「お山の大将」の脱し方 NO.271

○トレーナーの採用

 

 年に何回かトレーナーになりたい人から連絡があります。これまで外部採用をしてきた経験から、トレーナーの採用とその周辺の事情について述べます。

 ここで述べるヴォイストレーナーとは「声を育てるトレーニングをする」トレーナーです。

 いくつかのスクールの立ち上げやそういうところへのトレーナーの紹介をしてきたことは、私にはとてもプラスになりました。さらに、その後にそこからの経験や結果、人が育ったか声が変わったかということもフィードバックされましたから、研究所外のこととしては多くの学びがありました。

 短期のレッスンやワークショップ、体験レッスンなども、随分と行ってきました。

 このようにして私は元より、私のところのトレーナーは、改めて区分けする必要もなく、いろんな材料を持っています。DVDCDなどの教材も集めてきました。それらは、現実のレッスンとは切り離されたものですが、いろんな示唆が得られるものです。

 

○声を観る

 

 トレーナーをみるときには、言うまでもありませんが、私は2つのことをみます。一つは声で、もう一つはその自分をどのくらい客観視できているかということです。

 日本の場合、経験の略歴や肩書というのもほとんど当てにならないのです。ときに、出身の大学(音大)などや、学んだトレーナーなどで、実際のレッスンで問題が生じたときに参考になることもあります。しかし、それらは先入観にもなるし、同じ出身であっても声に関しての考えや扱いは一様でないので、結果として、その日にその人の体、感覚上に現出している声とそのコメントをみます。そこは生徒さんをみるのとほとんど同じです。

 教えてきた経験の有無やキャリアについては気にしません。経験のある人は、どこかでレッスンを受けてくる生徒と同じく、ブレが大きく、よい方にも悪い方にも大きく出るので、むしろ気をつけてみなくてはいけません。

 声などは曖昧なものですから、何か人に教えるものがあって教えてきたという経験、つまり教える技術だけでもレッスンくらいできるのです。呼吸や身体、話し方などの一つに詳しい人で何かを教えたことがある人なら、ヴォイストレーナーと名のればそれでOKでしょう。そもそも資格そのものがない上に、何をどう教えてどうなるのかさえ、何ら、決まったものではないのです。ですから、教える技術、つまり人に対することへのスキルを持っている人ほど、本人も気をつけなくてはなりません。

 「喉や声をよくしてあげる」と言って、信用してもらえたら、カウンセラーでも、フィジカルパーソナルトレーナーでも、務まってしまうものだからです。レッスンを受ける人にそういうトレーナーに気をつけろと言っているのではありません、そういうことが得意なトレーナーは自ら気をつけることです。自分の得意におぼれてはよくないと。特に研究所は、結果として私が最初にトレーナーの信用を与えたようになるので、その後にレッスンが成り立つところまでしっかりとみる必要がありました。しかし、そこからまたお互い多くを学べるというものです。

 

○アカペラの声

 

 私は声をアカペラ(この場合はマイクなどの音響技術を使わないということで、本来意味が違うのですが、生声というのも私の伝えたいニュアンスが違うので、慣習的にそうしました)でみることにしています。つまり、歌唱やせりふ、ナレーションなどにもいろんなテクニックがあるなかで、声そのもののトレーニングに焦点を当てるために、マイクを使わない声としてみています。(ヴォイトレにはこれと異なる見解があってもよいし、マイクテクニックやマイクと合わせた声を考えることを否定するわけではありません。ここにも一部、マイクを取り入れるレッスンもあるからです)

 これがなぜ大切かというと、声を、ただ音のソースとして音響で加工することを前提にすると、トレーニングの結果、つまり、その前後で何が変わったのかが曖昧になるからです。

 マイクの使い方がうまくなって作品がよくなるのは、マイクテクニック、同じように発音がよくなって作品がよくなるのは、発音トレーニングです。もちろんそのベースにヴォイトレの効果もあるので、どこで区分けするのかは曖昧です。

 実際、究極のところ、声に基準をつけるとしたら、こうしたボトムアップでなく、一流のレベルで声を使う人を想定してのトップダウンでしかないと言っているのはそのためです。

 

○声の力

 

 私は声において、その基礎を習得するのに1万時間以上はかかりました。3~5万時間のトレーニングで安定してきた自覚があります。とはいえ、声は楽器と違い、練習時間だけで判断できないものです。そもそも練習時間を正しく算出できません。人前で弁論し続けてきたとか、役者を何十年も続けたことで、同等レベル以上の声を持つ人はいくらでもいます。(この比較の基準こそ、問題にすべきことなのですが)

 同じような育ちで同じ年齢、性別で同じ体をしていても、一方は立派な声、他方は貧弱な声というケースもあります。声には、素質論、環境論(教育論)いろいろ未確定要素に加え、突っ込みどころ満載です。

 研究所のトレーナーとして採用した人の共通点としては、23時間の舞台で声を出しても、その後に支障がないこと、しかも全力での声で、です。私自身の経験では連日8時間、大声で話しても異常をきたさないというレベルです。野球でいうと力投した上で完投できるということでしょう。でも小学生でもそういうピッチャーはいるのですから、大学かプロの二軍リーグくらいの感覚を、体のレベルで求めているといえばよいでしょうか。その上は、歌唱や演技の技術になり、ヴォイトレからは応用のことになるのです。

 

○強さを条件とする

 

 強い声、強い喉は、今や、歌手や役者の必要条件ではなくなりつつあります。ましてそれがあればよいといった充分条件にはならなくなりました。それは今の私の立場での見解です。

 ただし、自らのトレーナーとしてのありようとは全く別です。組織の要として、一緒に教える人である、トレーナーの条件ということでは、これは必要なことです。

 ヴォイトレは発声―呼吸―体を変えるのですが、そこで共鳴の専門家である声楽家は、この支えが必要条件になっており、1万時間かどうかはわかりませんが、5年から10年のキャリアで基礎ができてきたねくらいにしかならないくらいの研鑽を積み重ねているからです。邦楽も同じです。

 つまり、ここのトレーナーは一声で差を示せる感覚、体をもっていて、それを伝えることができる。その一声に、他の一般の人は、これはトレーニングしていないと出せないなど納得させるものがあるということです。

 これについては異論、異なる見解はおおいにあるでしょう。私もわかります。しかし、声ゆえ、聞いてわかるというシンプルなものでなければおかしいでしょう。経歴や肩書をみなくては判断つかないというのなら、その方がおかしいのです。

 

○声量が基本

 

 いつも述べているように、トレーナーが立派な声でなくともトレーナーとしてすぐれていればよいと思っています。ですから、そうでないトレーナーを否定しているわけではありません。トレーナーによっても大きな差はありますし、それぞれに強味も違って当然です。

 オペラ歌手ならオペラの歌唱がよければよいし、トレーナーなら教えた人の声がよくなればよいのです。トレーナーの声そのものに、いつもこだわっているつもりはありません。

 ただ、共鳴―声量というのは、アカペラの世界において第一の条件なのです。発音や音感、リズム感がいくらよくても、音として伝わらなくてはそこに乗っているものは伝わりようもありません。

 私がビジネスマンの声の研修で、「声の要素のうち、もっとも大切なのは何でしょうか」と聞くと、説得力、高さ、入れのよさ、元気、心、優しい感じ、魅力とか、いろんな答えが返ってきます。しかし、正答は声量です。どれもまず、相手に聞こえなくては始まらないということでは、声量です。声の大きさは、大きければよいのではないですが、適度に通る声、不自由なく伝わる大きさの声が必要です。この基本が、特にマイクが必然となった歌唱のヴォイトレからは失われています。それゆえ、ヴォーカルのためのヴォイトレがもっとも混乱しているのです。

 

○オープンにする

 

 自信をつけさせるのに合っている人をつけるのですが、ときに、逆のタイプをあてるのもトレーナーを育てるには効果的です。

 これらを組織的に行うと、こちらが意図しなくとも、生徒さん自身が自分が合っていると思うトレーナーを選ぶことが起こります。これは当然のことです。そして、特定のトレーナーとの結びつきが強くなります。

 私が強いて2人以上のトレーナーをつけ、他のトレーナーたちをも関わらせようとするのは、その結びつきをクローズなものでなく、オープンなものにして、自分の力を客観視できるようにするためです。それはトレーナーにもよい学びになります。

 ここで育てるのと、そうでないことと大きな違いが出ます。

 心地よくする、長く続けてもらうなら、それで今でいうと大手の英会話教室のように、徹底して顧客サービスをするのがよいのです。褒めて、励まし、認めて、満足させて、長く続く中で自然と身につけていく、これは語学だけでなく、あらゆることにおいて理想的なことです。

 しかし、ハイレベルで学んだことを人前で使いたいとか、誰よりもすぐれたい、より高くとか、より早くという欲があるのならば、不自然にも予習復習をし、人の何倍も努力しなくてはなりません。トレーナーはシビアな状況でも切る抜けられる疑似環境をつくり、一流レベルに近い要求をもって厳しく接することになるでしょう。それがよいと言っているのではありません。そこは生徒さんの目的や要望によるということです。ストレス解消、趣味でという人と、それで食べていこうという人では違います。それをはっきりと本人もトレーナーも区別しておくことです。

 

○開けていく

 

 昔ならば、心構えや考え方もできていないのに芸は教えませんでした。それで「プロになりたい」と学びに来た人を、プロのトレーナーなら引き受けなかったでしょう。しかし、今やプロたるトレーナーは少なくなりました。大半は先輩トレーナーです。理想やビジョンよりも自らが食べるために誰をも愛想よく受け入れるようになりました。

 これは、批判すべきこともありません。需要があれば供給もあります。「絶対プロになれます」とうたって生徒を大募集している大手よりよいかもしれません。

 私が思うに、人は自分の器に合わせて人生を選ぶのです。そしてトレーナーを選ばれるのです。小さければ小さいなりに、そして、そこで大きくなったら大きい相手に巡り合えるように人生はできています。

 私もその人の声を聞くよりもその人の処し方、ここやトレーナーとの関わり方などをみると、その人の人生がこういう分野に開けていくかどうかはよくわかります。トレーナーをみていてもわかります。

 わずか35年くらいで人は大きくも小さくも変わります。最初は問題児だった、ゆえに、大変身した人もいれば、そのまま続かなかった人もいます。ここはやめたあとも会報などを続けて学んでいく人も多くいます。外に出てからの活動もよくわかってありがたいものです。

 

○諌める

 

 私共のところのトレーナーは、声楽家がメインで自らのステージが、日々の目的ですから担当している生徒の人数を競うようなことはありません。むしろ、抑えがちです。トレーナーの仕事の過酷さを第一線で知っているからです。

 とはいえ、生徒が、学ぶものがないと思うトレーナーにはつきません。そういうトレーナーはここには残れませんし、もともと私が採用しません。

 世間にありがちのヴォイストレーナーの「お山の大将」、「裸の王様」といった状態に、ここのトレーナーも自分を気に入る生徒だけに囲まれて感謝のレポートばかり読んでいるとなりかねないのです。他のトレーナーと比べて選ばれたり、他のトレーナーのレッスンより効果があると絶賛されると、そうならない方がおかしいでしょう。

 しかし、別のトレーナーにも同じことは起こっているのです。ときに私は、元のトレーナーを外してあなたの方に来たように、あなたを選ばずに他のトレーナーにも行っている生徒はいるということを伝えて諌めるのです。トレーナーとしてのうぬぼれは、生徒とレッスン場の心中をしかねないからです。

 

○レッスンの判断

 

 トレーナーとのレッスンの内容の判断は、そう簡単にはできません。私は生徒の評価が高いことよりも現実に結果が出ていることを優先します。しかも「すぐに少しよくなる」(これで満足する人には、それでよいのですが)よりも「時間がかかっても、その人の最高のレベルにいく」ことを重視しています。

 それは、多くのトレーナーが毎回何らかを、結果として、満足させ評価してあげなくては次回に生徒が来てくれないという、顧客サービスビジネスとして厳しい状況におかれているなかで、ここだけが許された存在意義だと思っているからです。そうでなければ、この研究所はいらないし、私はともかく、他のトレーナーも別のところで教えたらよいと思うからです。

 

○トレーナーの比較

 

 私はこの分野で最も多くの執筆をしてきたので、他のトレーナーやスクールからきている生徒もずいぶんみてきました。そして自らも23年目あたりからで大所帯になったときに、先人のやり方を否定するような本を上梓しました。一時はすごく人数が多く、グループレッスンだったので他に行った人もいますし、兼ねていた人もたくさんいました。ともかくも長くたくさんの人と接してきたため、どこよりも情報があります。

 なかには、ここのやり方というより、私の論やメニュを全否定するような人もいました。それに対して、私はこうして書き続けているのではありません。

 むしろ、そういう人たちにではなく、ここで関わった多くの人のフォローとして、今も毎月、会報を20年以上出し、こうして説明や現状を伝え続けています。自分の不明や不足を年々、知るようになってフォローしているのです。

 そのおかげか、ここでの方法など否定したようなトレーナーの元をやめてここにくる人も最近は増えています。

 先に述べたトレーナーは「お山の大将である」ことを自覚してはいかがでしょうとも思うのです。たとえば、日本でTVに出たり本を出したトレーナーたちの元より、ここには、一人どころか複数名、あるところからは10名以上いらしています。

 だからといって、そのトレーナーやそのやり方を私が否定しているわけではありません。ここに来ても、やはり1年もたたずやめる人もいます。すべてトレーナーの問題といえないのです。

 オペラなども、舞台に出た他のトレーナーよりも活躍していると、おのずと自分の教え方が誰よりもすぐれていると確信するようになります。しかし、実のところ、その教え方が他のトレーナーよりも通じない相手もいるのです。またオペラに出ていない分、しっかり指導して、その人よりも力をつけているトレーナーもいるのです。

 

○育てる

 

 私が私一生徒でなく、研究所(私―トレーナー)―生徒、もしくは研究所、私―(トレーナー―生徒)というような2重構造を取っている意味を理解していただけるとよいのですが。もう一つ、カリスマトレーナーがいても、その一代で終わってしまうということも、これからの日本を考えると頭を離れない問題です。

 私も私にしかできないこと、トレーナーでもできること、トレーナーの方ができることと分けて、絞ってきました。

 また、分野を超えて、声というのは全ての基礎ですから、いろんなところと関わってきました。

 私が頼まれたこともできるだけ、次の世代のトレーナーへ移すようにしてきました。早く後進に経験を積ませなくてはなりません。今の日本は上の世代の方がいつまでも力を持っています。特に団塊の世代のリーダーシップ力が強いほどに、長く続けるほどに、次の世代は、やがてとんでもない苦難に直面します。4年生が卒業しないでずっと試合に出ているようなのは、後進のためによくありません。

 

○試練(田中将大さん)

 

 (田中)マーくんの活躍は、コーチのフォーム改良のおかげだそうです。私はTVの解説通りに述べるしかありませんが、結果として、背番号が半分かくれるような大きなフォーム改良をしたのです。しなければ、肩を壊していたらしいです。

 怪我をしないことと、最良最高のありようにその人をもっていく、これが見事に一致するのが、スポーツのよさです。(もちろんヴォイトレにも通じますね)

 もしかして1球だけの速さを、あるいは、遠投を競うのではこうはならないのかもしれません。どんな競技も、最初の優勝者は力づくで勝ちとる力自慢でしょう。しかし、そのレベルが上がると、誰もが力は持っているので、そこからフォームが勝負の決め手となってくる。

 忘れてはならないのは、そのために彼は投げ方を変えただけでなく、徹底した下半身の強化をしたということです。

 

●以下、参考までに引用します。(再録したもの)

○筋トレ必要

 僕の持論は、「野球の技術は練習で鍛えられる左右の筋力の微妙なバランスの上に立っている」というものでした。(中略)

 筋トレは否定するというより、やるのが怖かったという方が正しいかもしれませんね。(中略)

篠原和典さん [週刊ポスト]

 

○筋トレ不要

 その「恐怖心」からトレーニングを続けていきました。(中略)

 野球の筋肉はグラウンドで、という考えも間違いではないと思います。もちろんダッシュやランニングもやりました。それでつく速度や遅筋をバランスよく、野球で使える筋肉にするために筋トレする。これによって選手生命も延びたと確信しています。

 僕は明かに筋力不足だったので筋トレを始めましたが、筋力を鍛えて硬くなるということはないし、全身を使う野球に不要な筋肉はないと思っています。(中略)

 シーズン中にも筋トレを続けていたのは、筋肉だけで太っていたので、体重を落としたくない目的で筋力を鍛えていくしかなかった。

金本知憲さん [週刊ポスト]

 

○体づくりとフォーム☆☆

 「バカ者、ワシがどれだけ投げたと思っている(55262投球回数は日本記録)。人間の体は、そう簡単に壊れやせんわい」(金田)

(中略)

 「僕は、体が出来上がるまでの成長期には沢山投げてはいけないと思っています。ですが20歳以上や、プロになるなど、体ができてからはある程度投げないとダメだと思っているんです。理由は早い時期に合理的で効果的なフォームを身につけるため、それを固めれば、ケガしにくくなるんですよね」(桑田)

(中略)

 「すると、いいピッチャーには絶対の共通点が一つ見つかったんです。どの名選手も、頭を残して先に下半身が前に行く『ステイ・バック』ができているんです。こうすると、上半身に負担がかかりにくいから、どれだけ投げても故障しづらいんです。

 でもこれは、足腰が強くないとできない。だから金田さんの「走れ走れ」というのは、実に理にかなっていると思うんです」(桑田)

(中略)

 「獣がケンカする時には、沈む態勢をとって構えるだろう。あれと同じだ」(金田)

 「金田さんのいう「沈む」というのを、最近の選手は勘違いして、軸足一本で立つ時にヒザが折れてしまう。これだと下半身だけでなく、上半身も一緒に前に出る。だから負担がかかってケガをする。大事なのは頭を残して腰が前に行きながら沈むことです」(桑田)

 「ワシが現役の頃は、マウンドもすぐに土が惚れて足首まで埋まってしまう最悪な状態だったからケガしないため柔軟な体を作る必要があった。環境の悪さが関節を柔らかく保つ重要性を教えてくれたようなもんだ。股関節の硬いヤツはみんな消えていった」(金田)

(中略)

 「ロッテの監督時代、1人の故障者も出さなかったのは、下半身強化の練習をやらせたから。だが、今の選手にあの練習をやらせると、すぐにぶっ壊れてしまうだろうな」(金田)

(中略)

 「経験者でないと分からないだろうが、疲れ切ると球がピューッと行くことがあるのよ。ところが翌日は、どれだけ投げてもその感覚にならない。そしてある日また、その感覚が戻ってくる。これの繰り返しだ」(金田)

 「だからといって、量を投げればいいというものではないんですよね。特に変なフォームで投げていると、余計に下手になるだけだから、アマチュアは量だけを求める練習はやめた方がいい」(桑田)

 「投げ込みで大事なのは内容だ。ノルマを課すことに意味はない。今はこれがわからんコーチが多い」(金田)

(中略)

 「今は中6日が普通。5日、6日もあくと、精神的にもたつくんだ。勝利への執念が薄れ、体に対する別の緊張感が出てしまう」(金田)

(中略)

 「その球数制限についても一言。日本ではメジャーの「100球制限」が誤解されているんです。あれはメジャーが中4日だから球数を限っているのであって、日本のように中6日では意味が違う」(桑田)

(中略)

 「肩を使うから故障するのでなく、無理をするから壊れる」(金田)

金田正一さん 桑田真澄さん [週刊ポスト]

 

ヴォイトレにおいても、下半身の強化や柔軟は、初心者レベルと一流レベルにおいては、特に効くと思います。私の考える基礎とはそういうことです。(Ei