)

 

 すると、声の芯、深さ(胸中共鳴)、そして声量(圧力)やインパクト、エッジ、ハスキー、リズムや切れ込みの鋭さ、加速度、パワーと、日本の歌が失ってしまったものがあります。

 

 日本の歌とひとくくりにするのは乱暴ですが、確かにそこを足らないと気づいた人だけが変えていけばいいのです。このあたりは、私は、

 

 やれている人は何でもやれていることでよしとし、

 

 さらなる高みを目指すなら、+αが必要。

 

 やれない人はやれるための+αが必要。

 

 それがレッスンやトレーニングで得られるものと考えているからです。

 

 

 

 得られないものもあるし、そもそも日本の評価基準が確立していない。メロディとリズムが取れて、そこに歌詞がのっていたらよしというような形で問われている分には、(特にその形が音楽や声なのにルックス重視となれば、)ど真ん中のトレーニングで成り立たないのは当然でしょう。本来、1980年代からの多くの作品は成り立っていなかったとみてよいと思うのです。

 

 

 

○表現の3レベル

 

 

 

 それでは、表現の3つについて述べましょう。これを

 

 C.全体をまとめ、無難にこなす。

 

 B.発声の響きで統一し、丁寧に言葉を処理する。

 

 A.本人の最も武器になるものを中心に表現する。

 

 と3分してみます。

 

 

 

 Bには、やや個性的で歌は上手くない、けれどもパワフル、インパクトのあるプロの歌手もいます。これをB2としましょう。役者型ということです。シャウト系やシンガーソングライター系が含まれます。

 

 B1は、オーケストラや合唱団などと合わせてフィットするような歌い手を考えてもらうとわかりやすいでしょう。私はこの2つのBのパターンを日本の二極とも言ってきたわけです。ミュージカルでもB2は少ないですが、そもそも日本にはB1B2と併せ持つ人がいないのです。

 

 AB1B2Cという感じです。B1B2は含まれてしまって目立ちません。世界の一流のヴォーカリストと呼ばれている人の顔、ステージ、歌声、しゃべり声を思い浮かべてみてください。

 

 表現のACは、本人の事情、目的やレベルもですが、今置かれている立場、活動の現状も踏まえなくてはなりません。それに従い、せっかくAへ歩んでいた人も、B2からB1にそしてCへ戻ってしまうことが多いのです。

 

 

 

○差を知ること

 

 

 

 よく世界に通じるようになりたいという人がいらっしゃいます。海外のトレーナーを高く評価する日本人らしい人もたくさんいますが、(トレーナーにも)日本人に対しては大した覚悟をさせられていません。あまりに実力差が大きいので、もはや親善交流レベルです。

 

 それがなぜかを考えることさえせずに、12割の改善で、すごい一流の指導を学んだという歌手やトレーナーもいます。単にその肩書を履歴につけたいだけにすぎません。少なくとも毎年行っていた郷ひろみさんくらいには継続的な努力をしなくては、その偉いトレーナーも不憫でしょう。

 

 これはスポーツ、フィギュアスケートJリーグ(サッカー)などを比べてみれば一目瞭然です。それでも日本のトップレベルは世界に並びました。(このあたりも再三述べてきたので割合します)

 

 問題は、ステージやレコーディングが迫っている人に、根本的なトレーニングは、表現力を一時落とさずには難しいということです。基礎はやりすぎることはありません。とはいえ、歌から一時遠ざかることもあります。

 

 発声に関するノウハウや新たなメニュを得ることで、歌が楽になったり、表現力を増すことでもよいとは思います。喉が荒れてくる人もいるのですが、ウオーミングアップ、クールダウンして使えばよいです。

 

 

 

 表現はよほどの実力のある人でないと、ど真ん中で声からやっていくと、バランスを崩しかねません。知っておいて欲しいのは、誰でもこれまでに「声は使ってきているし歌は歌ってきている」という当然の事実です。(特にプロは、かなり歌っています)

 

 そこでの日頃の生活から、良いところ(プラス)も悪いところ(マイナス)も積み重なってきていて、今に出ている。あなたがプロなら、すでにもっているものによいこともたくさんある。なかにはそのために犠牲になったり、制限されてきたところも同時にあるということを忘れないようにすることです。総合的にみなくはいけないので、これまで、あまりやっていない人よりは、問題が複雑なのです。

 

 

 

○スタンスの違い

 

 

 

 ステージ前に、歌をみるとしたら、私はCBのスタンスでみます。Cは悪いところを目立たなくする。Bは良いところを目立たせる。共に構成展開から入っていき、かなりの力のある人なら声の置き方や呼吸まで、少し変化させて歌をブラッシュさせます。テンポやキイを今のその人の最大の力が出るように合わせます。

 

 腹から声が出ているような、あるいは喉が鉄でできているような外国人のシンガーが来たら、声の差は明らかです。それを音響、構成、声の統一性などで、なんとか客にはわからないようにするのが、日本のヴォイストレーニングに、最も必要な資質かもしれません。ですから、ほぼこれらの注意も、口内のこと、軟口蓋をあげて、みけんや鼻腔に声を集めて…みたいなことになるわけです。

 

 (この辺りは、前に、森和彦氏の指摘を引用したことがあります。私の著書ではリットーミュージック「ヴォーカルトレーニング」、「ヴォイストレーニング」現在「ヴォイストレーニングの全知識」に詳しい。)

 

 これも今考えると、間違いというよりも、ABCかのスタンスの違いです。ただ日本のオペラが、一流の歌手を出せなくなったのは、こういう指導者が少ないためではないでしょうか。因みに森氏は、私が認める山路一芳氏の師です。イタリアでは一般の人が出せるベルカントを日本の歌手が使えないのは、教養やテクニックばかりの問題ではありません。

 

 表現に対し、自然にありのままに自らの声を鍛えているか、それをなくして発声や音響のテクニックでカバーしようとしているかの違いです。

 

 

 

○再び表現からの基礎

 

 

 

 私は基礎だけのレッスンを日本人が好むのも(ヴォイトレにくる人は)よいとは思っていません。すべては表現のためにあり、基礎がなくては表現できないのではなく、表現のさらなる必然性が、おのずと基礎のレベルを高めてくれるものであるべきだと考えるからです。

 

 つまり、自分があり、自分の世界があり、それが表現に結集していく、最初からそんなことは、よくわからないから、基礎の基礎をやって、テクニックでなく、自然に声が出る、自由に声が出る、おのずと人に働きかけ、表現するのではなく、表現を待つということです。

 

 声もあてるのでなく、あたるのです。でもトレーニングで少々、方向づけ、意識づけをするのはよいことです。

 

 「今できるようにするから問題」なのです。私がみている限りでは、将来大きく確実にできているようにするのに、生徒もトレーナーも急ぎすぎです。その結果同じところをぐるぐる回っている。つまり、一冊の本から学ばず、何十冊も読みっぱなしにしているだけに等しいのです。

 

 同じことのリピートのみが力をつける。そのリピートにメニュや方法で飽きてしまうのは、意識や基礎が厳しくないからです。本来は細部の発声が変わり、気づいていく、同じものが全く違って聞こえたり、発声できてこそ、一歩なのに…、とどうして、こんなに誰もが見えるもの、わかるものしか求められないようになったのかとうことです。

 

 誰でもできていることなら、誰でもできています。あなたが今の力で少し変えてできるくらいなら、もうできています。そうでないと気づいたら日常で埋まるくらいの小さなギャップではないと思ってください。12か月で学んだものは12か月で忘れ去られていきます。体力づくりも大して変わらないでしょう。

 

 

 

○表現

 

 

 

 それでは表現のCについて述べていきます。これは、あなたが全力でやったところで5070パーセントとみて、それをそこから100パーセントに満たそうと思わないことです。そのギャップをそのままずっと抱えていくのです。これをその日に100パーセントに整えるとAに、3か月から1年くらいで100パーセントにするとBになるといったところでしょうか。

 

 ただし、ライブやレコーディングでは、そのように応用してはいけません。50の力で100に見せるのは様々な方法や演出があります。そこは演出家、プロデューサーやSEがプロです。しかし、カラオケの先生やヴォイストレーナーもやっています。私も仕方なしにやらされることもあります。

 

 

 

 多くの人は、カラオケのエコーと同じく、+αされたところも含めて実力と思うので、それ以上に伸びません。トレーナーも自信をつけさせるためにそこで褒めます。

 

 自分で厳しく判断するしかないのです。ただ私は本音で言ってくれというのなら1曲で50でも100でも指摘します。指摘できるのはまだ、表現、音楽など、どれかの土俵にのっているからよいのです。多くはそのレベルにありません。

 

 一遍に言っても分からないので、そこは1年、2年、3年と、タイミングをみてガイドラインをプランニングします。そういう関係が成立すると、厳しい分、実力はつきます。多くは土俵にのっていない、つまり、誰が歌っても歌えるくらいクラスの23番位に人が多いです。これはCBか、大逆転のAを目指すか、考えなくてはなりません。

 

 いわゆる、ビジュアル、ルックス、パフォーマンスが売り物のプロです。比較的、研究所には、少ないタイプですが、年に何人か(何組か)来ます。プロダクションからは、このタイプが多いです、これは昔なら23歳(遅くても27歳)今は30代くらいで転機が来ます。

 

 基礎と表現を模倣しますが、元々与えられたものを表現とパフォーマンスだけで見せてきた人が多い。それでやれてきたゆえに、そこから本当に表現に入るには、ゼロからやるくらいの時間と努力を要します。(モデル出身の歌手はこの代表的存在です)

 

 早々に限界が見えるときはさらに、問題は複雑です。喉の限界は、音響もあるので丁寧に教えればカバーできますが、ファンたちが声や歌での表現力を、大して求めていないとき、これは私の方がゼロから考えなくてはなりません。プロデューサーにも相談します。

 

 こんなに話が本質からそれるのは、どこでも本質をそれたレッスンやトレーニングが中心で行われているからです。でもそれも間違いではないのです。そういう要求に対応するために、レッスンもトレーナーもそうなるのです。それが良心的なレッスンというものでしょう。カラオケの先生のところで文句を言う人はいません。カラオケが上手くなるためのレッスンなのです。

 

 

 

 私がこれを述べているのは、トレーナーにも生徒さんに気づいて欲しいからです。

 

 表現のCのレッスンは、一言でいうと声よりも呼吸です。大きな動きを第一優先します。一曲を早めで構わないので4回くらいのブレス(息つぎ)で歌いきるようにします。つまり翻訳家、作曲家になって自分の実感で作り上げていくプロセスを踏むのです。

 

 鼻歌(ハミング)→コーラス→歌唱のような感じですね。なかなか1コーラス(一番)が一本にならないはずです。これを4つくらいで、しかも構成を入れ、展開していきます。起承転結でも、Aメロ、Bメロ、サビでも構いません。ここで本当は型(パターン)としてのフレーズで、その変化、伏線やニュアンスなどで、表現に結びつくものが自然に出てくるとよいのです。

 

 難しいときは、フレーズ毎に作ってみましょう。1フレーズ(48小節)で1つ、それを組み合わせて4フレーズで4つ。そこで4つが同じようにならないように変化をつけます。(展開)シンクロ+αで相似形、リピート(型)とチャレンジ(型破り)、安定させて変化、インパクト(迫力、パワー)と丁寧さなど、二律背反する言葉で表わされるものを入れていくのです。

 

 

 

○声から歌へ

 

 

 

1、 声から(歌)→音楽へのアプローチ

 

2、 音楽から(歌)→声へのアプローチ

 

両方を試してみましょう。できている5070パーセントの残り5030パーセントを補うためには基礎の基礎力をつけることが必要です。これこそがまさにヴォイトレです。

 

 

 

1、 体→呼吸→発声(結びつき)

 

2、 発声→共鳴(声域)

 

3、 共鳴で言葉の処理(声量)

 

 

 

 ここに声域、声区、声質(地声、裏声、ファルセットと、その切り返し)なども入っています。

 

 どうしても歌では高音域、頭声中心になりがちですが、低音域、胸声が基本の基本です。強化には量や強さ、大きさ、太さが必要ですが、急ぎすぎたり、無理をすると声にはよくありません。調整では質を丁寧に、弱く、小さく、細くやるのも、強化が無理をしていないかのチェックするのはいいことです。

 

 

 

Fly Me to the Moon」をトニー・ベネットで聞いてみて、コピー→自分のオリジナリナルにする、のプロセスを踏んでみてください。外国人のと、日本人のプロ2曲くらいを比べるとよいでしょう。

 

 音色には注目してみてください。ついでにFillで始まる2番は、もっと大変です。In other words ~の2回の繰り返しを2コーラス、うまく表現し切った上で、収めらますか。

 

 日本人のは、ボサノバ調などにして、しかも、喉でまとめているのが多いでしょう。歌いこなして、うまく処理しているようでも、そこに本人しかできない声での音楽、表現の成り立ち、創造の力は、弱くはありませんか。曲のメロディの良さだけが引き立つとしたら、BGMと同じです。そういう歌を日本人が好むもの確かなのですが、ヴォイトレからみるともったいないことです。

 

 

 

○本当の基礎 

 

 

 

 一般の人でも、プロでも基礎を学びたいといらっしゃいます。その中の多くの人は、本当は基礎でなく、せりふや歌を、プロのようにうまくなりたいのです。できたら、ストレートにセリフや歌を直したいと思っているでしょう。ですから、レッスンも、せりふや歌を取り入れています。

 

 基礎は最初の5分だけというのもあります。これは、どれが良いか悪いかでなく、目的と手段、プロセスへのスタンスの問題かだけです。

 

 何もやっていない人は何をやっても伸びます。気をつけることは、1つのレッスンから全く学べない人も、1学べる人も、100学べる人も、いるということです。時間をかければ、というのは量でなく、質的変化を問うということです。

 

 レッスンへのスタンスについて、私は、レッスン前にレクチャーとして12時間、述べているのですが、なかなか分かってもらえない。つまりは私の力不足で、こうして文章でフォローすることになるのです。

 

 

 

○本当ではない基礎

 

 

 

 前にもあげた歌唱に入る発声でスケール、母音の統一の練習を行っているのは、基礎というよりは、調子のチェックとウオーミングアップなのです。最後にそれを繰り返すトレーナーもいますが、それはクールダウンになっていることが少なくありません。ウオーミングアップと比べて、レッスン後の声の状態をチェックすることが目的のこともあります。

 

 ここで、よりよい発声になっていると、レッスンの成果が上がったように誰もが思いますが、実のところ、状態が整ってきたのに過ぎないのです。また、同じレッスンでも対応できなかったり、合わなかったりすると、状態が悪くなることもあります。すると、ショックを受けたり、レッスンがよくないのではと思う人もいます。しかし、その感じだけを知っておいて、次のレッスンに臨めばよいという程度、大騒ぎすることではありません。

 

 トレーナーが、あなたの要求に対応しなくてはと思い、方法を変えたり、途中で中断したりすることもあります。これも一長一短で、良し悪しをその一回のレッスンだけで判断することは、あまりよくありません。

 

 現場では、そこですぐ判断してメニュを変えて調整するトレーナーの方が優れているように見えるだけに厄介です。つまり、わかりやすく、トレーナーもそういう形にレッスンをしがちです(このあたりは前に固定メニュのレッスンをするトレーナーのと、相手に応じてメニュを変えるトレーナーの違い、それくらいメリット、デメリットがあることを述べました。)

 

 

 

○教える―教わるの関係をはずす

 

 

 

 ともかく、せりふや歌なら、表現としての成立やオリジナリティことです。セリフや歌がいえるというはるか上の判断をもって、レッスンを行うことです。基礎なら、今回このあと述べること、「体や感覚そのものを将来に大きく変えていくこと」を行うべきです。トレーナーは、はるかに「先での判断をもって今のレッスンを行う」、というのが私の持論です。

 

 リズムや音程も、複雑なものを、その音にあてることで、「正確にとれたから、オーケー」などというのは、あまり感心できないことです。今の状況や状態での慣れに含まれるわけです。その人にとっては大きな進歩かもしれませんが、それをやらなくても、日常のレベルでできる人がいる、(それは日本で日本人で、ということであれば)そのくらいのことなら、本当の意味での実力にならないのです。

 

 役者や歌手は、そんなことで音程やリズムを得てきたわけではないからです。発声のレッスンでは多くは譜読のトレーニングで終わります。それも基礎だと言われたらそうですが、トレーナーは人に教えるためにそういうことを重視しがちです。

 

 トレーナーに学び、人もトレーナーにつくからその傾向が助長されます。器用なトレーナーほど、そういう影響力が強く、生徒は、そこで目的の設定をしてしまいます。

 

 本当の基礎は、リズムや音程でも、そんな表面的なことではないのです。その上でのアプローチというのなら、よい場合もあります。ただ、音程、リズムは、これだけでは、発声の悪さや声域の問題から、うまくいかないことが多いのです。これは、トレーナーも本人もうまくいっていたと思っているのにうまくいっていないからややこしいのです。

 

 正誤でいうなら、その音にあたれば正しいです。当たらないことを間違いとするからです。しかしヴォイトレというなら、あててはならないのです。

 

あたっていなくてはいけない、というレベルになっていなくてはいけません。多くのケースでは、無理に意識的に行っているうち、脳や発声器官が覚えて、自然と無意識にあたってくる、と思われています。これは無理のない発声域においてのことです。

 

 スケールや母音での声域、共鳴の獲得や、コールユーブンゲンでの音感、音程(発声、リズム、譜読、レガート、スタッカートなども含む)と、目的に応じていろんなメニュをセットした方がよいということです。あなたの使いやすい音高、母音、長さ、強さ、音色、響きと、全て他の人と違うからです。

 

 また「使いやすい=将来のベストではない」ということも再三注意しています。

 

 

 

○メニュはシンプルに

 

 

 

 私は、音程、リズム、スケールは基礎の基礎として全パターンのトレーニング音源をつくりました。これはコールユーブンゲンでも、本当に使おうと思ったら、難易度が高いからです。それより、ずっとやさしいメニュでさえ、ほとんどの人は音を取るだけ、とても自然に理想的な発声ではできないことを知るために、シンプルにしたのです。いわば、発声を耳から直していく、正すために、思いきり高度なものを入れていく。これが表現から学ぶことであって、その高度なことに耐えうるために基礎を行うのですから、シンプルにします。表現と基礎応用も基本は表裏一体なのです。

 

 少しややこしくなりましたが、一言でいうと日常レベルで優れた人が何のトレーニングもせず、できてしまうものは、基礎や表現で考えない方がよいし、そういう基礎や表現の前提や必要条件になるとも思わない方がいいということです。

 

 絶対にトレーニングをやっていない人ができないこと、5年トレーニングをやった人と同じことをしようとすると、大体5年かかるというくらいのレベルに目的を設定した方がよいのです。その代り、その分、年月は掛かります。だからこそ一日ですぐによくなるレッスンは相いれないのです。

 

 このあたりは私の、これまでにいろいろ述べてきたことを思い出していただくと、どれにも一致しているはずです。

 

 レッスンは、そのチェック、判断、基準と、それを満たす(補う)材料の提供だと思っています。それでは具体的にどのようにするかについて述べていきます。

 

 

 

○器と耐久力

 

 

 

 「器を大きくする」という表現を、私はよく使っています。これは応用力をつけること、仕事ではいろんな要求に応えられるようにすることでもありますが、本当は自分の最もオリジナルなところでの表現(これは、それゆえ、しばしば世の中に認められない、嫌われる)を通じさせる力としてあるべきです。

 

 日本のように声に関しては、前任者の誰かのようにという、輸入のため、外国人のようにとか、昔の一流、師匠とか先生のように、他人の作った基準でみてしまうというのは、三流国です。先の徹をダブルスタンダードとして認めて、両立させる努力も強いられます。ただ多くの場合、日本では、器用に先人の真似のできる人が重宝されるので、そういう人ばかりプロになり、またトレーナーになり、ずっとこの現状が続いています。トレーナーと実力派アーティストとの関係がいまだ、ほとんど築かれていない(歌のレッスンや心身の管理に終わっている)のは、当のプロ歌手も、この冒頭で述べたように基礎と言いつつ基礎など身につけようとしていない、せいぜい喉にかからない共鳴で正確に歌いこなせたら…というのが実状です。自分のオリジナリティの確立に至らず、そのため一流、のアーティストや役者に、対応しているトレーナーはとても少ないのです。アイドルやモデルなどにアドバイスできて、よしとするくらい、スタッフトレーナーとも、まだまだ未熟な世界、いや、どんどん弱体化しているからこそ、スターも出なくなったのです…。

 

 

 

 器の要素をみてみます。

 

 喉 声 呼吸 体

 

 声の高さ、共鳴、長さ、大きさ(強さ)、母音、音色、子音

 

 長時間、タフに

 

 

 

 現在、多くのレッスンは目に見えやすい、わかりやすいもので、素人にも判断できる高い声(音域)、発音(言葉)音程、リズムが中心になりがちです。歌はバランスでみるのですが、仕方ありません。

 これが役者でもあるはずの歌い手から、声そのものの表現力や個性を奪ってしまった要因でもあります。一方で、役者は声量をせりふ(表情、しぐさ)、何よりものどの強さ、タフさが絶対条件でした(昔の歌手もそうでした)しかし、これもまた残念なことに。声の基本がなくなり、総じてタレント化しています。ここで一度、本質、本物に立ち戻らなくては、ヴォイトレも先がないのではないかと思ってしまいます。