「レッスンからトレーニングへ」 NO.273

○レッスン状況論

 ときおり、現場のトレーナーから理想と現実についての話をいただくことがあります。私もこのことにずっと触れてきましたが、少なくとも論として述べるのでしたら、「理想を中心に」、あえて「理想を取り上げよう」としています。
 長期的な視野に立ってこそ、トレーニングの意味があるからです。そして、それを伝えるのがレッスンなのです。
 しかし、ここでも両極のケースを扱わざるをえなくなります。そこに一つの偽善のあることを論じてみたいと思います。
 まず、フィジカルトレーナーでたとえると、わかりやすいので、そこから話に入ります。優秀なトレーナーと思われている人は次のようなプロセスを経ていることが多いように思います。
1、 本人は、日本では一流に近いレベルの選手であった。
2、 ケガやその他の原因で若くして引退した。
3、 そこから独学、もしくは海外の新しい体系を学び、修業の末、独立開業した。
4、 対象は一転して、一般、初心者(まれに一流の選手を扱うこともあり)
そして、日本のこの分野の未熟なことをやり玉に挙げて、その批判に応える形で持論や自分のトレーニング法を勧めます。
 初心者や、一般の人ですから、その方法は、自ずと次のようになります。
1、誰でもできるチェック(ゆがみ、偏り)
2、それを直す方法、体操や運動(1日5分ほどで3~5回くらいととてもゆるやか)
3、その効果の実例の提示

○すぐ出る効果

 驚くべきは、そこで謳われる効果です。1回の指導でほぼ正常になります。ときに、1週間、長くてせいぜい3週間で改善されるというのが、こういうフィジカルトレーニングの特徴です。これには、肩こりや腰痛の軽減のような類も入ります。
 そういうトレーナーが一流に近い選手であっても、一流になれなかったのは、ケガや体の不調のせいです。(とはいえ、必ずしもそんな簡単な理由だけではないとも思いますが)
 体の管理は、基本中の基本ですが、それでもハードなスポーツではアクシデントは避けられないので、そういうことのせいにします。それとて、そこまで一流レベルに体をつくろうとしてきた経験のない受講者には、想像できないことです。そこで得た一流レベルのわずかな調整能力は、一般の人に対しては窺いしれないほどの深い感覚レベルでもあるわけです。
 
○フィードバック感覚の差

 いつもバッティングの例で恐縮ですが、私たち一般人が、ストライクのボールにあたったというレベルで喜ぶのに対して、プロはボールのどこに当たったかまでを正確に捉えられる体感力があるのです。ボールの10センチくらい上を空振りして「惜しい」と、私が思うのに対して、1,5センチくらいの差で大空振りと感じているというのくらいの大差があるのではないでしょうか。(私の想像です)
 つまり、素人は10回スイングして、毎回2㎝以上違うし、そういうことも把握できていないのに対し、プロは全く同じ、何ミリにしかずれないスイングをしているのです。

○調整だけになった

 自らの体験してきた厳しい調整能力を持って、素人の体をみるのですから、本当は大して勉強しなくとも簡単に調整できるほどなのです。第一に、「正常な姿勢や正常な使い方の人はどこにもいない」といえるのですから。(それは、私たちヴォイストレーナーも同じです。声に関しては通じていて、そのようなことを言えるのでよくわかります)そして、それを微調整して今のベターに持って行くのです。すると、体の状態はよくなります。
 一流のプロ選手を相手に一流のコーチが微調整して、本人の解決していなかったズレを戻せるのですから、コーチは必要なわけです。ここで私がコーチと使ったのは、そこは調整方向の指導であって、トレーニングでの改善でないからです。
 全くの素人とプロと同じように挙げたので、これでトレーナーの役割は全て終わったように思った人もいるでしょう。その誤解、論理の飛躍が今、レッスンで大きくなっている問題なのです。そのことを私はずっと述べてきたのです。この2つのケースがもっとも大きな需要となったので、本来のトレーニングが、あたかも存在しないようになったのです。
 この2つとは、一流のプロのベターへの調整と、素人(一般人、初心者)のベターな体調への調整のことです。(心身両方において)

○レッスンの曖昧さ

 「レッスンはチェックである」と述べてきました。そうすると、
それは今の状況、状態を把握して、そのズレを修正する(プロの調整も素人への調整も同じ)ことです。しかし、本来はそのこととともに、その上で将来のベストの条件づくりをトレーニングとして課します。そして、それをほぼ毎日実行することによって、外からよりも、内より変化させていかなくてはならないということになります。(一般の人がプロになるための条件)
 外国語学習なら、レッスンで発音を直され、不足している単語、イディオムや文法、構文を教えてもらうとともに、それを毎日復習します。無意識に口に出て使えるところまで慣れなくては、本当に使える実力とはなりません。
 しかし、困ったことなのか、ありがたいことなのかわかりませんが、復習しなくてもレッスンだけで覚えられる人もいます。効率さえ無視してよければ、毎週1回のレッスンだとしても10年経てば、それなりに大したものになります。
 言葉も声も歌も、特別に日常と切り離されていないものだからです。それだけに、レッスンがなくても日常でその要素がたくさんあれば、あるいは、それを取り込むことに、その人がすぐれていたら、力がつくこともあるのです。それゆえ、声や歌はレッスンとトレーニングの位置づけが、とても曖昧であるといえます。
 また、ヴォーカルのヴォイストレーニングと、素人向けの調整トレーニングが、一流のプロ(特に海外など)の行う調整トレーニングと同じだから、正しいとか、効果があるということになっています。確かに力を100パーセント出す分には似たやり方になります。ただし、言うまでもなく、10の力がない素人が100パーセントの力を出しても、100の力のあるプロには通じません。プロは1/10しか出さなくても素人のベストが出せるのですから。ヴォイトレで大切なのは、10を100にするためのトレーニングではないのでしょうか。

○「トレーニングした声」にする

 プロと一般の人との運動能力の差について述べます。試合に出なくてもバッターなら素振り、ピッチャーなら一球、サッカーならシュートで、そこでうまくてもプロになれない人もたくさんいますが、少なくともプロでない人はわかります。体をみれば、体の動きや筋力で著しい違いがあるからです。なのに、声については、誰も定めていないように思えてなりません。
 そういう必要条件をヴォイトレでみるのなら、声のトレーニングですから、声そのものの力とすればよいことです。
 しかし、ここでその力がなくともプロの歌手やタレントとなれる人もいるので、スポーツのように絶対必要条件としては定められません。
 とはいえ、トレーニングではそれを定めなくては、あまりに曖昧でいい加減です。それならば、声楽家や邦楽家のプロのもつ、声でみればよいというのが、私の考えです。つまり、マイクのない世界での声の力でみるのです。ただし、オペラの歌唱、長唄などの応用力でみるのではなく、声でそれを支える基本能力、呼吸―体(感覚―心)でみるということです。
 トレーナーやレッスンについて「歌を上手くする」のと、「プロにする」のと「声をよくする」のが違うことは述べてきました。ヴォイトレですから、トレーナーもレッスンも「トレーニングもしていない声(これからの声)」を「トレーニングした声(とわかる声)」にする、それがシンプルなことでしょう。

○本当の練習とは

 私が「本当の練習」というのを、これまでの状態―条件に加えて、レッスンとトレーニングに振り分けるようにしたというのが、今回、論じている新しい点です。つまり、何のための、何を手に入れるための練習かということです。
a.本番、試合、リラックス、応用、状態づくり、全体統一、無意識、調整
b.練習、基本としての条件づくり、部分強化、意識的、バランスくずれる、鍛練
 すると、まさに今のトレーナーの一般的なレッスンというのは、トレーニングにならず、応用の調整のようになっています。ですから、1回受けてもよくなるでしょう。表面に出る変化を目指すので、遅くとも3週間くらいで効果が出ます。
 潜在的な抑えていた力が解放され、リラックスすりことで、フル能力が出るからです。その後、1年くらいは伸びる、もしくは、もともと力のあったところまで回復するでしょう。
 私はそれをヴォイトレアドバイスとして区別してきました。が、もうあまりにそればかりになってしまいました。それらは、ヴォイトレマッサージとかリバイバルヴォイトレ(何年か前のような声が出ないなどという、よくいらっしゃる人にピッタリ)と言う方がよいと思います。
 でも、心身がリラックスして声が出たら、それで誰よりも響いて通る大きい声で365日、1日2回2時間ほども歌えるようになると思いますか。

○「鍛えること」へのタブー

 声に対してどこまで求めるのかということは、ヴォイトレを求める全ての人に共通する問題ではないと思います。声はツールでありメディアですから、それを媒介にして何を伝えるのか、そこで、声そのものの必要性は、目的やその人自身にもよります。(しかし、ヴォイストレーナーには、声の力はいるでしょう)
 私が最近取り上げているのは、筋トレの要、不要とか、ハードトレーニングの是非についての先人たちの見解です。(→※参考、プロ野球の筋トレ(rf)
 若いトレーナーなどが、合理的、論理的、効率的な方向へ行くというのは、いつの世でも同じことです。絶対的にキャリアは不足しているのですから、一般化してきた市場で求められるニーズでの裏返しです。(彼らもこれで食べていかなくてはならないし)
 また、私と同じ世代あたりから、そういう意見が多くなっています。もともと声が出なくて芸でカバーした人、ハードなトレーニングで壊したり、苦労した人、非効率かつ間違ったトレーニングをやってあとで効率的な正しいトレーニングをやってよくなった人などは、「使い方が間違っている、それを直せばよい」という効率論者になります。これまでこういったケースについては、述べてきました。本人や周りの体験が元になっているだけに真実味があります。が、そうでない状況もある、というのを知っておいて欲しいのです。

○ヴォイトレよりよい方法

 まだ20代、30代くらいの若いトレーナー、自らの声もまだ完成していない人の意見は、目的や求めるレベルを明らかに異としていることが多いものです。(これも、たくさん取り上げてきたので、ここでは省きますが)そのくらいのことなら、カウンセリングやコーチング、あるいはヨーガ、フィットネスジム、もしかしたら吹き矢やジョギングなどの単純な運動と、それに伴う柔軟をやるだけでも、かなり解決することもあるということです。
 もちろん、本人が声の問題と言ってくる以上、声からのアプローチでよくする(普通の状態にする)のはよいことです。ただし、それでもヴォイトレするよりも、もっと早くよくなる方法もあります。
 私は、加齢で声の出にくい人を、運動と柔軟でほとんど声そのものにタッチせず元の状態にしました。体力が若いころの2割くらいになった人なら、ヴォイトレするより、体力をあるところまで取り戻す方が声も早くよくなるのです。
 声がかすれたことで来た人にも、「発声よりも先にやるべきことがたくさんあります。それも含めてヴォイトレ」とも言います。私は、レッスンより先に体の専門家を紹介することがあります。その必要が大きくなってきたので、研究所のなかでも備えるようにしています。

○声を目的としない

 「ヴォイストレーナーにつけたのに全く声が出ていない」「腹から声が出ない」「呼吸も身につかない」と、そういうことで、人づてに紹介されてくる人も増えてきました。そのトレーナー自身が腹から声が出ていない、呼吸も浅いのに、なぜ、レッスンを受けた人が変わるのでしょうか。(もちろん、変わるケースもあります。トレーナーを庇うわけではありませんが、トレーナー=レッスンの目的を遂げた人としてみるのは危険でもあります。トレーナーがそうでなくても相手がそうなればよいともいえるのです)
 問題は、このトレーナーは短期で少しの効果をあげてきた、つまり、レッスンする前と後で、状態をよくして、1~2割伸ばすことを指導しているトレーナーだということです。最大で1カ月~1年、それまでに生徒もやめるか、曲を覚えたり、リハーサルがわりに、と、元より、本来のヴォイトレとは違う目的で続けている。あるいはそれがレッスンの目的で本当のヴォイトレはもともと存在していないケースも多いのです。そういう形でのレッスン形態なのです。音程、ピッチトレーナーやリズムトレーナー、アレンジャー、プロデューサー、作曲家出身の人も、呼吸、発声、共鳴の本質的なことは伝えていないことが多いのです。(ここで言うヴォイトレの本来の定義などは、私が述べているだけで、公にはありませんから、批判にもなりません。誰が使ってもよいのです。ただ、声を目的としていないのに声が変わるわけありません)

○声のサバイバル

   再び、レッスンの意味に戻ります。私は、トレーニングは一人でこつこつ地道に静かにやるもの、レッスンは気づきにくるものであり、どんな形であってももいいと思います。
   ただし、教えられるので気づくのは全く違います。わかるのとできるのも違います。(過去のを参照ください)
 つまり、レッスンはトレーニングのチェックと次のトレーニングのメニュのガイダンスをするべきです。なのに、すべてレッスンが、今やまるでそこだけで効果を上げるもの(上げられるのが見せられるもの)ばかりとなり、それがヴォイストレーニングといわれているのです。もしくは、最初からいわれてきたのです。全くの長期的展望や理想を欠くものとなっているのです。
 これは私には、テレビ化したとも思えるし(テレビ局とは、そこでどうしても折り合わなかったのですが)プロデューサーは、30年ほど前から少しずつそうであったのが、他の人もほぼ全てそういうふうになっていったということもあります。
 歌手の力も役者の力も衰え、また客もそれを受け入れ、ジャンルとして弱体化していきました。残念ながら生き残るのに望みのない分野になりつつあるということです。どうであれ、声の力をつけるのがヴォイトレと私は思っていますし、それは、今後も変わらないでしょう。